閑話 魔法使いと願い事(後)
前回の続きです。
明くる日、シュバルツはリディアに1人の女性を紹介しました。
「リディア、彼女が俺の好きな人だ」
「初めまして」
女はシュバルツの隣に並んでも劣らない程に綺麗な容姿をしていました。女を見て幸せそうに微笑む彼を、リディアは見ていられませんでした。リディアの傷付いた心を置き去りに、シュバルツと女の仲はどんどん深まり、彼等の結婚式がすぐそこまで迫っていました。
「リディア、俺達の結婚式来てくれるよね?」
「・・・ええ、必ず行くわ」
シュバルツが女と結ばれる時が彼と会える最後になることは、リディアは分かっていました。もうシュバルツは自分を見ることはないと諦めたリディアは、最後くらいは彼の幸せを願っていこうと決心したのでした。
村の教会では1組の男女が神に永遠の誓いを立てていました。その片割れの男は誰だろうリディアのかつての恋人だったシュバルツです。神と、村人に祝福され幸せそうに笑うシュバルツを、リディアは遠くで涙を流しながら見ていました。
賑わう教会を出て1人歩くリディアは、無意識のうちに幼い頃、よく2人で遊んだ教会の裏手に来てしまいました。
「どうやら賭けはわたしの勝ちのようだね」
「魔法使いさん・・・」
リディアが振り向いた先にいたのは、あの日見た魔法使いでした。相変わらず黒いローブを頭から被り口元だけがやっと見える姿です。
「あなたの言った通りになってしまったわ・・・どんなに彼を想っても、彼は私を見てくれなかった。ただの幼なじみから抜け出せなかった」
「そうだね。君には残念な結果になったけどわたしは君が手に入るんだ」
魔法使いが欲しいのはリディアの綺麗な魂でしたが、リディアは自分の感情ざ醜く黒く汚れてしまったと思っているのでこの目の前にいる魔法使いはがっかりしていると思っていたのです。
「ねえ、あなたは穢れない綺麗な魂が欲しいのでしょう?私の魂はきっと淀んでいるわ。あなたが欲しいものとは違うんじゃない?」
「・・・人が思う綺麗とわたしが思うものは少し違うかな。わたしが欲しいのはなにも知らない綺麗な場所で育った魂じゃなくて、喜び、悲しみ、怒り、嘆き・・・すべてを経験し磨かれた魂だよ。まさに今の君の魂がそう・・・わたしには光輝いて見える」
リディアは魔法使いの言葉に眼を瞬かせます。そして、誰にも打ち明けられなかった感情を綺麗で欲しいと言ってくれたことに嬉しくなり先程とは違う涙が溢れだしたのです。リディアはこの人になら自分の魂だってなんだってあげてもいいと、そう口にしようとした時でした。
「リディア?」
突如現れたのはシュバルツでした。シュバルツはリディアと魔法使いを交互に見て眉間に皺を寄せました。
「こんなところでなにをしてるんだ?しかもそんな怪しい格好をしたやつと一緒なんて」
一方的に批難するシュバルツに反論しようと口を開きかけたリディアを魔法使いが制止させ代わりに話始めました。
「こんにちは、結婚おめでとう・・・どうだい?全てを忘れて人形と結婚した気分は」
「人形?なにを言っているんだ?」
シュバルツと同様に魔法使いの言っていることが理解できないリディアはじっと魔法使いを見つめました。
「君の花嫁のことだよ。まさかこんなに簡単に騙されるとは、さすがのわたしも思わなかったよ」
笑いが込み上げるのを抑えるように小さく肩を震わせている魔法使いと、怒りから顔を真っ赤にしているシュバルツが目に入りました。
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!リディア!そんなやつから離れてこっちに来るんだ!!」
「ああ、駄目ですよ。彼女はわたしのものなんですから」
魔法使いはリディアの体を抱き締めると数歩後ずさります。リディアは魔法使いに抱き締められて初めて気づきました。魔法使いが男だということに・・・声はどちらともとれる中低音で見た目は目深くフードを被り背はリディアより少しだけ背が高いくらいだったのでどちらと判断する要素が欠けていたのです。男の腕に抱かれていると漸く気づいたリディアは途端に恥ずかしくなりその腕の中から抜け出そうともがきますが魔法使いはそれを軽くいなし彼女の頭を撫でています。
「話を進めるためにはまず君の記憶の封印を解除しよう」
魔法使いは指をパチンと鳴らしました。するとシュバルツは呻き声をあげて地面に跪きました。ゆっくりと顔をあげたシュバルツの瞳は、驚愕の色に染まっています。
「全て思い出しただろう?君が事故で瀕死の重症であったことも、このリディアと嘗ては恋人であったことも、懸命に尽くした彼女よりも町で出会った娘を好きになり結婚までしたことを」
「あ・・・リディア・・・俺は・・・」
リディアにすがり付こうと手を伸ばすシュバルツを一蹴しながら魔法使いは次々と真実を話し出しました。
「彼女と賭けをしたんだ。君が彼女のことをちゃんと思い出せば君の傷は無償で治すと。だめならわたしのものになると。結果は分かってるよね?君は偶然出会った見目麗しい女に見事引っ掛かり彼女は賭けに負けたんだ」
「あの、さっきの人形ってどういう・・・」
リディアが疑問に思っていたことを魔法使いに尋ねると、魔法使いは再び指を鳴らしました。するとそこには白いドレスを身に纏った
シュバルツの花嫁が現れたのです。これにはリディアもシュバルツも驚きます。
「これはわたしが作った人形。わたしが命令した通りに行動する操り人形・・・わたしはこれにこう命令したんだ。シュバルツに愛を囁き続けなさいと。事実これは君に甘い言葉を沢山与えてくれたでしょう?惚れて人形と結婚したくなるほどに・・・」
魔法使いが3度指を鳴らすと綺麗な女の姿をした人形は力なく崩れ落ちシュバルツの目の前で動かなくなりました。
「君は大切なものがすぐ近くにありながらそれに気づきもせず、目の前に現れたら虚像を選んだんだ。失ったものは2度と戻らない。この人形がもう動きださないように、リディアの心もね・・・」
魔法使いの言葉にはっとなったシュバルツはリディアを見つめました。
「リディア・・・俺のところに帰ってきてくれるよね?」
彼を大好きだったし、ずっと一緒だと思っていた・・・しかしそれは彼の気持ちが離れてしまった瞬間に過去のものに変わってしまったのです。もう、彼を同じように想うことはできないと・・・
「ごめんなさい・・・もう遅いの・・・貴方がもっともっと早くに私を思い出して・・・ううん、もう一度好きになってくれていたら私は迷わず貴方の手を取っていたわ。だけど一度諦めた気持ちを戻すなんてできないよ・・・」
「ならまた最初から始めれば」
シュバルツの言葉にリディアは首を振りました。その瞳から一筋の涙を流しながら・・・
「人の気持ちが変わることがどういうことなのか分かったから、また貴方に捨てられたらときっと考えるわ。私はそんなに強くない・・・だから貴方とはいられない」
「リディアはもうわたしのものだからその選択肢は有り得ないけどね。さあリディア、そろそろ行こうか。君にはここにいることも辛いだろう?」
優しい声色で囁く魔法使いにリディアはゆっくりと頷きます。
「リディアが受けた悲しみのぶん、君も苦しむといいよ。それが君のリディアへの償いだ」
そう魔法使いが口にした次の瞬間、魔法使いとリディアは空気に溶けるように消えてしまいました。
「リディア・・・ごめん」
その場に残されたのは本来なら幸せに満ちるはずだったシュバルツと、白いドレスを纏った動かなくなった美しい人形だけでした。
「あの、いつ私の魂を取るの?」
「うん?そんなことするわけないじゃない」
魔法使いに連れてこられたのは、彼の家のようで生活感に溢れた物があちこちに置いてあります。リディアはすでに覚悟はできていたので尋ねたのですが、魔法使いの言葉にきょとんとしてしまいました。
「だって魂が欲しいって・・わたしのものだって」
「確かに言ったけど、それって別に君が死ぬ必要ないと思わない?君が生きて傍にいれば同じことじゃない」
魔法使いの言っていることが理解できなくてリディアは首を傾げます。
「あー・・・ちゃんと言わないと駄目だよね。あのね、わたしは君が好きなんだ。だから賭けをした。君に不利にしかならない賭けをね」
魔法使いの突然の告白に頭がついていかないリディアは必死に理解しようと頭を働かせます。
「君のことはずっと前から知っていたんだ。最初は、君がシュバルツに向ける想いの純粋さに惹かれたからだった。それからたまに見に行ってたんだ君のこと。そうしたらあの事故があって・・・あ、あの事故はわたしのせいではないからね!悲しみに暮れる君を見て助けてあげたいと思ったのと同時に、これはチャンスだとも思ったんだ。賭けを言い訳に君を自分のものにしてしまおうって・・・だけどちゃんと逃げ道は用意した。彼が自分で思い出すか君を再び好きになればわたしは諦めようと・・・だけど結果は見ての通り、君はわたしの目の前にいる」
そう言った彼は被っていたローブを脱いでその顔を晒しました。その容姿にリディアは驚いてしまいました。シュバルツよりも整った顔でまるでお伽噺の王子様が現実に現れたように思いました。
「わたしは人とは違う。人の見た目ではなくその魂に惹かれる。だからそう簡単には心変わりなんてすることもない。だから・・・わたしの生涯の伴侶になってはくれないかな。嫌なら、傍にいてくれるだけでいいんだ」
綺麗な顔を切なげに歪めながら懇願する魔法使いを真っ直ぐ見て、リディアは口を開きました。
「今すぐそんなことは考えられない。私は傷付いたばかりで新しい恋をするにはちょっと早すぎる。だから・・・」
リディアは魔法使いの手を優しく握って笑いました。
「まずは魔法使いさんの名前を教えてよ。まずはそこから始めましょう」
リディアの言葉に魔法使いは目を見開いたあと、すぐに嬉しそうに頬を弛めました。
「そうだね。わたしの名前は・・・」
その後、ゆっくりと心の距離を縮めた2人は見事結ばれ、2人の子供に恵まれ幸せに暮らしたそうです。魔法使いよりもずっと寿命の短いリディアは年老いて亡くなりましたが、魔法使いは生涯彼女1人だけを愛しその寿命を終えたそうです。
END
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クラリーチェ視点
「あの、ありがとうございました」
物語を読みきった私は次の日に図書室を訪れました。彼が受付に彼がいなかったので室内を探してみると、彼は本の整理をしていたらしく彼の横には大量の本が積み上がっています。私は彼に声をかけて借りた本を手渡しました。
「どうでした?僕はなかなか面白かったけど」
「そうですね・・・魔法使いさんにとっては幸せだったんだろうと思いますが、シュバルツさんが少し可哀想でした。事故に遭ったのも記憶が無くなってしまったのも、町で出会った女性を好きになったのも彼が悪いわけではないのに・・・」
このお話は結局のところ魔法使いさんを幸せにするために仕向けられたものです。彼が本当にリディアさんを好きでいたのなら、シュバルツさんの傷を治すだけに留まったはずです。
「僕もそれは思ったんですけどね、シュバルツがまったく悪くないとは言えないんですよ」
彼には私とは違った見解があるようです。私は彼の考えを大人しく聞くことにしました。
「この話は確かに君が言う通り、魔法使いに都合のよいように進んでいるんですが、シュバルツはリディアが何故必死に自分に会いに来るのか、考えたことはあったのでしょうか。それほど必死になるにはなにか理由があるはずです。彼女に聞けないにしても、村には彼等のことをよく知る人が沢山いたはずです。もし少しでもシュバルツが行動していれば、未来は変わったいたのではないでしょうか。それを怠った故の結果です」
「そうですね・・・そう捉えることもできるのですね」
読み手の数だけ、考えがあるのだと改めて知りました。少しだけ反省していると、彼が笑う気配がします。
「同じ物語を読んでも、こうやって違う思考になるのですから面白いですよね」
「はい。私も新しい世界が広がったようでなんだか楽しいです」
今度リュート達にも読んでもらって彼等の意見も聞いてみたいものです。
「・・・貴女とこうやって話しているのは、なんだか心が安らぎますね。あの子と話すときとは全然違う・・・」
「何か仰りました?」
彼が小さく呟いた言葉は、あまりに小さくて私の耳には届きませんでした。
「いえ、なんでもありません。また面白い本がありましたらお教えしますね」
「是非お願いします。あ、そうでした。あの・・・」
本を返すときに聞こうと思ったいたことを彼に尋ねます。
「私、まだ貴方のお名前を知らないのです。教えてくださいますか?」
彼は少しだけ驚くように眼を見開くとふわりと微笑んで口を開きました。
「ロッシュ・ヒュードバッカです。ロッシュと読んでください」
「ロッシュさん・・・私はクラリーチェ・アストロフですわ。クラリーチェと読んでください」
こうして私は本を通してお友達が出来たのでした。
やっとこさ図書室の君の名前が出ました。次はロッシュの視点書くかもです。




