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終わらない巫女!?

 戦争放棄。


 私たちの仕える巫女は、初めて会う敵国の王に向かって、そう告げた。


 若い巫女のその言葉に、国王を含め幻炎国側メンバーは呆気にとられていた。それはそうだろう。自分もはじめて今回の企てを聞いたときには、正直今回の巫女はどこかおかしいのか、頭を強く打ったりでもしたのではないかと思ったくらいだ。どんなものが巫女になっても、当然のごとくその力を民や国のために使った事例しかなく、今回のように力を使いたがらない、かつ、敵国にも手を出したがらないという巫女は、巫女を崇拝する王国創立以来はじめての出来事だった。

 だからといって、私は巫女の考え方に決して否定的ではなかった。私はもとより、面白いもの好きなのだ。この若き巫女が何をし、何を残すのか、間近で見届けたいと思ったのだ。そこで今回の旅の同席に名乗り出た。

「戦争放棄だと?」

ガレイオル国王はまるで真剣に受け止めない。隣に控えている、おそらく王佐であろう人物と共に嫌な笑みを浮かべていた。小娘の戯言としか、捉えていないのでしょう。それも致し方ないと思う。どうみたって、十五かそこらの少女だ。彼女が巫女だとも、あちらの国王はまだ認識していないのかもしれない。

「そうです。不可侵条約って言うんだったかな。幻水国はここ、幻炎国に手を出さない。その代わりあなた方幻炎国も、幻水国に手を出さないで欲しいんだ」

巫女はこちら側の要求を真っ向から述べた。「本日はお日柄もよく……」なんていう社交辞令も一切なしだ。さっそく本題に乗り出すところもまた、重大な事柄を決めようとする席では見られないことであった。それとも、巫女の世界ではこれが普通なのだろうか? 私はひとり、くすくすと笑みを浮かべながら巫女の発言を聞いていた。傍から見たら私のほうがこの場には不適切かもしれない。

 巫女は右にレイドを、左にサンを従わせていた。従わせていたというよりか、ふたりの神が巫女をとりあって並んでいるという方が正しい。本当に、年若き神は可愛いことばかりをしてくれる。

「そなたは水神と国王を連れて、この国を滅ぼしに来たのではないのか?」

ガレイオル国王は、長く伸びた髭を指で遊びながら上からそう言ってきた。それに対して巫女は、首を大きく横に振り、否定した。

「違います。僕は戦争を望みません。戦争の手助けをするつもりもありません。僕は平和主義なんです。この世から戦争をなくしたいんです!」

言葉だけで何でも解決されるのならば、軍隊なんてものは必要ない。同じ国民同士でさえいさかいが生じるのに、言語も文化も違う国同士で、争いごとが起きない方が難しいというものだ。だからといって、力で鎮圧すればいい……ということでもないことは、クレハを含め何人かのものは分かっているはずだ。けれども、武力を以って自分の地位を確立し、安泰を作り守り通してきたものにとっては、力とは絶対的なもの。その考えを覆すには、それだけの説得力を持った言葉を用意しなければならない。果たしてこの巫女に、その言葉をつむぐことができるのだろうか。

 セリアスは、あちらの国の王が何を言っているのか全く分からないだろう。クレハは特別な存在だった。だからこそ、この世界で生まれるはずのない黒の髪を持っているし、誰にも教えてはいないが、幻水国の言葉も幻炎国の言葉も操ることができるのだ。だからこうして、敵国の言葉も理解している。しかし理解していることを巫女もレイドもセリアス陛下も、知らないはずだ。知られないよう、私もそれなりの行動をしている。まるでやりとりを理解していないかのように、笑顔を絶やさない。

 その行動にどんな意味がこめられているのか。それは、私自身にしか知る由もない。


「できんな」

巫女の訴えは、短い返事で却下された。一瞬巫女がひるむのが見えたが、すぐさま握りこぶしを作り、意志を蘇らせる。そして、黒く気高い眼差しで国王を迎え打った。

「なぜです!」

小さな少女は、懸命に言葉をつむぎ出す。足が震えていることに、横に従うふたりの神は気づいているのだろうか。巫女は今、この場に立っているだけでも精一杯なのだ。それも無理はないだろう。先ほどから、国王からはもちろんのこと、至るところから殺気立った視線を向けられている。セリアスもその視線にだけは気づいているらしく、先ほどからその出所を探ろうと首を動かしていた。万一、巫女が攻撃されるようなことがあれば、平和主義なんてものは直ちに捨て、応戦体勢を作らなければならない。ここは敵の巣の中。こちらの戦力はたったの三。一秒たりとも気が抜けない空間に立たされていた。

「なぜ? 愚問だな。幻水国は我が国の最大の敵国。それも、今や巫女を手中に収めているのだ。最大の兵器を手に入れたと言っても過言ではない。そんな国を、野放しにしておけるか。やがて世界は幻水国の手中に治められてしまうわ」

巫女はこの世界の情勢のことを、何ひとつとして知らない。この世界には、幻水国と幻炎国のふたつしかないと思っていた可能性は高い。だが実際には、隣国している国は他にもあるし、海を渡ればもっと多くの国が存在している。

「兵器って……そんな」

心から戦争を望まない巫女にとって、自分が兵器呼ばわりされることには心痛めるだろう。だが、事実そうだ。巫女は自分たちが手に出来ないほどの力を持っているのだから。

 先ほどの出来事で、巫女の力を受けた両手の傷がうずく。赤く焼けただれ、このまま放っておけば化膿しそうだ。

「僕は、戦争の道具になんてならない。僕は、守りたいんだ。この国も、幻水国も」

巫女はおもむろに自分の右と左両方の手の甲を国王側に向けた。そしてその手を掲げる。そこには、青く輝く紋章と、赤く輝く紋章が刻まれていた。

「幸か不幸か、僕はふたつの力を受け継いだ。こちらの国も巫女でもあり、幻水国の巫女でもあるんだ」

巫女は真っ直ぐに、ガレイオル国王陛下の目を見据えながら言葉を続けた。己の真剣さを相手に伝えたかったのだろう。生半可な言葉ではなく、単なる小娘の言葉ではなく、平和主義を貫き通したいと思う。ひとりの「民」として、訴えかけたいんだろう。

直にこうして国王陛下に物を申すことができるんだ。伝えきらなくてはいけない。今が巫女の正念場だ。

「だからこそ願う。ふたつの国の平和を! その考えのどこがおかしい!?」

幼き巫女は、懸命に訴えかけた。嘘偽りのないその姿は、巫女そのものだということに、おそらく彼女は気づいていないだろう。気高く美しい女性だと、このとき私は心からそう思った。

 彼女は、自分は嘘の塊のような人間だと思っているみたいだったし、私自身も「クレハ」という自分自身は嘘の塊だと思っているので、はじめは彼女もそうなのだと、同族なのだと思っていたが、今では私の目から見ればそうでもないと、思っている。レイドほど分かりやすい人間だとは思わないが、巫女もレイドのごとく思っていることが素直に面に表れてくると思っている。

今だってそうだ。信念が輝くほど面に現れてきていた。巫女の姿を見ていれば、巫女が何を望んでいるのか、何を思っているのか、私には手に取るように読み取ることができていた。

 今の巫女は「平和主義」を貫き通そうと必死だ。そして、その意志を曲げるつもりは毛頭ないのだ。

「証拠はあるのか? お前が巫女だという証拠。そして、こちら側に攻め入らないという証拠は?」

巫女であるという証拠ならば、きっと示せるだろう。この巫女は確かに本物だ。まだ幼いとはいえ、ちゃんと神力だって扱える。

「証拠……ですか」

巫女は自分の手の甲に視線を落とした。そこに刻まれているふたつの紋章に意識を集中させる。誰に教わるというわけでもなく、彼女は力を少しずつだが扱えるようになっていた。これが巫女の資質というものだろうか。

「水よ、炎よ……お願い、力を貸して」

巫女の言葉を受け、水の粒子と炎の要素は巫女の周りに集まり出した。ふたつの紋章は光り輝き、青き紋章からは水の竜が姿を現した。そして、それに重なるようにして赤き紋章からは炎の竜が現れる。その二頭の竜は天井目指して立ち上り、やがてその姿を消した。

 これまでに巫女が使った技の中でも最高級の技だろう。この場において竜を出したのは見事だ。竜とはどの世界でも尊き神の化身として崇められている。それをこのように具現化させられるものは、そうはいない。幻水隊に所属する神力使いの中にも居ないはずだ。

 しかし、その代償は大きかったらしい。巫女は巨大な力を使い、ぐらりと足元がふらついた。即座に両わきに控えていたレイドとレジェンが巫女の体を支えるが、立っているのもやっと……。もしもここで「捕らえろ!」なんて命令が発せられたら終わりだ。私は万一に備えて、こっそりと剣の柄に手をかけた。誰にも知られないほど、なめらかにかつ静かに。

「アスナ、大丈夫か」

レジェンよりも背の高いレイドが主に巫女を支えているようだ。巫女は首をこくこくと頷かせると、再びガレイオル国王陛下の方へ目を向けた。

「巫女である証拠は、これでいい?」

ガレイオル国王も、あの竜を前にしては、さすがに巫女を見る目が変わってきた。先ほどまでは口うるさい小娘程度にしか思っていなかったようだが、我々では到底手にすることのできない力を目の前で見せられたのだ。彼女こそが「巫女」なのだと認めざるを得ない。再び顎髭に手を伸ばしながら、国王は一考していた。おそらく、この巫女を自分達のものだけにできないか……とでも、考えているのだろう。

 巫女はどうみても子どもだ。うまいことまるめこめば、自分の手玉にできるとでも考えているのだろう。しかしそれは甘い考えだなと、私は思っていた。

 あの口うるさく、用心深いミラシカ王佐をも説得し、ここまでたどり着いてしまった巫女だ。そう簡単に自らの手中に出来るとは思えないのだ。それに、簡単に敵側の手に渡るような巫女ならば、自分はココまで護衛に加わろうとはしなかったし、そもそもミラシカが首を縦には振らなかっただろう。

「巫女であることは間違いないようだな」

その言葉に、巫女は安堵の笑みを浮かべた。だがしかし、すぐにその笑みはかき消された。

「だが、こちらを攻め入らないという証拠はいかに示す」

それが問題だった。そんなこと、示せるはずがない。これは、お互いの国頭の精神問題だ。「気が変わった」のひと言で、覆されるかもしれないのだ。

「逆にお聞きいたします。どうすれば信じてくださるのですか?」

その切り替えしに、私は思わず目を見張った。なるほど、相手に委ねるとは考えたものだと感心する。

 しかし実際は、私が思っているほど素晴らしいものではなかった。単にアスナには、名案というものが思い浮かばなかっただけなのだ。けれども、そんな彼女の発した苦心のひと言が私のような一国の重臣の心を捉えるとは、世の中何が幸いするか分からない。


 ガレイオル国王は、うむ……と呟いたきり、黙りこんだ。


誰にも出せないのだ。


相手に攻め入らないという、「証拠」を提示するなどということは……。


「そうだ」

だがしかし、しばらくしてガレイオル国王は口を開いた。不敵な笑みを浮かべながら、巫女を上から見下ろす。

「巫女がこの城に滞在するというのならば信じよう」

それを聞いて、思わず「待った」の声をかけようとしたのは私だけではなく、レイドもそうだった。レイドにとって、今やアスナは自分の居場所。自分の存在意義だった。そんなアスナがこの国の城に留まるとなれば、黙ってはおけまい。レイドが私よりも先に動いたため、私は動く機会を逃し、再びもとの位置で静かに待機することにした。

「冗談ではない。アスナは俺と帰る」

再びとても自分勝手な発言だ。レイドは巫女と出会ってから、素直かつ子どもになったのではないかと思う。一方、ガレイオルの要請をまったく理解できずに居るセリアス陛下は、きょろきょろと辺りを見回したり、壁にかかっている絵に目をやったりと、自由な時間を過ごしはじめていた。国の行く末を決める大一番に、何とも楽観的な陛下だと、思わず笑みがこぼれるが、あまりにも遠くまで行かれては、いざというときに守りきれないため、これ以上の自由行動は控えていただきたいと内心で呟いた。

「それが出来ぬと言うのならば、不可侵条約など認めん」

巫女は俯き、目をつむった。考えているのだろう。だが、ここに残るなどと言われては困るのだ。もしそう言ったときには、もはやこれまで。条約を結ぶことは諦め、巫女の身柄を幻水国へ運び帰ることのみを考えようと心に誓った。巫女を失うわけには、絶対にいかない。

 巫女がここに留まる可能性が出て来て喜んでいるのはレジェンだ。彼もまた、巫女を欲している。国王のように、武力を誇示するために浴しているのではない。心の在り処として欲しているのだ。そういう意味では、レジェンとレイドはよく似ている。



 

 証拠なんて、見せられない。




 書面に判を押すと、はじめは言おうと思った。けれども、この国のものは幻水国の文字が読めないし、向こうの国のひとたちはこの国の文字が読めないのだ。そんな読めない言語で書かれた書面なんて、きっとなんの効果も持たないだろう。説得力にも欠ける。

 では、何を提示すればいいのか。僕は必死に考えたが、何も思い浮かばなかった。そこで、国王に聞くことにしたのだ。答えを委ねたのだ。

 その結果がこれだ。僕がここに残ることが条件だって? そんなことをしたって、何の意味もなさないじゃないか。立場が入れ替わるだけだ。

「できません」

しばらくして出した答えはそれだった。出来るはずがない。僕がここに残る、そんなことで解決されることではないと僕は思った。だから国王の意見を呑むことはできなかった。

「それは、やはり攻め入る心があると……」

「違います!」

国王の言葉を僕は途中でさえぎった。相手は僕の倍以上生きている人間。おまけに、一国の主だ。まだ成人もしていない僕が迎えるにはあまりにも敵は大きすぎる。

 けれども、ここで怯んでいてはダメだ。心に誓ったものを、足を引っ張ってばかりだった僕が、唯一この世界にもたらせるであろうものを得るために、踏ん張るのだと自分自身に言い聞かせた。

 本当は、さっきから足がガクガクしていた。もう、この場に居るだけで緊張の嵐。なんだか色々なところから視線を感じるし、本当に居心地が悪かった。ただ、隣でレイドが手を握ってくれているから、僕は立っていられるんだ。

「僕は幻水国のひとたちを信じています。きっと、僕があそこに居なくても、平和条約を結んだと連絡を入れれば、彼らはもう二度と、この地に兵を送り込むことはないでしょう」

そこまで言うと、僕は幻水国、国王セリアスと、その重臣クレハに目を向けた。先ほどまでぶらぶらと歩き回っていたセリアスは足を止め、大きく頷き、クレハもまた、その場で笑顔を浮かべながら頷いた。それを確認すると、僕は再びガレイオル国王に目を向けた。

「だから、僕がここに残ってもきっと問題はない。僕がここに居れば、万一幻炎国のものたちがよからぬことを企んだとしても、僕がそれを許さない。完全に戦争を封じ込めることができるだろう」

「ならば、こちらの提案でよいではないか」

国王の結論に対して、僕は首を横に振った。

「それではダメなんだ。平和とは、権力で押さえつけて生まれるものではない。武力で押さえつけて得るものではないんだ。お互いの信頼の上で成り立つ平和でなくては、意味がない。そのことが、あなたには分かりますか?」

僕だ。この言葉は僕のものだ。だが、国王を前にこれだけのものが言えるというのは、本来ならばもうひとりの自分、「俺」の特徴だったはずだ。いつの間にか、「僕」と「俺」が統合されていたのだということに、僕は此処へ来てはじめて気づいた。

「僕がここに居なくても、向こうの国に居なくても成り立つ平和でなくてはならないんだ。僕は幻水国を信頼している。だが、今はまだ幻炎国を信頼するには至らない。あまりにも僕は、こちらの国のひとのことを知らなすぎるから……」

ため息混じりにそう呟くと、僕はしばらく黙り込んだ。静かに呼吸を繰り返し、頭と心を落ち着かせる。そして、ふと大きく息を吐いてから、再び言葉を続けた。

「信頼させてくれ、ガレイオル国王陛下。僕を失望させないでくれ……」

それが十六の女子高生の言葉か!……と、我ながらつっ込みたくなった。

 真っ直ぐにガレイオル国王の目を見た。コンタクトレンズで矯正されているとは言え、あまりにも距離があるので、はっきりとその目を捉えることはできない。でも、僕はこれだと思う目をただひたすらに真っ直ぐ見つめた。「話すときにはひとの目を見て話そう!」なんていう学校の教えが、僕にはばっちりと染み付いていた。しかし、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。世の中、何がどこで働きにでるのか、分かったものではないと、勉強させられる。

「信頼……ねぇ」

なんと歯がゆい言葉を……とでも、言いたげな表情だ。しかし、先ほどまでの僕を小馬鹿にした態度は、もう消えている。彼は僕のことを「巫女」として、言葉を重んじながら聞いてくれている。

「話の通じる相手だと見越して、僕らはここへ来た。ガレイオル国王陛下。どうか僕たちを信じてください。そして僕らにも、信じさせてください。あなた方を、幻炎国を……」

ガレイオル国王は椅子の背もたれにずっしりと体を預けると、しばらく考え込んでいた。王佐もまた、悩んでいるらしい。彼らとしては、巫女をこの地に、この城に縛り付けておくのが一番の選択肢なのだろう。だが、それではいけないのだと僕は思った。だから、それは選ばない。選ばせない。

 それに、僕がここに留まるなんてことを言い出したら「俺もここに居る」なんて、レイドが言い出しそうだ。巫女に神までもがこちらの国に留まることになったら、幻水国の民が不安になる。分からないけど、きっと……そうなると思うから、そんなことには、させてはいけない。

「……書面はどうするのだ」

しばらくして、国王はそう切り出してきた。僕はその発言を聞いて、ぱっと明るい表情になった。心もとても晴れ晴れしている。嬉しいと、心から思った。


 やっぱり、解決できるんだ。武力だけじゃなく、話し合いで。だって、僕たちは人間なんだから。言葉の壁はあるかもしれないけれども、誰かが話せれば、共通の言葉を持てば、お互いの思いを交換しあうことができる。意思の疎通ができる。これこそが、平和を築くはじめの一歩なんだ。


 通ったんだ、自分の主張が。


平和条約、平和協定を、遂に結んでくれるのだ!


 じわり、じわりと実感が沸いてくる。あまりの嬉しさに、僕は思わず涙がこみあげてくるのを覚えた。こんなにも自分が涙もろいとは、思わなかった。でも、今はまだ泣くときではない。まだ、正式に協定を結んだわけではないのだ。

「いずれは、共通語を作ると良いと思います。どちらかの言葉に支配されるのではなく、ふたつの国のものが共に扱う言葉を……です。でも、今すぐには無理でしょう。だから……」

僕はレイドとサンの顔を見た。そしてにっこりと笑みを浮かべる。レイドは首を傾げていたが、サンは僕よりもずっと爽やかな笑顔で返してくれた。

「水の神レイドと、炎の神サンに書面を作ってもらおうと思います。同じ文書を一枚の紙に書いてもらうんです。そして、そのふたつの文書に間違いがないか、僕が見直しをします。その後に、幻炎国国王ガレイオル陛下、幻水国国王セリアス陛下に署名していただきたく思います」

「……よかろう」

深くため息を吐いた後、ガレイオル陛下は承認の意を示してくれた。

「ディン、良質の紙とペンの用意を」

ディンと呼ばれた幻炎国の王佐らしき人物が、手招きをしてこの国の配下を呼んだ。そして、確かに良質そうな紙と羽型のペンとインクを運ばせてきた。そそくさと準備は整えられていく。僕らの居た場所には小さなテーブルと椅子が準備され、ガレイオル陛下は上段からこちらへと下りてきた。それを見て、セリアスもこちらに歩み寄ってきた。

「やるじゃないか、巫女」

僕は頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。そして、レイドとサンの顔を見る。

「まずはサンから。お願いね?」

サンは笑顔で僕の手渡すペンを手にとった。そして、何と書けばいいのかをたずねてきた。


・幻炎国は幻水国を永久に侵略、攻撃しないことを誓う。

・幻水国は幻炎国を永久に侵略、攻撃しないことを誓う。

・両国は互いに助け合い、お互いの国の発展のための努力を行うことを誓う。


「うん、まずはこれでいいんじゃないかな。詳しい内容は、これから話し合って決めていけばいいよ。第一段階としてはこれでいい」

それを受け、サンはさらさらと文字を書きはじめた。アルファベットのような文字だが、それとも違う。確かに彼らは日本語でもない英語でもない、まったく独自の言葉を発していたのだと改めて知った。

 サンが書き終えてペンを僕に返すと、今度はそのペンをレイドに渡した。すると、レイドもそのペンを快く受け取った。なぜだか僕の言うことにはやけに素直になったふたりである。

 そして、サンと同様に、今度は幻水国の言語で同じ内容を綴りはじめた。こちらの方がどちらかといえば日本語に近い。ところどころが漢字で、ところどころが仮名というようだ。だがやはり、それは漢字でも平仮名でもないのだ。

 ふたつの独特な文字で綴られたそれを僕は手に取りじっくりと見直した。ここで間違えがあっては大変だ。慎重に一字一句違わずに読み直していく。どうしてこの文字が読めるのかは依然として不思議だが、確かに日本語を読むかのごとく、解読することができた。

「うん、確かに同じことが書かれているね」

それは僕の言葉ではなかった。後ろに控えていたクレハが、ひょいと紙に目をやり、あっという間に読んでからのひと言だった。


 ねぇ、今なんて言った?


「確かに同じだよ。ありがとう……って、クレハ! あなた、幻炎国の言葉が……」

クレハは嫌味のない笑顔で答えた。悪びれた様子もなく「分かるよ」と。

「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう? さぁ、巫女様。次の段階に進みましょう?」

そういうと、クレハは椅子を引いた。そこにガレイオル国王がどっしりと腰を下ろした。そして、きちんと座ったことを確認すると、今度は反対側に回り込み、もうひとつの椅子を引いた。そこにはセリアスが腰を下ろす。流石は臣下。手馴れている。

「ガレイオル陛下から、どうぞ?」

笑みを浮かべながらセリアスはそう言ったが、幻水国語で言われたその言葉では国王に伝わらない。先ほどはサンと会話していたというのに……どうなっているのかさっぱりだ。言葉の事情が把握できない。ただ、レイドとクレハは、幻炎国の言葉を操ることが出来るということは間違いないだろう。

言葉が通じ合わないセリアスは、ペンの持つ部分をガレイオルの方に向けて軽く手を持ち上げた。「どうぞ」という意味を込めた動作だった。それをみてガレイオルは承諾したらしく、セリアスの差し出すペンを手に取った。そして、さらさらと名前を書き綴っていく。そこには「ファーヴ・ガレイオル・レーティカ」という長い名前が書き綴られていた。

 書き終えると、ガレイオルは自分の使ったそのペンの柄の部分を今度はセリアスに向けて差し出した。セリアスは笑みを浮かべながら頷き、それを手にすると、同様に自分の名前をそこに記した。「セリアス・リヴァール」彼の名だ。

「よろしくな、ガレイオル陛下」

セリアスは手を差し出した。それを受け、ガレイオルも手を差し伸べる。そしてふたりは、厚い握手を交わした。

「まさか、本当にやり遂げるとはな」

レイドは淡々とした声でそう呟いた。それを聞いて、僕はレイドの顔を見上げた。

「信じてなかったの?」

すると、レイドは笑みを浮かべながら否定した。

「いや」

そして目をつむり、僕の手を握ってきた。強く、優しく。

 それを見て、もう一方の手はサンが握ってきた。僕は、ふたりの神に手を握られながら、握手を交わすふたりの国王陛下の姿を見守っていた。


 すると、僕の体から再び光が生まれた。青でもなく、赤でもない。紫の光だった。しかし、先ほど発したような強い光ではなく、温かい優しい光だった。誰かを傷つけるようなものではない。包み込むような光だった。

「これは……」

クレハは自らの手に目をやった。先ほどまで火傷で痛みを帯びていた両手から、痛みが引いていくのだ。それに気づいて目をやると、自分の手までもが紫の光に包まれているのだ。そして、みるみるうちに傷がふさがっていく。

「これが、巫女の力……いや、アスナの力」

クレハは、幼き巫女を見つめた。

「アスナ?」

不意に不安に駆られたレイドは、寂しげな瞳で僕を見つめてくる。紫の光は、みるみるうちに僕を飲み込んでいく。そして、僕の身体は透けていった。

「嫌だ……」

レイドが何を言っているのか分からない。なぜ、そんなにも辛そうな、泣きそうな顔をしているのかが分からない。僕の心はとても穏やかそのものだった。

「行くな、アスナ!」

その瞬間、紫の光は完全に僕を飲み込んだ。あまりにも強い光が発せられ、それは白にも近い紫となった。




「ん……」

光が止み、周りが静かになってから、僕はゆっくりと目を開けた。そこは、見覚えのある場所だった。道路は舗装されたアスファルト。電柱が建てられていて、空には電線がいくつもかかっている。目の前には石碑がある。そこには「県立鏡ヶ原高校」と刻まれている。そう、ここは僕の通っている高校の門の前だ。

 そういえば、あの世界は旅立つ直前まで僕はここに居たことを思い出す。まだ夢の中に居るのかもしれないが、僕はこちらの世界に帰って来たのだと思った。

 だがしかし、着ているものが制服ではない。あちらの世界で着せてもらった中国風の着物だった。

「終わった……のかな」

空を見上げる。青い空がどこまでも続いていた。空、レイドの瞳の色だ。

「アスナ!」

不意に後ろから声をかけられた。一瞬、レイドかと思ったのだが、それは女のひとの声だった。聞き覚えがあるなんてものじゃない。毎日聞いていた声だ。

「ママ……?」

血相を変えて走ってくる僕の母親は、僕を見つけるなり思い切り抱きしめてきた。びっくりしたが、僕は静かに抱きしめられた。そして、僕より小柄な母親の体を抱きしめ返した。

「どうしたの、母さん?」

「あなた、ハルカちゃんと別れてから行方不明になっていたのよ!? 今まで一体どこに居たのよ!」

僕は母の言葉に目を見開いた。


今、なんて言った?


ハルカ、幼馴染と別れた後に行方不明になっていたって?


「ちょっと……待って、待って? 僕が行方不明だって? これもまだ、夢なわけ?」

「夢!? 何言ってるの、アスナ。あぁ、よかった。三日も戻ってこないから、心配したのよ!?」

僕はますますワケが分からなくなり、母の顔を見た。母は怒りと不安を通り越し、泣いていた。その涙から、これは何かの冗談などではないことが分かった。ただし、夢なのでは……という考えは、消えていない。

「母さん、今日は何月何日なの?」

「四月二十五日よ!」

僕が朝起きてハルカと学校へ向かったのは二十二日だったはずだ。もしかして、これはもしかして……。

「夢じゃなくて、現実?」

今まで起きていたこと、全てが現実だというのか? 僕は信じられなくて、思わず後ずさった。


そんな馬鹿なことがあるのか?


異世界に転移してしまっていただなんて!

 

後ずさると、不意に何かにぶつかった。やわらかい、そしてそれは、僕を後ろからそっと、抱きとめるのだ。

「アスナ」

耳元でささやかれた声にも、僕は聞き覚えがあった。

「れ、レイド!?」

現実の世界に……ここ、日本国に「夢」であったと思われる世界の住民、いや、水の神様「レイド」が存在している。

「置いていくな……俺はアスナの傍に居る」

レイドは再び、子どものようなことをいいながら、僕の体を抱きしめ直した。


それも、僕の母親の目の前で……。


 さらには、学校の校門の真ん前で……。


 これは、夢物語などではなかった。すべてが現実に自分の身に起きていたことだったのだ。僕は本当に、ふたつの国に平和をもたらす「巫女」となり、旅をしていたのだ。

 そして彼、レイドは、僕と離れるのを拒み、一緒に現実の世界「地球」の中の、日本にやって来てしまったのだ。母親は、僕とレイドを交互に見やり、怒るにも怒れない顔をしていた。まだ、状況が飲み込めないのであろう。




 僕の本当の旅は……困難な道のりは、まだ終わらない。




今まさに、はじまった……ところのようだ。




 はじめまして! 小田虹里と申します。

この度は、「我らが巫女」に目をとめて下さり、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。大変嬉しく思います。

 主人公「アスナ」をはじめ、水神「レイド」の心の変化と成長と共に、戦争のない世界に生まれてきた現代っ子の「巫女」が、戦争が当たり前と思う世界で、どのように生きようとしたのか。その様子がなんとか伝わったら嬉しいな……と、思っております。

 現代社会、人との繋がりが昔とは明らかに変わりつつあります。人との付き合い方がよくわからない、苦手だ……そんな方にも、読んでいただけるとありがたいです。

 私も、「アスナ」同様、人との関わり方が分からず、戸惑うことも多々あります。でも、前を向いて歩きたいと、真っ直ぐになっていく「アスナ」や「レイド」と共に、この作品を見直していくことが出来ました。

 私も、ここからがスタートラインだと思って、もっともっと、この世界で頑張って歩んでいきたいと思います!


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