表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

落ち着け巫女!?

(馬鹿なことを……)

そう内心で呟いていたのは、私だった。炎神に剣を向け、攻撃を無血で押さえ込んだというのに、新しい道を切り開こうとセリアスがしていたというのに、余計なことをレイドがしてくれた。

 薄々だったが、私は巫女が何かを恐れ、何かに怯えていることには感づいていた。それが人間関係であるということにも。

 巫女は、どこかひととの間に距離を置いているように見えた。誰にでも笑顔で接しているようだし、人当たりがよく物腰も柔らかい。戦争に関してはかなり頑固で平和主義だと口うるさいけれども。しかしだ、それが上辺だけの付き合いに見えて仕方がなかったのだ。あの笑顔も、今でこそ地になりつつあるが、自然なものではないと思っている。私は、巫女は嘘で固め作られた存在だと思っていたのだ。

 巫女はまったく気づいていなかったようだが、私はずっと巫女の姿を目で追っていたのだ。見守り続けていた。巫女が地球に居るころから。

 アスナが巫女であるとレイドに告げたのも、何を隠そう私、クレハだった。彼女が生まれて間もなく私はアスナの力を察知し、体に負担をかけずに神力を扱える年になるまで、ただひたすらに待ち続けていたのだ。そして、時熟したときに、レイドに地球へ行くよう指示した。

 そう、誰よりも待ち続けた巫女がアスナだったのだ。巫女は嘘で塗り固められたものだとは思っているが、アスナが巫女であるということは真実だと確信している。

 人間関係に怖れを感じている巫女、敏感になっている巫女。そしてそのような巫女がようやく見つけた、弱音を吐ける唯一の場所。それを今、巫女は失いかけているのだ。これまで怖れ続けていたことであるだけに、今の巫女の精神状態はかなり不安定のものになっていることだろう。そして、もしもこのままレイドが巫女の精神をえぐるようなことを続けたりでもしたら、巫女はもう二度と、本当の笑みを見せなくなるかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。人間味のかけた、今度こそ本当に作り物になってしまう。

 それを避けるために、あえて私は巫女との間に距離をとっていた。自分もまた、巫女と同じように人との間に壁を作る性質だったからだ。自分のこの性質はもう、もはや治ることはないと思っている。もちろん、巫女ほど徹底した秘密主義者ではなく、自分の考えや主張は軍部会議でも申し出ている。しかし、私情となると話はまったく別だった。

 そんな自分が傍に居たら……巫女の、あまりにも傍に居てしまったら、自分もまた、巫女の心の在り所となるよう望まれていたことだろう。しかし、それに応えられる自信は正直なかった。それができるのは、単純というか、良い言葉を使えば純粋であるレイドに、無邪気で聡明な陛下くらいだと判断したのだ。だから自分は、そんな三人の関係を壊さないよう、第三者として見守ってきたつもりだったのだ。

 ところが、単純で馬鹿正直なレイドが余計なことを言ってくれた。せっかく巫女が人間性を取り戻し、成長の一歩遂げようとしていたというのに……。

そもそも、今のこの状況で巫女を不安定な状態にして一体なんの得がある。水の民に傷つけられたことを理由に、炎の巫女になるとでも言い出したら取り返しがつかなくなる。

 まったく揺るがない切っ先を向けつつも、内心ではひどく焦りを覚えた。

(何とかしなくては……)

しかし、自分にはそれができないことも分かっていた。自分がいくら弁解しようとも、巫女の心の中にまでは響かないだろう。自分はそういう接し方を選んでしてきたのだ。巫女の心を捉えるものは、セリアスか、レイドのふたりしか世界に存在しない。

(何とかしろ、レイド)

私もまた、人知れず怒りをレイドに向けているのであった。




 その頃水神レイドは、あからさまに困っていた。


 なぜ巫女が泣いているのか。一体自分の何がいけなかったのか。まったく理解できずに動くことすらできなかった。

 この間巫女が涙を流したときには、さりげなく近くに歩み寄り、肩を抱き寄せてやったりもした。だが今は、こんなにも近くに居るというのに、手を伸ばせないで居るのだ。なんと声をかければいいのかも分からない。

 仲間。レイドは、仲間だと呼ばれることがはじめてだった。自分は神という地位におり、誰も気軽に話しかけてはこない。それに、自分自身それが当たり前のことだと思っていたのだ。自分は人間ではない。寿命が違えば、持って生まれた力だって違う。だから、人間たちと仲良くできるなんてことを、生まれてから一度も思ったことはなかった。

 いや、正確に言えば、彼が自分が神なのだと自覚してからだ。生まれてからしばらくは、自分も城の中に居る他のものたちと同じ存在だと思っていた。だからこそ、色々なものに声をかけて歩き回ったというものだ。しかし、「神」であることを自覚してからは、それもなくなった。

 自分には仲間と呼べるものは一生出来ない。ただ出来るものは、神がいずれは仕える「巫女」という存在のみ。

 巫女の存在を知ってから、レイドは巫女に会えるその日を、クレハと同じく心待ちにしていた。唯一自分がこの世界で手に出来るものだということを知っていたからだ。誰とも仲間になれない代償に、巫女の一番傍に居ることを許されたのが自分なのだと、信じて疑わなかった。

 だから、巫女、アスナを見つけたときには、心が躍るほど嬉しかった。思わず笑みがこぼれるほど、幸せだと感じたのだ。そう、レイドはアスナに会ってはじめて幸せというものを知ったし、自分ではない誰かが傍に居ることの温かさを知ったのだ。

 守ろうと思った。この、自分よりもひと回りもふた回りも小さい少女を。アスナを。

『隠し事とかなしで、何でも話して欲しいと思うのが普通だろう!?』

そんなアスナの叫び声が頭から離れない。守ろうとしていたはずなのに、大切にしていたはずなのに、今のアスナは(おそらく)自分のせいで泣いている。

 仲間。隠し事もせず、何でも話すものが仲間なのだろうか。レイドには、これまで仲間と呼べるものが居なかった。そのため、仲間というものがどういうものなのか、自分の中で定義づけがされていなかった。

(仲間だからといって、何でも簡単に話せるものなのだろうか?)

レイドは自問自答を繰り返した。

 そもそも、アスナに力のことを黙っていたことだって、アスナのためを思っての行動だったのだ。道しるべ機能を使っているくらいでは力尽きないことを知っていたし、力を使いきらせて死なせる前に、それを察知して止めることにもしていた。だから、そのことはアスナの知るべきことではないと判断していたのだ。アスナが心配をすることではない。

要らない心配をさせて、不安にさせることはない。何があろうとも自分が守りきるのだから、アスナの知らなくてもいいことなのだと思っていたのだ。さらに、このことを言ってアスナの下した決断が変わるのならばまだしも、きっとアスナは「断固戦争反対」を貫くであろうことは予想できていた。だからこそ、なおさら言う必要のないことだと思っていたのだ。

 必要のないことまで言うものが仲間なのだろうか。レイドには分からなかった。そのため、泣く少女を前に、何もすることができず、ただただその様子を困惑しながら見守ることしかできなかったのだ。




「帰りたい」

涙を流す僕から出た言葉はそれだった。こんな、ひと前で涙を流すこと自体自分としては屈辱的なことだった。笑顔しか見せたくないのに、こんな顔なんて誰にも見せたくないのに。涙は無情にも流れ続けた。

「もう帰りたい。もう嫌だ」

閉じこもってしまいたかった。こんな自分をさらすなんて、許せなかった。

 本当に、天と地が百八十度変わってしまった気がした。この人たちに出会えてよかったと、やっと心の在り処をみつけたと思ったのに、それはもろくも崩れ去ってしまった。もう、泣くしかないじゃないか。

 信じなければよかったんだ。こうなることを予期していたから、今まで心を閉まいこんで、誰にも見せないように、見られないようにしてきたのに。

「帰りたい」

僕はもう一度そう呟いた。すると、体の奥底から熱が帯び始めるのを感じた。熱い。そしてそれは、全身へと広がっていく。ふと自分の手に目をやると、青と赤の光が入り混じり、紫の光を帯びていることに気づいた。

「紫……?」

紫の光は、僕の全身を包み込んだ。そして、みるみるうちにその光が僕の中へと浸透していく。それはあたたかく、とても心地がよかった。僕は光に身を預けた。直感で、このままこの光に包まれていけば、元の世界、現実に戻れると感じたんだ。

「いけません、巫女様!」

声を荒げて慌てたのはクレハだった。サンに向けていた剣を鞘に戻し、クレハは漆黒の馬の方へ駆け寄った。剣からの拘束から逃れたサンだが、その突如として起きた様子に対処できず、動けずにいた。

 クレハは僕の両手を掴もうとした。しかし、力の反発なのか、ばちばちっと静電気のような音を立て、手から発せられる光がクレハの手を拒んだ。その様子を僕はただ、まるで遠くで起きている出来事かのごとく目で見ることしか出来なかった。

「どうしたんだ、クレハ!」

セリアスが馬を操りこちらに近づいてきた。

「その光は、一体……」

紫の光を、セリアスは見たことがなかったらしい。おそらく、動けずにいるサンもそうなのであろう。レイドはというと……どうなのかまったく分からない。

「帰られてしまう。このままでは、巫女は元の世界へ!」

僕はそれすらも横流しに聞くことしかできなかった。元の世界へ帰る……? それは、夢が終わるということだろうか。

 そう、これは夢なんだ。こんな嫌な思いも、悲しい思いも、夢の中の出来事。そう思えばきっと、また明日から笑って学校生活を送れるはずだ。

「……帰る?」

クレハの言葉に耳を傾け、言葉を反芻したのは僕の背後に居たレイドだった。その言葉は、淡々としてはいるものの、どこか驚いたという感じがとれた。

「帰るとは、あの世界へ……か?」

クレハの方に目を向けながら問うレイドを、クレハは真っ向から見返した。その目には怒りさえ感じられる。

「あぁ、そうだ。あの世界だ! お前が馬鹿なことを言うから……こんなことに!」

舌打ちしつつ声を荒げるその姿は、これまでの旅で、一度も見せたことのない姿だった。新しいクレハの一面を見てもなお、僕の心は止まったまま。何かを考えること、思うことを停止してしまったかのように、僕の心は穏やかだった。

 ただ、レイドは違ったようだ。これまで静かだったのだが、突然慌て出した。なぜ分かるのかというと、彼の鼓動が脈打つように早くなったからだ。

「帰る……帰るだと? ならん!」

レイドは何を思ったのか。突然僕の体を抱きしめてきた。彼もまた、紫の光の反発の餌食になっている。しかし、離れようとはしない。力の反発は、レイドが力をこめればこめるほど大きくなり、レイドの体は焼けどを負っていくかのように赤くなっていった。

 その光景を見て、僕はようやく声を発した。

「レイド……離して!」

それ以上僕に近づいてきたら、本当に大火傷を負いかねない。僕は今、悪い夢から覚めようとしているんだ。どうか邪魔をしないで。

「離すか……離すものか!」

僕が帰ると知った瞬間、レイドの態度は一変した。慌てている、クレハの焦りとはまた別の意味で焦っている。彼は必死に僕をこの世界へつなぎとめようとした。

「ダメだ……行くな、アスナ!」

僕は、この声に名前を呼ばれることをとても嬉しく思っていた。でも、今は複雑だ。僕だけだったのだから。僕だけが、居心地のよさを感じていたのだ。彼らは別に、僕のことをなんとも思っていない。特別な存在だとは思っていない。




 紫の光は強さを増していく。それを見て、「水の民」として焦りを最も感じていたのがおそらくは私だった。ここで巫女を失うというこの手痛さ。それを最も理解しているのが私だからだ。ここまで来て、いや、ここまで来てしまって巫女を失ってみろ。ここは敵国。敵国に、ろくに力も使えない神と、体調を崩している国王。私ひとりの剣で守りきれるわけがない。炎の神に援軍を呼ばれたらが最後。自分達は確実に敵国に捕らえられ、そして処刑されるだろう。

 私が死ぬことはさほど問題ではない。私の替えはいくらでも居る。だが、ここに居る水神と王は違う。水神に替えなど存在しないし、王を失えば、王位継承を巡っての内争が勃発することだろう。

 幻炎国との間で戦争が起きかねない今、そんな内争を起こしている時間はない。なんとしてでも、王を守らなければならない。そもそも、ここで水神を失えば、幻水国の誇る幻水隊だって、威力は半減。いや、もっとかもしれない。

 巫女を失う、それは、幻水国壊滅を意味していた。そこまで考えているのは、間違いなくこの中で私ただひとりだった。

「巫女様、どうか御鎮まりください!」

レイドに負けじと私も巫女の両手を固く握った。やはり反発が起き、手が焼け爛れていくのが分かる。皮膚が焼ける嫌なにおいが鼻を刺激した。しかし、そんなことで怖気づいている場合ではない。不幸中の幸いか、炎の神は動こうとしない。今のうちに何とかしなければならなかった。今ここで攻撃でもされようものなら、ひとたまりもなくやられていたであろう。

 痛いというよりは、熱いという言葉の方が正確だ。巫女の発するその謎めいた紫の光は、激しい熱を伴っていた。巫女の深い悲しみが力となって現れたのかどうなのか、定かではないが、これまで生きてきた中で、紫という光に出会うのはこれがはじめてだった。青よりも赤よりも強い輝きを放つそれに、自分もレイドも為す術がなかった。ただこうして、必死に巫女にしがみつくことしか出来ない。

 そう。今はこんなことしか出来ないが、するしかなかったのだ。自分たちにできることを。それしか出来ないのならば、それを必死にするしかない。




「アスナ、行くな!」

どうしてそこまで必死になって止めるのか、僕には分からなかった。別に、僕が居なくなろうと構わないじゃないか。夢の世界だ。僕が消えたところで、何も変わらないんだ。戦争だって起こらない。そもそも、この国自体存在しえないのだから。

 もう、起きる時間なんだ。僕はもう疲れた。

「行かないでくれ……!」

僕を抱きしめる手に力が入る。声を発しているのはレイドだ。彼らしからぬ慌てた声が僕の耳元で響く。

 その声は、どこか悲しさ、寂しさを思わせた。振り返りレイドの顔を見ようと顔をずらしたとき、僕の頬に水滴が落ちた。


 涙だった。


 僕のものではない。僕の涙はもう枯れ果てていた。今は涙の痕だけが残り、それももう渇いていた。ショートした心からは、涙は零れない。

「レイド……?」

彼自身、気づいていないのであろう。自分が涙を流しているということに。目を固く閉じ、必死に僕にしがみついてくるその様子は、まるで子どもだった。子どもが、大切にしていたものを親にとられたくないと必死にしがみついているような、そんな様子。冷静で、物静かな彼からは想像もつかない光景だった。

 一体、何が彼をそうさせるのか、そうさせたのかが僕には理解できなかった。心が止まってしまっているせいかもしれない。僕はそんなレイドの様子を、ただ黙って見守ることしかできなかった。

「レイド」

レイドの様子に驚いたのは僕だけではなかったらしい。僕の両手をぎゅっと握り締めていたクレハも、驚いた表情をしてレイドの方を見ていた。

 涙を零すレイドを前に、再び静寂が訪れた。僕を取り巻いていた紫の光は次第に収まり、僕の体の中へと消えていった。そして、跳ね除けようとする力がなくなったことをいいことに、レイドはいっそう僕の体を強い力で抱きしめてきた。あまりにも強い力なので、僕は骨が折れるのではないかと思うほどだ。

「レイド、痛い」

そう言っても、レイドは離れようとしなかった。ただひたすらに、行かないでくれと繰り返す。そして抱きしめてくる。

「……行かない、行かないよ」

僕は大きなため息をつくと同時に、レイドの方を向き、レイドの頭を優しく撫でた。嫌がるだけではなく、どこか怯えている様子も見せるレイドを、突っぱねることはできなかったし、なんだか、僕だけが仲間だと思っていたんだ……なんて悲しみも、どこかへしまいこまれてしまったんだ。気付けば、レイドを優しく見守る心が生まれていた。とても穏やかで、優しい気持ちだ。

「居るよ、居るから。ほら、僕はここに居る」

クレハは、僕のその言葉を聞くと手を静かに離した。そして、彼は安堵の笑みを浮かべた……と同時に、再びサンの方に目を向けていた。サンは、信じられない……というような顔で僕らの方を見たまま、少しも動かなかった。そんな彼の横には、いつの間に下馬したのか、セリアスが立っていた。そして、何だかにやにやとしながら顎の下に手をやっている。

「ちょっと、レイド。いつまでそうしているつもり?」

レイドは僕の胸の中にうずくまり、離れようとしない。そろそろ、僕の心も正常活動をしはじめてきたので、恥ずかしさがこみ上げてきた。いや、その前に、レイドもクレハも確か怪我を負っている!

なんてことだ。また、意識していなかったとはいえ、傷つけてしまったんだ! 僕は嘆くと同時に自分を責めた。

 僕は無理矢理レイドを引き離そうとした。しかし、レイドは大人、しかも男。僕の力ではとてもじゃないけど動かせない。

「レイド、怪我、怪我を見せて! 大丈夫!? クレハも!」

クレハは、笑いながら「大丈夫です」と答えた。しかし、レイドは僕に抱きついたまま何も答えようとはしない。顔がだんだんと恥ずかしさから熱を帯びはじめ、目のやりどころにも困ってきた。

「巫女とレイドってば、お熱いですねぇ」

冷やかしのセリアスの言葉で、さらにその熱は増した。顔から湯気がでそうだ。

「レイド! いい加減に離れてってば!」

怪我を負わせたことも何もかも吹っ飛んで、恥ずかしさが頂点に達した僕は、もう限界と言わんばかりに叫んだ。けれどもレイドはいっこうに離れるそぶりを見せない。

「嫌だ……」

なんて子どもみたいなことを……と、僕は胸中で毒づいた。けれども、もう、なんていうんだろう。こんな顔されてしがみつかれたら、彼に対して抱いた嫌な気持ちも完全に吹っ飛んでしまうというものだ。

 大の大人が、涙を流してまで僕を欲してくれた。行かないでくれと抱きしめてくれた。確かに彼は、自分の気持ちや考えていることを表には出してこなかったかもしれない。けれども、この姿が嘘だとは思えにくい。彼は、僕のことをちゃんと思ってくれている。どうでもいい存在とは思っていない。それだけはよく伝わってきた。

 もとより、彼の目は誰よりも、何よりも澄んでいたことを思い出した。彼は嘘のつけない人物だと僕は見抜いていたはずだ。そんな彼が僕に力のことを告げなかったのは、きっと、信頼のありなしとかは関係なく、単に言う必要のないこと、たいしたことないことだと彼の中で整理されていたからなのだろう。

 泣き崩れるレイドを前にして、ようやく僕は落ち着いて物事を見ることができはじめた。きっとそうなんだ。事実と真実は違うというけれども、きっとこれがそうなのだと思った。

「ごめんね、レイド」

わけの分からないことを言って、傷つけたのは僕の方だったんだ。彼はいつだって僕の傍に居た。僕の傍に居たいと示していた。それは、どうみたって僕のことを仲間だと、大切にしているという何よりの証拠だったはずだ。それなのに僕は……。

「レイド、ほら、ここに居るから。だから、ね?」

思えば、こんな風に我を忘れて自分にすがってくるなんてひと、これまでに出会ったことがなかった。僕はそれを思い出すと、どうして彼に怒りを向けていたのか、悲しい気持ちになっていたのか、それさえも分からなくなってしまったんだ。

 レイドは僕にとって大切なひとだ。僕がはじめて弱音を吐いたひと。弱みを見せることができたひとなんだ。

「レイド……」

僕がレイドをなだめている間に、クレハはサンの元に戻った。こちらはもう、放っておいても、もう大丈夫だと判断したのだろう。

「炎の神、先ほどのセリアス陛下の案をのんでくれると嬉しいのですが……」

サンは、宿敵の子どものような姿を見て呆気にとられていた。そして動けなく……。信じられないという気持ちと、巫女との距離を確実に縮めているように見えるレイドのその行動が許せなくもあった。怒りに嫉妬が芽生えていることに、サン自身は気づいていない。

「なぜこうなる。なぜレイドにだけ……」

誰にというわけでもなく、サンは呟いた。その嘆きにも近い呟きを、クレハとセリアスは黙って聞き流した。

「さぁ、行こうぜ。案内してくれ、えぇと……言葉は通じないんだったか?」

ひとりお気楽声で居るのはセリアスだった。彼が来てくれて本当によかった。彼ならば、どんなに深刻な状況に立たされても、たったひと言でその空気を打破してくれそうだ。そんな不思議な力を彼は持っている。

王様らしいかと聞かれれば、返答に困る。けれども、こういうひとが王様であれば、その王様に従う臣下も民も、喜んで着いてきてくれると僕は思うんだ。

「……巫女のことを考えれば、僕もあのようになれるのか?」

こちらもまた、子どものような思考を持っていた。ふたりの神は、大人に見えて中身はまだまだ子どもだ。「巫女」という、自分が唯一手に出来るもの、傍に居てもいいものの存在を、心から請うのだ。その想いは必死。自分の手中に収めようと、傍に居て欲しくてたまらないのだ。そのためならば、どんな手段をもいとわないであろう。

「なれる、なれるとも。人間、思いやりは大事だぜ?」

サンは神であったが、そこは言及しなかった。サンは黙ってセリアスの言葉を聞いていた。そして、しばらくの間沈黙する。

そういえば、サンの言葉は幻水国では誰にも通じなかったはずだ。それなのに、今は通じている。これは、幻炎国に入ったからか。それとも、サン、もしくは僕の影響からなのだろうか。そのことを、セリアスもクレハも不思議に思っているようだ。

 しかし理由が何であれセリアスとクレハも言葉を理解しているのであれば、話は進めやすい。レイドは言葉を理解してはいるようだが、使い方が不器用だ。もっと多弁で口の上手い同行者が欲しいところだったんだ。

「分かった……連れて行こう」

ゆっくりと頷き、サンは僕らの乗ってる馬に背を向けた。今の自分には、レイドと勝負できるようなものがないと悟ったのだ。巫女を手に入れるには、敵国の王の言う「思いやり」というものを見せなければならないらしい。

 言われてみると、確かにレイドはずっと巫女である僕の傍に居た。そして、巫女に力を貸していた。力と言っても、破壊を生み出す力ではなく、精神的な支えになるということだ。だがサンは、幻炎国、遠い地に居たまま。したことといえば、巫女の力を無理矢理引き出し、戦場を作り上げてしまったというマイナスな出来事のみ。今のままでは、確かに巫女は自分を選んではくれないだろうと、知ったのだ。

「僕の気が変わらないうちに、それを何とかするんだな」

それとは、未だにうずくまっているレイドのことだ。クレハはレイドをなだめるように背中を軽く叩くと、小声で「いい加減にしなさい」と叱咤した。それを聞いて現実に引き戻されたのか、レイドが目を見開いた。そして、半ば慌てたように僕から体を引き離す。今さらと思うのだが、レイドは咳払いをして誤魔化そうとした。明らかに照れ隠しだ。そして、何事もなかったかのような顔で僕を見てくるのだ。まるで「何か?」とでも言いたげな目だ。しかし、涙で充血したその目には、何の説得力もない。僕は彼には申し訳ないが、笑いがこみあげてきてしまって、それを押さえるので必死だった。

「……行くんだろう?」

顔も赤かった。レイド自身、自分が照れていることを自覚しているのだ。だからこそ、余計に彼のことが可愛くて、愛おしく思えたんだ。

「うん、行くよ! クレハ、悪いんだけど……サンと相乗りしてくれるかな? サンだけ歩かせるわけにはいかないでしょう?」

クレハは笑顔でそれを快諾してくれた。むしろ渋った顔をしたのはサンの方だ。敵国の、さらに単なる人間と一緒に馬に乗るなど、これが人生初体験であることは予想がついた。嫌々ながらも僕の言うとおりにすることを選んだのか、彼はクレハの後ろに腰を下ろした。そして、ぶっきらぼうに「あっちだよ」と指をさす。僕らはその方向に向かって馬を走らせた。


 幻水国よりも暑いと感じるのはおそらく気のせいではない。砂は乾いているし、木々は背丈の低いものが多い気がする。暑すぎるというわけではないが、夏季を迎えたら、一体どれくらいの暑さになるのだろうか。

 サンの案内を得て、僕らは最短ルートで王都に入ることが出来た。全体的に煉瓦作りという感じで、街全体が「赤」を象徴していた。バームクーヘンのように円を描いた街並みは、独特な風景をかもし出している。中央部分には噴水があり、子ども達が楽しそうに水浴びをしていた。僕の耳にはどう聞いても日本語なのだが、彼らはれっきとした幻炎語を話しているらしい。

「あ、あれが城かな?」

幻水国の城を例えるなら首里城だ。中国的なイメージのお城だった。しかしこの幻炎国の城は中国的ではない。サンの服装は確かに中国風なのだが、城は西洋風の建物だった。城壁は、パリにある凱旋門を思い出させる。

「文化の違いって奴?」

僕よりも、目を輝かせて街や城門を見ていたのはセリアスだった。彼だけはひとり馬。途中途中、道を外れてところどころに建てられた防壁を間近で見るように接近してみたり、煉瓦作りの家に手を触れさせて、その煉瓦の持つ熱を実感していたりと、はしゃいでいた。彼にデジカメを持たせようものなら、きっとあっという間に一GBくらい使い切ってしまっていただろう。

「ここから城まではもう距離がほとんどない。メイン通路をそのまま直進していけば、城門にあたる。だから、キミたちだけでも行けるでしょ?」

そういうと、サンはクレハの馬から降りようとした。それを察してか、クレハがサンの手をすぐさま掴んだ。そしてにっこりと笑みを浮かべる。

「逃げようというのですか?」

サンは視線を外した。

「いいんですか? 巫女様を再びひとりにして。傍に居なくていいんですか?」

クレハは怖い、そう思わせるひと言だった。確実にサンを手のひらで玩んでいる。間違いなく転がしている。きっと、こんなことができるのはクレハだけだと信じて疑わなかった。

 サンは、むぅ……と口をつむぎ、僕の顔をちらりとだけ見た。僕はその視線に気づいてサンの方に顔を向けると、サンとばっちり目が合った。サンのその目は、どこか寂しげにも見て感じられた。それを見て、サンも僕と同じで、心の在り処を探している、望んでいるのだと思った。

初めて会ったときから感じていた。サンと僕は、どこか似ていると。話をすれば、レイドよりもサンとの方が、意気投合するのではないかと内心思うほどに。

「意地悪なひとだ」

サンは悪態をつくと、観念したかのように大人しくクレハの背中に収まった。そんな彼を見て、僕は少し可哀相なことをしていると心を痛めた。


 しばらくは一本道、両側は分厚く高い石の壁。僕らはそんな中を通って行った。すると、開けた場所に出た。そこがこの城の庭なのだろう。城下町とは違い、ここは「赤」をイメージさせるものはあまりない。緑が綺麗で、ところどころに花が生えている。やはり背丈の高い木はないが、あたり一面に芝生が広がっていた。

「馬はもういいでしょ?」

サンはそそくさと馬から降りると、僕の乗っている漆黒の馬のもとに近づいてきた。そして、手を差し伸べてくる。降りろということだろう。僕は躊躇せずその手を握ろうとした。すると、レイドが僕の体をがっちりと固定し、邪魔してくるのだ。

「レイド?」

僕はレイドをいさめるようにそう言うと、彼は渋々手を離してくれた。そして、自由を取り戻した僕はサンの手を取った。ここまで我慢してクレハと相乗りしてもらい、道案内をしてもらったのだ。これぐらいしなければ、彼が気の毒だ。

「ありがとう、サン」

だが、その背後でレイドが嫉妬の眼差しを向けていることが痛いほど分かった。ずっと、誰かに求められたいと想い続けてきたが、同時に複数人に求められると、それもまた困った事態を招くのだと、今回身を以って体感してしまった。

 しかし、それは贅沢な悩みというものだ。ひとりぼっちで、誰もいないよりもずっといい。ふたりが僕を必要としてくれるのならば、僕もふたりを必要とすればいいのだ。支えられ、支えていく関係。ずっと僕が、夢見ていたものだ。それを、夢の中で手に入れるとは、何だか皮肉な話だ。

 サンはどこか嬉しそうに笑った。その顔を見て、いっそうレイドが機嫌を損ねるのだが、そこは気づかなかったことにしておこう。たまにはサンにもこんな顔をしてもらいたいと思ったんだ。

「見つけたのは同時だ」と、そんなようなことをサンは言っていた。確かに、お守りが僕の部屋に現れたのは同時だった。ただ、僕は青色が好きだったからという理由でレイドが宿っていた(?)青色のお守り袋を手に取ったのだが、もしもあの時赤色のそれを手に取っていたのならば……ここまでの経緯も全然違っていただろうし、僕はきっと、サンの隣に居たはずだ。ほんの少しのことで、人生とは大きく変わるものなのだと思った。

「こちらです、巫女さま」

サンは終始笑顔だった。僕とサンは手を繋ぎながら歩いている。それをレイドが許すわけがなかったのだが、クレハとセリアスになだめられて渋々我慢しているようだ。僕はサンにエスコートされながら、こちらの国の王が待つ玉座、赤の間に向かった。

 赤の間は分かりやすい。赤で縁取りされた柱に、真っ赤の扉。あまりいい趣味とは言えないその先が、赤の間だという。サンの合図で扉に控えていた兵士が扉を開けた。

「さぁ、お入りください」

僕、クレハ、セリアス、レイドの順に中へ入った。なんだかいい香りがする。お香でも置いてあるのだろうか。

 中は広く、赤じゅうたんが敷かれていた。僕はその上を恐る恐る歩いていく。何だか、赤じゅうたんというと某映画祭で大物俳優が歩いてくイメージがあって、僕なんかが踏み入れてもいいものなのかと躊躇ってしまったのだ。

「ガレイオル陛下、巫女さまとお連れのものをお通しいたしました」

ガレイオル。名前を聞くだけでも、なんだかえらくごつそうなイメージだ。どんな国王様かと興味がわき、僕は何段も上に居座る国王の顔を見ようと顔を上げた。遠くてよく見えないが、立派な髭が生えている。年は四十代前後というところだろうか。いや、もっと上かもしれない。がたいもよく、これぞ武将という感じだ。一見文官に見えるセリアスとは対称的だった。

「巫女? 巫女は水の神のもとに居ると報告したのはお前だろう? レジェン」

王の声には怒りがこめられていることに、僕はすぐに気づいた。僕がレイドと居たことで、サンはこの国王にお叱りを受けていたのかもしれない。だからこそ、水の民を攻撃してでも僕を手に入れようと必死になったのかもしれない。こっちの国では、国王の命令が絶対なのだろう。

 彼とサンは仲が良くない。直感でそう判断した僕は、サンに応対させるのではなく、自らが王と話をしようと、一歩前に出て声を発した。

「あぁ、そうだよ。僕は、水の神レイド。そして、水の国の国王、セリアス。臣下のクレハと共に居た。けれども、途中でサン、炎の神と会ってね。ここまで案内してもらったんだ」

王はじろりと僕をにらむと、続いてサンにも同じような目を向けた。サンはにこりと笑うだけで、それ以上何かを付け加えようとはしなかった。サンがどうしてあそこに現れたのかは謎だが、王の命令ではなさそうだ。

「それで、巫女。水神と国王を連れて何をしに来た。こちらへの献上物か?」

神と国王を物扱い!? 僕は思わず頭に血が上るのを覚えた。ガレイオル国王はいかにも僕たちどうみても若くて頼りない四人組を前に、冷やかしの笑みを浮かべている。

しかし、ここでカっとなってはいけない。落ち着け、落ち着くんだ自分と言い聞かせ、何度か深呼吸を繰り返した。

「いいえ、違います。ガレイオル陛下。話し合いをしに来ました」

そう、ついに来たんだ。このときが。平和を訴えなくてはいけない。戦争放棄を、永久に戦争をしないと約束させねばならない。

 僕がここへ来た理由。ここまで来た理由。そして、僕がこの世界に来た理由が、ここにあると思うんだ。

「戦争放棄を望みます」

僕は単刀直入にそう叫んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ