捕らわれた巫女!?
僕は、中学に上がるまで学校でいじめを受けていた。そんな酷いいじめではなかったかもしれない。普段大人しい僕は、男子とも馴染めないし、思春期を迎え始めた女子とも馴染めずにいた。僕はいつだって独りだった。
そして、独りでいることが多い僕は次第に、男子たちのいじめの対象となっていったんだ。靴隠しなんてしょっちゅう。机の上の落書きだって、消したって消したって書かれていく。だから僕は、次第に諦めるようになっていった。幸い暴行なんていう目にはあわなかったけれども、こころを誰かに開くなんてことは、到底出来ない環境に居つくしてしまった。
学校の先生は、僕のことを何とかしようとしてくれていた……のかもしれない。でも、何かしようとすればそれは反面に現れてしまうことが多かった。「またちくったのか」「俺たちを悪者にしたのか」そんな言葉を一体どれだけかけられてきただろう。
僕は、か弱い女の子で居る限り、このいじめは終わらないとそう思ったんだ。だから、一人称を「あたし」から「僕」に変え、さらに内には「俺」なんていう乱暴な性格を併せ持った人格を生み出した。
それからは、男子からのいじめは計算どおりおさまった。変わりに女子も僕には近づかなくなったけれども、いじめを受けるよりはずっとよかった。毎日学校に行けば上履きがあるという小さな喜び。綺麗な机。こんなささやかな喜びは、きっといじめを受けたことのあるひとにしか分からない。
でも、本当は分かっていたんだ。
これが本当の解決ではない……っていうことを。
本当の自分を偽って、営業スマイルなんていうものを生み出し、誰とでも笑って過ごせるようにしたことは、学校生活、社会生活を送る上で大切なことだったのかもしれないけれども、こころが日に日に痛みを覚えていたことを、本人である僕が気づかないわけなかった。
思わず、涙がこみあげてきた。胸がいっぱいになり、泣けてくる。そうだ。僕はずっと、こうありたかったのだと……これこそが、本当に僕が望んでいた姿なのだと実感した。
どうして僕は、自分を偽るようになってしまったのだろう。どうして僕は、こんなにもひととの間に距離をおいて付き合うようになってしまったのだろう。本当は、寂しくて寂しくて、いつだって誰かを求めていたのに。ひとりで居るのが怖くて、悲しくて、ひとを求めていたのに。どうして僕は、ひとを寄せ付けないように、ひとが自分の中に入ってこないような接し方しか出来なかったのだろう。
いじめのせいだってことは分かってる。それでも、ママや誰かにぐらい本当の自分を見せたって良かったんじゃないかって……今はすごく後悔している。僕はどれだけの時間を無駄に過ごしてしまったのだろう。友達って……本当はすごく大切なものなのに。僕には、心から「親友だ」と呼べるひとが居ないことに気づいた。
足の中に顔をうずめ、僕は声を押し殺して涙を流した。ぽたぽたと、地面に涙がこぼれ落ちていく。
「巫女……?」
僕の異変に気づいたセリアスは、そっと僕の頭を撫でてきた。優しい手つきだった。しかし、そのときセリアスとは別の人物が僕に近づいてきたのが分かった。足音が近づいてきて、ひとの気配が見なくても分かるほど近くに来る。そしてその人物は、おもむろに僕の肩に手を回してきた。セリアスとは違い、少々乱暴な手つきだ。それで分かる、この手が誰のものなのかが。
「……レイド?」
僕はごしごしと涙をぬぐいながら、顔をゆっくりと上げた。それでも、涙はまだ止まらない。溢れてくる涙を浮かべながら、僕はふたりの顔をゆっくりと見上げた。
セリアスは、眉を寄せて心配そうな顔をしている。レイドは無表情だ。しかし、僕をしっかりと抱き寄せてしまっている。その様子からして、心配してくれているのだと分かる……が、少しやりすぎだ。
でも、こんなふうに誰かに抱きしめられることなんてなかったから、なんだか嬉しくなった。
「ごっ……ごめ、ごめんね。何でもないんだよ」
僕は笑った。微かな笑みを浮かべる。営業スマイルではない。自然に出た笑顔だった。
「何でもないようには見えないなぁ?」
セリアスはがしがしと僕の頭を撫で回してきた。先ほどまでとは違い、再び彼には笑顔が戻っていた。そして、僕の顔に自分の顔を近づけてくる。
「どうしたんだ? 疲れちまったか? 見たところ、お前、お嬢様育ちっぽいからなぁ」
僕は思わず目を見開いた。僕がお嬢様育ち? そんな馬鹿な。僕は暗く引きずった思いを忘れ、吹き出してしまった。
「僕がお嬢様育ち? そんなこと、あるわけないじゃないかっ!」
レイドの腕の中で、僕は肩を上下させて笑った。どうってことない話題だったかもしれない。けれども、僕の中で何かがはじけたかのように笑いがこみあげてくるんだ。そんな様子を見て、セリアスとレイドはそれぞれの安堵の笑みを浮かべた。
「馬にも乗れない、おまけに頭は平和ボケ。どこか田舎のお嬢様かと思ったぜ? オレは」
僕は自分の育った国、家を思い出す。確かに、かれこれ七十年ほど戦争から遠ざかった国の中にある、なんにもない田舎育ちだ。そこまでは当たっている。しかし、お嬢様ではなく、単なる一般市民。パパはサラリーマンだし、ママはパート。弟はただの公立中学生だ。
「ううん、僕は単なる一般人だよ。一般市民」
セリアスはふと疑問を浮かべた。僕の頭に乗せていた手を自分の顎に持っていく。親指で下あごを触りながら僕にたずねてきた。
「一般市民……巫女はどのような家庭で今まで生きてきたのだ? 異世界から来たことは知っているが……上流階級のものではないのか?」
僕は首を横に振った。そして、セリアスと目を合わせた。
「僕は日本人。日本にはね、王様も居ないんだよ」
天皇皇后様や宮家の方々が存在しているだけだ。
「王がいない? 国は誰が治めているんだ?」
一国の王セリアスは、不思議に思ったようだ。
日本で誰が一番偉いのか。そういえば、初対面のときにレイドは警察のことを偉いのかどうかと聞いていたなということを思い出した。なんだか、それが随分と昔のことのように感じられる。けれども実際にはそう時は経っていない。というか、これは夢。ほんの数時間の出来事なのだろう。
「国はね、国民投票により選ばれた国会議員の中の、そのまた頂点に立つ、内閣総理大臣ってひとが治めているんだよ……」
長い間をおいてから、僕は「一応」という言葉を付け足した。その言葉に、セリアスは眉をひそめた。
「だって、国は総理大臣のものではないもの。生きている国民すべてのものでしょう? そう、きっと、みんなで治めているんだ。総理大臣は、治めているというよりは……国民のリーダーとでも言うべきなのかな? みんなの代表っていうかさ」
セリアスは興味ありげな顔をして、僕の話をじっと聞いていた。政には関心なさそうな彼だったが、そうではないようであることがうかがい知れる。
「国は、国民すべてのもの……ねぇ」
セリアスは空を見上げた。自分の瞳と同じ色をした、青い空を。その目もまた、レイドと同じように澄み渡っていた。腹黒いところを持っていそうにない王様。彼はきっと、よき王なのではないかと思った。そう思うと、城下町の最中、目をつむったまま通過してしまったことを後悔した。見てみたかった。こんな王様の治める国の有様を。みんな、どんな生活をしているのだろうか。
「色々と、巫女には聞いてみたい話がありそうだ」
セリアスは嬉しそうに笑った。そして僕は、その笑顔を見て微笑んだ。
「僕に答えられることなら、なんでもどうぞ……セリアス」
王様、セリアスは思わず目を見開いた。しかし、すぐさまその目を細めて笑う。とても優しい笑みだった。
「それはありがたいね。この一件が終わったら、ぜひともゆっくり話をする場を設けたい」
この一件。幻炎国へ行き、平和協定を結ぶこと。僕は深く頷いた。
そして僕は、ゆっくりと顔を動かした。セリアスの方を向いていた顔を、レイドの方へと向ける。レイドは未だに僕の身体をがっしりと抱き寄せていた。冷静さを取り戻すと、恥ずかしくて仕方がない。
「れ、レイド?」
レイドは真顔のまま、短く返事をした。
「何だ」
何だ……じゃなくて、恥ずかしいんだけど……とは言えなかった。優しくしてくれたレイドの手をはねのけることなんてしたくなかったし、恥ずかしさを感じつつも……同時に、心地よさも感じていたから。
「ありがとう」
僕は照れくさそうにしながらも、そうひと言呟いた。レイドの顔を見るのが急に恥ずかしくなり、思わず下を向く。
それでも僕は分かった、感じたんだ。レイドが笑みを浮かべたのが……。なんの言葉も返さない代わりに、彼は不器用な、けれども優しくてあったかい笑みをくれた。
「巫女様も落ち着いたようですし、どうです? そろそろ出発しませんか?」
これまで馬番をしていたクレハが、馬の手綱を引いて近づいてきた。にっこりとした嫌味のない笑みで歩み寄ってくる。
「うん、そうだね。ごめんね、時間ばかりとらせちゃって」
僕はゆっくりと立ち上がった。それにしたがって、隣に居たセリアスとレイドも立ち上がる。そして、クレハが連れていた馬に向かい歩き出す。
レイドは自分の馬を連れてくると、僕の腕をぐいと引っ張った。僕は思わずレイドの方を見た。
「行くぞ、アスナ」
レイドはきっぱりとそう言った。決して器用ではない彼、けれどもにくめない彼。僕は笑いながら、レイドの手を握った。
「うん。よろしくね」
先に馬に乗ったレイドの顔を、見上げるようにしてそう言った。すると彼は、火がともったかのような赤い顔をして表情を硬直させた。頬はもちろん、耳まで真っ赤だ。
その様子を見て、心底笑っていたのはクレハだった。僕はというと、なんだかレイドのことが可愛くて、そして、愛おしいと思ったんだ。
不器用だからこそ、分かりやすい。彼の心、表情は見れば分かる。清く美しく、凛とした顔立ちとは裏腹に、内面はとても可愛らしいひとだった。
「さて、行きますか」
レイドの馬に乗ると、僕は左手を掲げた。赤き紋章が光を帯びはじめ、再び道しるべを作りだした。
今度はセリアスもクレハもゆっくりと走った。少なくとも、あっという間に背中が見えなくなるほどではない。きっと、僕を乗せたレイドが無茶な走りをしなくてもすむようにと配慮してくれたのだと思う。
「ねぇ、レイド」
僕はレイドの腕の中から落ちないように手綱を持ちつつ、顔を少しだけ横に向け、彼の顔をうかがうかのようにしながら問いかけた。
「なんだ」
短く答える低音の美声にはもう慣れたが、相変わらずいい声には変わりない。馬が駆けるとふわりふわりと黒髪が揺れて、空色の瞳が前髪の陰から現れ、僕を見据えていた。
「レイドは……巫女を探していたんだよね?」
するとレイドは、突然何事かと一瞬眉をひそめ、やはり短く「そうだが」と応えた。レイドは基本的に長くは喋らないことは、これまでのことで分かっている。だから、特には気にしていない。それより、僕からこうして踏み出して相手に近づくことは、中学以来久しぶり……もしくは、はじめてのことかもしれない。ちょっとずつでも前向きになれるっていうことは、たとえ夢の中のことであっても、いいことだと僕は思いたい。
「いつから巫女を探していたの?」
「……」
レイドは黙った。いや、思い出しているのかもしれない。僕は答えを焦らず、レイドの答えをただじっと待った。
「……およそ三年前だな」
「三年前?」
僕が、「あたし」を捨て「僕」を選んだときと同じくらいだった。そんな前から幻水国と幻炎国は戦争をしようとしていたんだろうか? そんなにも長い時間緊迫した状態が続いていたのだろうか。
「その三年間、幻炎国に攻め入ろうとは考えなかったの? 逆に攻められることとか……」
「なかったな。アスナも知っているだろう? 場所が分からないのだから、攻めようにも攻められない。それは、向こうとて同じことだろう」
なるほど、と今度は僕が黙った。まてよ、もしかして……僕が存在しなければ、このふたつの国はずっと戦争なんてことをせずにことがおさまっていたのではないか!? 僕の脳裏にそうよぎると、目を見開いてレイドの方を思い切り振り向いた。
「レイド! 僕が戦争の発端になっているんじゃないか!」
「……?」
レイドは眉をやや吊り上げるだけで、賛同はしなかった。僕たちの会話は、少し前を行くセリアスとクレハにも聞こえているのだろうか。
「僕がこの世界に来なければ……少なくとも、幻水国と幻炎国との間で戦争が起きることはなかったんだ! 僕が巫女なんていうわけのわからないものになったから……サンは僕のことを追って、あのお城に姿を現したんでしょう?」
するとレイドは、一瞬遠くを見つめると、すぐさま僕の目を見返し、重々しい声色で呟いた。
「そうかもしれないな」
やっぱり……僕はうなだれた。平和主義を訴えている僕が、戦争の種になっているなんて、冗談じゃない。絶えられないよ……。僕は、どうしていいかわからなくなっていた。
「ただ、レジェンも巫女を探していた。たまたま俺が先にお前を見つけたものの、ほぼ同時だったからな。どちらにせよ、お前は戦争を止めるために動いていたのではないか?」
レジェンとはサンのことだ。確かにサンも巫女を探していた。なぜ巫女を探していたのかは、先にレイドから聞いている。他の土地でも自分たちの力を使えるようにするために必要だからだ。
戦争は避けられないものだったんだろうか。
僕の存在に関係なく、いずれは起きるものだったのだろうか。
僕は、ある決心を改めてした。
「レイド、僕は巫女になるよ。戦争を起こさせないための巫女に……必ずなるよ」
するとレイドは、鼻で笑ってみせたけれども、その表情は穏やかだった。
応援してくれているんだ。僕はそれに応えなくてはいけない。僕はにっこりと笑みを浮かべた。その刹那だった。
「陛下、巫女様、下がってください」
「えっ……?」
決意新たにしたばかりだという僕に、次なる災厄が降りかかって来るとは、思いもしていなかった。僕は、突然声を発したクレハの方を向き、身を乗り出した。
「な、何……クレハ、どうしたの!」
「身を乗り出すな。落ちるぞ」
レイドは僕の身体をがっしりと腕で抱え込んだ。片手で僕を包み込み、片手で手綱を握っている状態だ。みんな馬の足を止め、前方に目をやっている。
そこには、数十人ほどの乗馬したひとが居た。服は軽い布切れで、みんなが剣や槍を手にしている。それを見て僕は察した。賊が襲いに来たんだ。
「へぇ、女も居るのか……金とその女を置いていきな」
リーダー格の男は、頭にターバンを巻いていて、白髪混じりの顎鬚を生やしている。けれども、決して年老いた感じはしない。それは、容姿が多少なりとも肥えているからだろうか。
「レイド。ふたりを連れて先に行ってください。ここは私が引き受けます」
え、今なんて言った? 私が引き受けるって……ひとりでこの人数を相手にするって言うの? 軍人とはいえ、たったひとりで数十人を相手にするなんて、無謀だろう。
「クレハ、そんなこと言わないで……相手の要望を呑もうよ」
「馬鹿か、お前は。お前とセリアスを犠牲に出来るか」
レイドはきっぱりと言ってみせた。「犠牲」だと。クレハを切り捨てるつもりなんだ。僕はそんなのは嫌だ。もし、誰か犠牲が必要なのだとしたら……僕がなればいい。だって、そうだろう? 僕が居なくなれば、戦争だって永久に起きないわけだし、そもそも目が覚めればこの夢は終わりを告げるんだ。少しの間賊と共にするだけであって、問題は特にない。それに、国王を賊に渡すなんてこと……さすがに抵抗ある。
「いいんだよ、レイド。相手の要求は僕とお金なんだから」
「巫女様、巫女様が居なければレイドたちは幻炎国にも行けません」
「だから……」
だから、いいんだよ……と、僕はレイドにも聞き取れないような声でひとり呟いた。
「犠牲になろうって思ってるわけじゃない。これが、最善だと思うから」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
しびれを切らした賊は、じりじりと僕たちの方に詰め寄ってくる。剣を抜き、槍を突き出し、僕らは取り囲まれてしまった。
「おいおい、どうすんだ? クレハ」
セリアスはこの状況さえも楽しんでいるようだった。しかし、背中に携えている剣の柄に手をかけながらの様子を見ると、そういうわけでもないのかもしれない。
「どうするも何も、巫女様をお渡しする訳にはいかないでしょう」
「だよなぁ……じゃあ、一丁やるかぁ」
そういってセリアスは馬から降りた。そしてそれと同時に剣を抜き構える。すると、賊の頭だと思われるターバン男も剣をより突き出し距離を詰めてきた。
「やる気か! この人数に敵うと思うのか!」
男は自分たちに部があると見ているらしく、余裕の笑みを浮かべている。周りの部下たちも高らかな笑い声をあげる。
「レイド、いいですね」
「分かってるよ」
何が分かっているんだろう……と僕は疑問符を浮かべた。クレハも馬から降りて剣を構える。しかし、レイドは剣を持っては居ないし、僕を片腕で捕まえたまま、馬から降りようともしなかった。
「ちょ、ちょっと……セリアスとクレハだけ残して、逃げるつもりじゃないよね!?」
僕は頭によぎった不安を脱ぎ捨てるかのようにそう吐き出した。しかし、レイドの応えはそれを許してはくれなかった。
「その通りだが……何か問題でもあるか?」
「あるでしょう!?」
ちょっと、ちょっと……どういうこと! 僕とお金さえ置いていけば万事解決だったはずなのに、このままじゃクレハと国王であるセリアスがやられてしまう!
今はまだ、セリアスが国王だとばれていないみたいだからまだいいものの、もしもセリアスが国王だということが賊に知られたら……国に対して膨大な要求をしてくるに違いない。国民にも、どんな影響が出るか分からない。どう考えても、この選択肢はいいとは思えなかった。
それに、誰かの犠牲の中で生まれるものって……平和なんかじゃなかったはずだ。
「レイド、降ろして! 僕に力があるのなら、こういうときに使わないと!」
賊の命を奪いたいわけじゃない。サンを傷つけたときの胸の痛みは今でも忘れたわけじゃない。本当は、この持っている力を使うことがこわい……でも! でも、ミラシカの言葉じゃないけど、ある力を使わないで黙って争いを見過ごすことだって、僕には耐えられなかった。
だけど、力を誇示して相手を怯ませるなんてやり方も、僕は嫌いだ。それは、核を保有して他国を脅すやり方となんら変わりない。武力を持つことを望ましくないと思う僕の新年に反する。難しいところだ。
「まともに力の操れないお前が行ったところでどうなる。邪魔なだけだ」
「操れるかもしれないじゃないか!」
そんな揉め事をレイドと起こしている間に、いざこざはさらに発展してしまっていた。双方共に抜刀し、頭の剣がクレハの眼前に迫っていた。
「クレハ!」
僕はやられると思い、思わず目をつむった。しかし、金属音がぶつかり合う音がするだけで、叫び声などはあがらない。僕は恐る恐る目を開けた。
「私に楯突くとは……愚民ですね」
くすりと笑みを浮かべるクレハは、剣を改めて握るとぶつかり合っていた刃と刃を滑らせ、柄のところで頭と押し合いをしている。一方セリアスも、別の賊と抜刀しあい、次々となぎ倒している。
強い。このふたりは、人数なんて関係ないんだ。たったふたりで、片付けられそうな勢いだ。
クレハは柄競り合いをしながらも一歩踏み込み、一気に剣に力を込め相手を押し倒した。しかし、頭も少々のことでは引き下がりはしない。後を追うように切り込んできたクレハの刃を横に転がり寸でのところで交わすと、すぐさま立ち上がり、再び剣を構えた。それを見たクレハは、口元を緩め剣を返した。
これは、試合なんかじゃない。
爆弾とか使われていないけれども、戦争だ。
やっぱり僕が止めなくちゃいけない……僕はそう思った。
「レイド、僕はこの争いを止めたい」
「?」
レイドは首を軽く傾げた。しかしそれを気にすることなく僕はレイドの腕を力任せにどけようとし、馬の上でもがいた。
「アスナ、何をしている。静かにしていろ。セリアスとクレハが直にこの場を片付ける」
レイドは僕を押さえつける腕のガードをさらに強めた。おかげで身動きが上手く取れない。片手でよくぞまぁ、馬を操れるものだ。そういえば、流鏑馬なんかをしているひとなんて、手綱さえ持っていないのだから、レイドが普段馬に乗りなれているとしたら、これぐらい朝飯前なのかもしれない。でも、今はそのことに感心しているときではないのだ。
「力でねじ伏せるのはダメなんだ。これも……戦争だ!」
僕の両手に光が宿る。清く青い、熱く赤い稲妻のような光が右、左それぞれの甲に帯び、異なる紋章が浮かび上がった。その目は右目が青、左目が赤く光っている。
「どけ、レイド」
軽くはじいたつもりだった。しかし、その力でレイドの身体は馬から払い飛ばされ、落馬した。俺は、ゆっくりと馬を降りると、賊に向かって歩き出す。その様子を見て、セリアスはクレハの方に歩み寄り、クレハは僕の方をじっと見つめていた。
「な、なんだこの女は!?」
「この光は何なんすか、お頭!」
「化け物だ!」
賊の下っ端は騒ぎ出した。それはそうだろう。普通の人間ではあり得ない事態が今目の前で起きているのだから。さっきまでただ馬の上で大人しくしていた一般高校生が、その文字の通り目の色変えて、近づいてきているのだ。
「クレハ、どうすんだよ。巫女様また暴走してるんじゃねぇの?」
セリアスはサンと対峙したときのことを思い出し、これから起こるであろう惨劇を心配しているのだろう。しかし、今の俺は落ち着いている。この力を、今なら操れる……根拠は何もないけれども、送思えた。
「巫女様?」
クレハは賊の頭に切っ先を向けたまま、顔だけ俺の方に向け、明らかな変化を見せている俺の反応を見ていた。
「クレハ、その剣を下ろせ。セリアス、お前もだ」
そういうと、セリアスは馬鹿げていると言わんばかりに笑い飛ばした。
「おいおい、何を言い出すと思えば……そんなことしてみろ。やられちまうぞ? それとも……」
セリアスはふざけた顔をやめ、じろりと俺の目を見つめてきた。
「その巫女の力で何とかしてくれるっていうのか?」
俺は、静かに頷いた。するとセリアスは口笛を鳴らし、またいつもの子どもっぽさを残した表情に戻った。そして剣を背中の鞘へと収めた。
「そいつぁ面白い。クレハ、お前もそうしろ」
案外素直に俺の意見を聞き入れたセリアスとは違い、クレハはそうはいかないと首を横に振った。何事にも従順そうなイメージだった彼らしくない反応だと、俺は思った。
こちらが揉めている間に、賊たちは体勢を整え始めていた。人数も人数だし、頭がしっかりとしている分、上手く統率が取られるチームのようだ。はじめは俺のことを気味悪がっていた下っ端も、頭の一言で目の色を変えた。
「面白い女じゃないか。こいつは高く売れるぞ。いいか、お前たち。傷物にするなよ」
にやりと不敵な笑みを浮かべた頭を筆頭に、俺を一斉に取り囲んだ。クレハをマークしていた頭も、俺の目の前へとやって来る。
「アスナ!」
声をあげたのは落馬したレイドだった。賊に囲まれた俺を前にして、手を突き出した。俺はその行為を見て、レイドが賊を攻撃すると判断し、咄嗟に「やめろ」と声を発した。止められるとは思っていなかったのだろう。レイドは一瞬たじろぎ、行動を止めた。
「アスナ、馬鹿な真似はよせ! お前にはまだ、力は使えない!」
俺は視線だけをレイドに移すと、手を上に突き出した。
「そんなこと、やってみなければわからない」
「わかる!」
レイドが俺の方へ駆け寄ろうとしてきた瞬間だった。俺は、身体が熱くなるのを感じた。
「癒しよ」
そう発すると、セリアスの攻撃によって傷ついた賊の身体に青い光がまとわりつき、次第にそれは淡い水の流れへと変わっていった。すると、不思議なことに身体の傷は水が消えるのと同時になくなっていった。
「お頭!」
「使えるな……この女。ますます欲しくなった」
俺は、一気に身体から力が抜けるのを感じた。でも、まだ気を失ってはダメだ。そう言い聞かせ、片足を地面にがくりと着きながらも、頭から目を離さなかった。
武力行使は絶対に許せない。
でも、力は力でも……ひとを癒す力なら、あってもいい。
そう思った俺は、ふと笑みを浮かべた。俺にも出来ることがあった。戦争の発端ではなく、戦争を止めるための道具になら、なってもいい。むしろ本望だ。
「女、部下を治してくれたこと、感謝するぜ……だが」
頭は剣の切っ先を俺の顎に触れるか触れないかのあたりで止め、レイドたちに目配せを送った、「動くな」ということだろう。
「お前を人質としてもらっていくことに、変わりはないぜ?」
「ダメだ!」
異論を唱えたのはレイドだった。しかしこの状況、下手に動けないらしい。それは、クレハもセリアスも同じだったと思う。レイドは持ち前の美声の低音ボイスをさらに低くし相手を脅すように、凄みを利かせて頭と向き合った。
「その女を放せ。放さないというのなら……お主らを殺す」
なんて物騒な物言いだ。どちらが賊か分からなくなってしまう。けれども、レイドがそれだけ俺を守ろうと必死だということは伝わった。そして、おそらくは本当にそれだけの力を持っているであろうことも……。
レイドは、この国の神様だ。クレハとセリアスとは違い、レイドはこの旅に剣を持ち合わせては来なかった。つまりは剣がなくとも、こういった事態が起きても対処できると踏んでいたということだ。道中くせ者が現れることだって、きっと想定されていたはずだ。だからこそ、武官であるクレハが同行してきたんだと思う。
「レイド。手を出すな」
俺は静かにそう言った。そして、自分の喉を今にも切り裂きそうな剣の先を手でぐっと握った。皮と肉が切れ、血がにじみ出る。微かだが痛みも走った。
「俺を連れて行け。他の者に手を出すな」
「いい度胸だ、女。おい、連れて行け!」
「アスナ!」
俺に向けられていた剣が下ろされると、俺はその剣から手を放した。すると、下っ端が縄を持って俺の腕を後ろで縛り上げた。それを見てレイドは駆け寄ろうとする。
「レイド! いいから、大人しくしていろ。これで……」
視界が揺らいだ。力を使った影響だろう。もう身体を立たせておくことすら出来なくなったのだ。手を縛られているため、僕はがくりと地面に横たわった。
「レイド、巫女様を!」
クレハの声が聞こえた。けれども、僕がわずかながら残った意識で「来るな」と命じると、レイドはそれ以上近寄ろうとはしなかった。それは、クレハ、セリアスも同じだった。
巫女が一番の権力者だったからだろうか。それとも、賊の手中に僕が捕らえられたから、下手に動けなくなったのだろうか。
どちらにせよ、これでレイドたちは戦わなくて済んだし、幻炎国との戦争も回避されることだろうから、僕は満足げな笑みを浮かべ、意識を手放した。そしてこのまま目を覚ましたとき、いつもの自分の布団の上だったなら、なおさら言うことはないと思った。
これはきっと、夢。
そう、夢物語なんだ。
やっと、いつもの日常に戻れる……ただ、そう、思った。
周りは緑に囲まれていた。けれども、獣道というわけではない。舗装さえされていないものの、馬を走らせるには充分な道があった。視界だって悪くはない。そして、近頃賊が頻繁に現れているという情報も得ていたため、注意深く道中進んでいたはずだった。
それなのに、なぜこのような事態になってしまったのか。
賊を直ちに切り捨てるべきだったのか。
それとも、巫女を止めるべきだったのか。
今となっては、どちらが正しかったのか分からないが、現状は「巫女がいない」ということだ。喋っていた言葉からして、賊が幻炎国の領土から来たものではないということは分かっているが、どこに隠れ家があるのか、定かではないのだ。安心は出来ない。
「どうすんだよ、巫女が居なけりゃ幻炎国には行けないぜ?」
国王セリアスの言うとおりだった。やはり私が先陣を切って、賊を始末するのが最善だったと思われる。
「レイド」
私は先ほどから木にもたれかかり、虚ろな眼差しを送っているこの国の神に声をかけた。彼は巫女と繋がっている。本来なら、巫女の居場所を把握出来るものなのだ。しかし今は、巫女が力を使いきり、弱っているため、その力の波動をつかめずに居るらしい。そのことをじれったいと感じているのか、私たちの方に近寄ろうとはしなかった。元々レイドは、無口で無愛想で、誰とも接点を置こうとはしない性格なのだ。
「……」
案の定、声をかけたところで返事は返っては来なかった。これからどうすればいいのか。それはもう、巫女の力の回復を待ち、レイドが居場所を探り当てるのを待つしかないだろう。
王佐ミラシカは幻炎国に攻め込まれることを心配し、一刻も早く進軍をと考えているようだったが、幻水国に入ってくることがたとえ出来たとしても、あちらの隊だって巫女が居なければ力は使えないし、炎神だけで国を滅ぼせるものなら、とっくにしているだろうから、私はそれほど焦ってはいない。ただ、巫女の安否だけは気がかりだった。
(そういえば……炎神は幻水国で力を使っていたそうだけど、レイドより力は上ということなのかな)
レイドは巫女の力を借りなければ、他国で力を使うことは難しい。しかしそれを敵国の神はやってのけたのだ。
(炎神……レジェン、か)
私はふっと息をつくと立ち上がり、陛下の方に歩み寄った。そして、腰を下ろして耳元で囁く。
「陛下。私が探しに参ります」
「クレハが……か?」
非常食にと用意した干し芋を口にほおばりながら、陛下はにやりと私の方を向いた。
「行くのなら、オレも行く」
私は首を横に振った。セリアスの剣術は、確かに長けていた。だが、人数が人数。万一のことを考えると、得策ではないと考えたのだ。陛下にはレイドと共にここで待っていてもらったほうが、私としても動きやすい。巫女救出のみに徹しればいいわけなのだから。
「今の私」には神水力はない。しかし、その代わりというのもおかしな話だけれども、剣の腕なら誰にも負けない自信はあった。
「陛下はレイドと共にここに居てください」
「だけど、巫女の居場所なんてどうやって探すんだよ」
それが問題ではあった。巫女の位置を把握できるのは、神であるレイドだけだ。だが、レイドは先ほどからだんまりを決め込み、あさっての方を見ている。まるでもぬけの殻だ。
「レイド……おおよその場所だけでも、分かるのならば教えてもらえませんか?」
レイドは視線だけをちらりとこちらに向け、再び空へと視線を送った。
「アスナは自ら行ったんだ」
拗ねた子どものようだった。置いてけぼりをくらい、しょげているのだ。こんなにも可愛らしい神がどこに居るかと、僕は不謹慎だと思いつつも内心では笑っていた。
「武力行使を嫌っただけでしょう? いいんですか? このまま賊に渡しておいて」
するとレイドは、つり目を光らせ声を荒げた。
「いいわけがないだろう!」
もう巫女を諦めたわけではないということが分かっただけでも、収穫だった。とりあえず、早いところ巫女を見つけ出さなければ、身売り市場にでも放り出されてしまう。力を使っているときこそ瞳の色が変わるが、普段は黒髪黒目とこの世界にはない容姿をしているんだ。高値の売買が予想される。
「早くしなければ、身売りにでもあいますよ」
「俺が行く」
レイドはもたれかかっていた木から身体を離した。巫女のもとへ、白の空間を使って行こうとしたのだろう。それを察知した私は、レイドの手を掴んだ。
「待ってください、レイド。私も行きます」
レイドは不機嫌そうに呟いた。
「何でだ。俺ひとりで充分だろう。あれくらいの賊、力で軽くねじ伏せられる」
レイドの神水力は、巫女ほどではないにせよ、確かなものだった。神なのだから当然といえば当然なのだが……。レイドは、かなり「今度」の巫女に肩入れをしているようだった為、私はレイドひとりで行かせること……いや、レイドを行かせることには反対だったのだ。
変に肩入れされては、行動をする上で邪魔になる。私情は戦場において最も邪魔なものだ。
「レイドは陛下と共にここにいてください」
「お前ひとりでどうやってアスナのところへ行くつもりだ」
私はレイドに向かって右手を差し出した。剣だこが出来ているが、しなやかに指が伸びた、女性のような指だとよく言われる。色も白い。
「手がかりになるものを持っているでしょう? たとえば……その首飾り」
僕はレイドが首からかけていた青い石がぶら下がっているネックレスを指差した。ほのかに青色の光を放ったそれは、ただの鉱石ではないことがうかがい知れる。そしてそれは、本当に微かだが、一筋の光の道を作り出しているのだ。先ほど、レイドがひとり遠くを見ていた方向を示している。
「この方向の先に巫女がいるんでしょう? 違いますか? レイド」
レイドは舌打ちした。そして、首飾りをぐっと力強く握る。まるで「これは俺のものだ」と訴えているかのようだ。それは、首飾りだけを示しているのではない。巫女さえも、レイドのものだと訴えかけているようだった。
「レイド、キミには私の邪魔をする権限はないはずだよ?」
僕はにこりと微笑むと、青色の瞳を光らせた。彼、レイドの色によく似た瞳の色だ。髪の色も同じ漆黒。背丈さえ同じなら、双子にも見えるかもしれない。
「……」
レイドは口ごもった。事実だからだ。
「その石を私に渡してください」
「おいおい、クレハぁ。提案なんだけどさ」
これまでひとり道端に座り込み、石を投げたり草をむしったりしながら時間をつぶしていたセリアスが、よいしょと立ち上がるとズボンに着いた砂を手で軽く払い、言い合いを続けていた私たちの方に歩み寄ってきた。
「三人で行けばいいんじゃないの?」
私は腰に携えている剣に手を触れさせながら、頭を傾けた。一番厄介な展開になったと思わず不適な笑みを浮かべた。陛下を守りながら巫女のことで頭がいっぱいな神様を気にしつつ、賊を倒して巫女を救い出す……いや、巫女のことだ。賊に向けて剣を抜いただけでまた「戦争反対」とでも言い出すのだろう。
「困ったひとばかりですね」
私はついに本音をもらした。すると、セリアスは面白いといわんばかりに声をあげて笑った。
「クレハ、お前がてこずるとは……今度の巫女はやってくれるじゃないか」
「そうですね」
私はくすりと微笑んだ。
「陛下、危険を察知したら、巫女や私たちのことは無視してひとりで逃げてくださいね? あなたが捕まったら、それこそ話がややこしくなります」
「わーってるよ」
本当かどうかはさておき、私はひとり機嫌の悪いレイドの背中を二度軽く叩いた。落ち着きなさい……という意味をこめている。しかし当人にとってそれは逆効果だったようだ。
「俺に触れるな」
「はいはい。では、行きましょうか」
私は茶色の毛並みを整えた馬の手綱を引き寄せ、ひょいと乗馬した。それを見てセリアスは白の馬に乗り、二、三歩馬を歩かせた。そして、馬の首元を優しく撫でている。彼には動物を愛でる習慣があった。
「レイド」
「分かっている」
私が声をかけると、レイドは漆黒の馬にまたがり、私とセリアスの前まで馬を進めた。そして、賊が逃げていった森の方を指差し、こちらを振り返った。
「あっちだ」
そして僕たちは、巫女を救い出すべく走り出した。風が湿り気を帯びている。これは、一雨降るかもしれない……と、天気を気にしつつ巫女のもとへと急いだ。
私たちは巫女と違って乗馬はなんてことはない。馬のわき腹を打ち、少しでも速くスピードが出るよう走らせた。先導するレイド、そしてセリアスを二番目に走らせ、最後尾は私がつとめた。国王を最後尾につけるわけには行かない。後方から敵が攻めてきたときのことを想定しての隊列だった。
音がする。ぴちゃ、ぴちゃって雫が滴れる音。あぁ、雨が降ってるんだと僕は思った。ひんやりして、身体が冷たくなっている。僕はどれくらいの間眠っていたんだろう。
「ついに、目が覚めたのかな……」
僕はゆっくりと目を開けた。そこはきっといつもの見慣れた僕の部屋で、僕はベッドの上で布団を被って眠っているはずだった。
はず、だったのに……。
「よう、お目覚めかい? お嬢さん」
目に入ったものは、白いターバンを頭に巻いた、顎鬚のおじさんの姿だった。
「な、まだ夢は終わらないの!?」
僕は起き上がろうと顔を上げるものの、すぐに体勢を崩してその場に倒れこんだ。湿り気を持った土が顔にまとわりつく。両手の自由が利かないし、よく見ると両足も縄で縛られていることに気づいた。
これが夢の続きだとすれば、僕は賊に捕まったんだ。ここはどこだろう。賊のアジトだろうか。レイドたちは、どうしたのだろうか。
「夢? 何言ってるかわからんが、お前は何者だ」
賊の頭と思われる、そのターバンの男は酒樽から白濁とした液体を搾り出すと、ごくりと飲み干し、僕に興味ありげな顔でそう問いかけてきた。
「何者って……単なる女子高生だよ」
「じょしこうせい? 何だそれは。聞いたことがないな」
この世界には、学校というものが存在していないようだ。そういえば、幻水国のお城へ行ったときも、ミラシカが制服姿の僕を不思議がっていたことを思い出す。
「あの……ここ、どこですか?」
「なんだ? さっきと随分と態度が違うじゃないか。 怖気づいたのか?」
あぁ、「俺」モードが解除されたから、温和に見えるのかと僕はひとり納得した。しかし、そんなことをこんな初対面のひとに説明したところで通じるわけもないと思ったので、僕はあえて聞かなかったことにした。
「僕と一緒に居たひとは?」
ターバンの男は、再び酒を一杯飲み干すと、にやりと笑みを浮かべてみせた。
「さぁな。それより、自分の身の心配をするこったぁ」
ごもっともな発言をありがとう。両手両足の自由が利かないとなると、さすがに夢の中の出来事とはいえ、不安になる。それほどきつくは結ばれていないけれども、とても非力な女子の力で切れるほどの縄ではなかった。
「悪いことは言わないから……こんな真似、止めたほうがいいよ」
平和主義者の僕としては、当然の意見だった。だが、賊はこうして生計を立てているのだろう。賊になったことのない僕には、もしかしたら口を挟んではいけない領域があるのかもしれないと思った。
でも、こんな人攫い……していいはずがない。
僕は横たわったまま、顔だけを頭の方に向け言葉を続けた。
「あなた、名前は?」
「名前を名乗るならお前が先だろう?」
そういえば、下っ端はどこへ行ったのだろうか。見渡す限り、今ここに居るのは僕とこの頭だけだった。周りは暗い。洞窟の中に居るようだった。
「僕はアスナ」
「俺様はシルフだ」
あぁ、また覚えなければならない名前が増えたと心の中で頭を抱えた。シルフは、白髪混じりの顎鬚を伸ばしているけれども、顔に張りはあるし、髭さえそればまだそれなりに若いと思われる。その若さであの人数の頭をしているとは、よほどの人望があるのか……それともセリアスみたいに、剣の腕が立つのか。
だからといって、賊を肯定するわけではないんだけど。
「シルフ。僕をどうするつもり?」
「お前は不思議な力を持っているみたいだからな。高く売り飛ばしてやる」
やはり身売りですか。もしかしたら、下っ端は今、取引先を探しているのかもしれない。僕は少し、心細くなった。今まではレイドがすぐ傍に居て、手を伸ばせば届くところに居てくれて、僕が不安になったら真っ先に手を差し伸べてくれていたんだ。
離れてみてから気づく、ありがたみというものは大きいと知った。
「安心しろ。お前は必ず高く売れる。傷物にはしないからな」
「安心できるものか! だったらこの縄を解いてよ!」
僕は歯を食いしばった。こんなときに力が使えれば便利なのにと毒づく。今の僕は、力を使ったばかりで、眠気もまだ引かない……そんな状態だった。
雨音は次第に激しくなり、冷たい空気が流れ込んできた。洞窟の中なので、身体が濡れることはないのだが、それでも寒いし、何せこころが満たされず、孤独感でいっぱいだった。
自分で選んだ道なのにね。
たったほんの少しみんなと離れただけで、こんなにもこころ寂しくなるものだなんて。
「お頭!」
そのときだった。身体を濡らした手下が三人、洞窟の中へと入ってきた。僕はそれを横目で見ながら、何事かと身体をこわばらせた。夢の中の出来事とはいえ、僕はただの一般高校生。こんな経験したことがないのだから、怖くないはずがないのだ。正直不安でたまらない。
「この女の連れが、こっちに向かってきています!」
「なんだと!?」
それを聞いて驚いたのは、頭だけではない。僕もだった。一体どうやってこっちに向かってきているというんだろうか。こっそり後をつけてきたのか? でも、それだとしたら助けに来るのが遅すぎる。
僕が居なければ戦争は起きない。そう思って身を差し出したものの、いざ自分が孤立してみると、自分の命も惜しくなるものだった。戦争で失ってはいけない命、それには、自分の命も含まれているんだということを、僕はこのときはじめて悟った。
戦中の日本では、特攻隊というものがいた。お国のためにと、戦争相手の戦艦に向かって飛行機で自爆するという、なんとも嘆かわしい部隊だった。未来のある、若者が多かったと聞いたことがある。「天皇万歳」そういって、片道分しかない燃料で飛び立つ飛行機に乗る兵隊さんたちは、内心では「お母さんごめんなさい」と、遺書を綴っていた。
みんな、生きたかったんだ。
誰かのために犠牲になる……それもまた、戦争なんだ。
「いいか、この女は貴重だ。逃がすわけにはいかない。ジェンタ、キッシ。お前たち、何とか食い止めろ!」
「へい、お頭!」
無造作に肩まで茶色の髪を伸ばした青年と、頭を刈り上げている青年が頷き外へ再び出て行った。どちらがジェンタでキッシかは分からない。
そんなことより、仲間といえばレイドたちのことに決まっている。自分を追ってここまで来てくれた……そのことが、何よりも嬉しかった。自分から突き放しておいて、こんなことを思うのはお門違いかもしれないけれども、僕は嬉しくて嬉しくて、先ほどまでの不安でいっぱいだったこころは、安堵感で満たされていた。
「雑木林が続きますね……この先ですか?」
私たちは、行く手を邪魔する枝を避けながら、一歩一歩進んでいた。馬は、少し後ろのところに繋いである。あまりにも獣道が険しくなったので、馬ではこれ以上進めなくなったのだ。
馬から降りて、もう一時間近く歩いている。剣を持っていないレイドが今は最後尾につき、私が先陣を切り、剣で行き道を塞ぐ枝を打ちながら進んでいる。
「あぁ、この先だ。光が強まっている……近い」
足場を固め、枝を打ち払い、セリアスが歩きやすいような道を作りながら歩いているとはいえ、セリアスがこれだけ長時間獣道を歩く経験はこれまでなかったので、陛下の体調を不安に思っていた。
「陛下、大丈夫ですか?」
「あぁ? オレは平気だ」
その声には張りがあった。まだまだ大丈夫そうだ。私はにこりと微笑みながら剣を振るった。
そのときだ。日が傾き暗くなった先の向こうで人影が動くのが見えた。それが巫女の姿だとは思えないが、巫女をさらって行った賊の姿である可能性は高かった。暗くなってきたのをいいことに、動き出したのだろうか。こちらとしては好転だ。
ただ、これがフェイクという可能性も秘められていることを忘れてはいけない。私たちが後を追ってきたことを察知した賊が、巫女とは別の方向へ誘導しているとも考えられるのだ。いや、むしろその可能性の方が高い。
もっとも、私たちはどれだけフェイクをかけられようとも、レイドが居る限り、巫女の正確な位置を把握できるのだから、問題はないのだが……。
「レイド、見えましたか?」
「今の賊のことか?」
やはり賊の姿だったようだ。レイドの視力は神というだけあって、かなり優れている。人間の視力と比べると、桁外れだった。それは、闇夜が近づくこの時間帯でも変わらない。
「浅はかだな。あんなことで俺の目が誤魔化されるか」
「それは、レイドが神だと知らないからだろ?」
けらけらとセリアスは笑いながら、僕の後ろについて歩いてくる。その足取りもしっかりとしている。
幻水国は、内乱こそあれまだ一度も他国と戦争というものをしたことはなかった。
故に、セリアスはまだ一度も戦場というものを経験したことがない。
内乱を抑えるには、幻水国の軍隊が指揮を執り行われていた為、国王であるセリアスが直接戦地に赴くことなどはなかったのだ。国対国の戦争ならば、国王も強く関わりが出てくると思うが、ただの民間人同士の争いごとに、いちいち国王が赴いていては、それこそ事を大きくする結果となるのだ。
一方私はというと、私はミラシカのような文官ではなく軍人だ。何度か争いの鎮圧を図るために戦地へと駆り出され、実戦を積んでいる。これぐらいの獣道はわけないし、むしろ実力を発揮できるというものだ。
確かに、レイドのような視力を持ち合わせていないから、薄暗くなればその分周りは見づらくなるけれども、相手の気配くらい察知できる。そういった能力は、正直レイドよりも長けていると自負している。
巫女を持たなかったレイドもまた、セリアス同様戦場には出たことがないのだ。
もっとも、このような賊相手のいざこざを戦争と呼ぶには少々大げさな気がするのだが、こんなところであの「平和主義」な巫女様の影響が出ていることに気づき、私はうっすらと笑みを浮かべた。私はほとんど巫女と接触をしていないのだが、巫女様の影響というものは強いらしい。
それとも、あの巫女だからこその影響力なのかもしれないが……。
レイドはずっと、巫女を探していた。神は、巫女の力があって初めて真の力を操れる。しかし、レイドの巫女はなかなか現れはしなかった。故に、敵国といわれ続けてきた隣接している幻炎国との間でも戦争は起こらず、何年もの間「待機」を双方の国がしてきた。
なぜレイドの巫女は現れなかったのか……いや、なぜレイドは巫女を選ばなかったのかという方が正しいのかもしれない。実は、巫女には誰もがなれる資格を持っていた。異世界からやってくるという言い伝えこそあったものの、歴代の巫女はこの国のものだった。
ただひとりを除いて……。
「あそこだ」
レイドが声をあげた。雑木林の先には川が流れており、そのすぐ傍には洞穴があった。そこから巫女の力を感じるようだ。
「待て!」
雑木林を抜けたばかりの私たちを、数人の男が取り囲んできた。先ほどの囮作戦でうろついていた男も含めてだろうか。巫女をさらいに来たときの人数よりは数が少なかった。あの洞窟の中で陣取っているのだろうか。それとも、身売り市場へ手下を運ばせていたのだろうか。
巫女がさらわれてすぐに動き出さなかった私たちを見て、頭は巫女を私たちが手放したと楽観視した可能性は高い。そして、万が一助けに行こうとしたところで、あれだけの雑木林の中を慣れた足で駆け出していけば、私たちを振り切り、まくことが出来ると考えたのだろう。あんな中で見失ったら、普通ならば元来た道へたどり着くだけでも困難だ。
「なぜここが分かった!」
「それ、答えると思いますか?」
私は笑みを浮かべると同時に、セリアスに向かって待ての合図を送った。先ほどの騒動のときでも、セリアスは率先して敵を切り倒していた。戦地での経験はなくとも、国王の、皇族のたしなみとして、幼き頃から剣術指南は受けていた。しかし実戦は練習とは違うもの。あそこまで活躍できるということは、セリアスにはそれだけの素質があるということだ。
しかし、今回の巫女は争いごとをことごとく嫌う性格でいらっしゃる。先ほどの斬りあいの際でも、結局賊の手傷まで治してしまっているのだ。そんな巫女が近くに居るというのに、再びあのような斬りあいをするということは、得策だとは思えなかった。そのことを、レイドは分かっているようだ。
「やれ!」
ひとりの男が声をあげた。すると、同時に私たちの方に向かって数人が斬りかかって来た。
「クレハ、抜刀しないつもりか? オレたちがやられるぞ?」
「レイド、陛下を守っていてくださいね」
私は剣を鞘にしまうと、声をあげた男に向かって走り出した。意表をついた行動だったのか、男はたじろいだ。その隙を狙って相手が振りかぶった剣を横に交わすとすぐさま左手に拳を作り、男の鳩尾に一発を入れた。軍人にしては線の細い私だが、力は割りとあるほうだった。男は息苦しそうに足元から崩れ落ち、剣を手放した。手放された剣は宙を舞い地面へと落ちようとしたが、その瞬間に僕が手に取り剣をしっかりと握り返すと、今ここでのリーダー格が倒れてしまったため、賊たちは次なる行動へ移すことが出来ず、どよめいていた。
少人数で多勢を相手にするならば、頭を叩けばいい。
それは、誰もが知る争いの鉄則だった。
「き、貴様ぁ!」
別の男が私に向かって剣を突き出してきた。今の行動で、どうやらここに居る賊は私を標的とみなしたらしい。レイドとセリアスの方には賊が配置されていないところを見ると、この賊のレベルが計り知れた。たいしたことはない。私は目配せでレイドにセリアスと共に巫女のもとへ行くように合図を送ると、レイドはそれを承知したようで、足音を立てないようしなやかな動きでセリアスと共に洞窟の中へと入っていった。
それを確認すると、私は思う存分動けるというものだ。賊から奪った剣を軽くひと払いすると、まずは突き出された剣の切っ先をギリギリのところで後ろに飛び退いて交わし、すぐさま前に出された剣を己の剣を以ってして遠くへと弾き飛ばした。キン……という金属音が耳元で鳴った。剣を失くした男は僕に恐怖を覚えたのか、おずおずと後退していく。
「さぁ、今度は誰が私の相手をしてくれるのかな」
私を取り囲んでいた男たちが一斉に駆け出してきた。そんな境地に立たされてもなお余裕で居られるほど、私は弱くはなかった。
僕を追って来たって言って、下っ端をレイドたちの方へ向かわせたみたいだけれども、レイドたちは無事だろうか。いざこざが起きていなければいいんだけど……と内心心配したが、いざこざが起きていないわけがないと、すぐに冷静さを取り戻した。
僕はというと、お頭の横で未だ横たわっていた。傷などは負っていない。「賊」と聞くと手荒くて、女、子どもにも容赦はしないというイメージがあったけれども、このひとは、僕に手をあげようとはしなかった。それは、僕がいい「商品」だったからかもしれないけれども……。
「ねぇ、お頭。悪いこと言わないから、僕を解放した方がいいよ?」
すると、お頭は馬鹿げたことをと言いたげな笑みを浮かべた。
「お前は自分から俺たちのものになったんだろうが。黙って捕まってりゃいいんだよ」
確かに、これは僕が選んだ道だ。幻水国と幻炎国との戦争を回避させるためにとった道だった。しかし、このままでは賊とレイドたちとの間で再び争いごとが起きてしまう。先ほどの様子を見た限り、クレハとセリアスは強かった。きっと、賊の誰よりも強いと思う。あの時は僕が居たから、途中で争いを止めさせられたけど、今はその現場に僕が居ないんだ。問答無用で斬りあいが起きていたら、死者が出る可能性だってあるんだ。
戦争に、大きいも小さいもない。
死者の数に、多いも少ないもない。
ひとの命は、ひとつ、ふたつと数えるものではない。
「頼むから。言うことを聞いて。僕を仲間のところに連れて行って!」
誰かが傷つくのを見るのなんて嫌だ。知らないところで傷つくひとがいるなんて、もっと嫌だ。助けられるかもしれないのなら、その可能性に賭けたい!
「アスナ!」
「……!?」
驚いたのは、お頭だけではなかった。聞き覚えのある低音の美声。そして現れたのはその声の持ち主である黒髪に空色の瞳をした水神レイドに、この国の国王、セリアスだった。
「レイド! セリアス!」
「ちっ……あいつら、しくじったな」
お頭は僕をさらに奥へとつっ込むと、前にはばかり僕とレイドたちとの間に壁を作った。
縄で縛られている僕を見て、レイドはカっとなったらしい。目の色をかえ、鋭い目つきでお頭を睨んだ。
「アスナを放せ。そうすれば、命までは取らん」
またもや物騒なことを言うと、僕は内心で嘆いた。この世界にやってきてから、まだ間もないというのに、やたら物騒な目に遭うし、物騒な言葉を耳にする。本当に僕は日本という平和ボケな世界で生きていたのだということを、改めて実感するのだった。
片やセリアスは、この現状を楽しんでいるかのようで、剣を抜いてはいないものの、いつでもやりあえるといった表情をしている。レイドの緊迫した目の色とは違い、嬉々とした目をしていた。何事も祭ごとだと勘違いしているのではないかとこれまた毒づいた。
「一歩でも近づいてみろ。この女、この場で処刑したっていいんだぜ?」
物騒な会話はなおも続く。しかしここで、僕はあることに気づいた。ひとり、欠けているじゃないか。クレハは……彼はどうしたんだ! 賊の一味も戻ってこない。もしかしたら、クレハひとりが相手をしているのかもしれない。
いくら腕があったって、さすがにひとりで相手をするのには無理があるのではないかと、僕は内心不安になった。
「レイド、クレハは!? 無事なの!?」
お頭に、うるさいと小突かれるも、構わず僕はクレハの安否を気遣った。するとレイドは、静かな声で答えた。
「他の賊を相手にしている。あいつのことだ。無事だろう」
……だろう、という言葉に不安を覚えたものの、どこか説得力のあるレイドのその言葉を胸に、僕はクレハの無事を信じることにした。今はこの場を何とかするほうが先だ。
レイドには、口をすっぱくして「断固戦争反対」ということを言ってきた。だから、レイドがこのお頭に手をあげる可能性は低かった。この場に来て、剣を抜いていないセリアスを見ても、僕の意志が通っていると感じられる。そうなると、物騒なのはこのお頭ただひとりだ。案の定、腰に携えられていた剣を抜き、レイドたちを威嚇しはじめている。
「何を悠長に談話している! 女はこっちの手中にあるんだぞ!」
お頭は僕の方に向かって一歩後ずさった。そして、レイドたちに向けていた剣の切っ先を僕の首に向けた。それ以上近づいたら、僕を殺す……という意味だろう。僕は少なからず恐怖を覚えた。単なる一般女子高生だ。手足の自由を奪われ、さらに剣まで向けられ怖くないはずがなかった。
「アスナ……どうしたい」
「えっ……?」
レイドから出た言葉。それは、意外な言葉だった。どうしたい……どうしたいって、この場をまるく収めたい。でも、その前に僕は……。
「レイド……」
僕は……。
「助けて!」
目をきゅっと瞑り、僕は叫んだ。
目を瞑っているから、レイドがどんな表情したかは分からない。
でも、なんとなくだけど、今レイドは優しい笑みを浮かべている……。
そんな気がしたんだ。
「な、なんだ!?」
何が起きたのか、僕にも分からなかった。目を瞑っていても入ってくる強い光。真っ白に近いけれども、微かに青を帯びている。そんな感じの光が目を刺激してくる。だけど、怖い感じはしなかった。むしろこの感じは、どこか暖かくて懐かしい……そんな光だ。
「レイ……ド?」
僕はゆっくりと目を開けた。すると、そこには眩い光を帯びたレイドの姿があった。青白い光を身にまとい、風がないのに髪が光と共に揺れている。目はきりっとしているが、その瞳は優しいブルーが輝いている。
「アスナを解放しろ」
「化け物め……そうはいかん!」
お頭が剣をレイドに向けた。するとレイドは、右手を剣の方に向けてかざした。
「我が名はレイド……アスナに仕える、神だ」
そしてそのかざされた手からは、水の塊が放たれた。龍のようにうねり、お頭の剣を巻き取った。
「なっ……!?」
突然の出来事に驚くものの、剣を簡単には手放さないのがお頭の力量というものだろうか。龍のようにまとわりつく剣の柄を必死に握りながら、僕のほうに向かって一歩後退した。
「何だこれは!?」
龍は未だ止まらない。剣を握るお頭の手さえも飲み込む勢いで絡み付いてきた。その様子を見てさすがのお頭も剣を手放した。すると、その様子を見ていたセリアスがすぐさまお頭に近づき、剣を奪い取った。国王とは思えない働きだと僕は思った。
「これが巫女を得た水神の力か……」
「巫女? 水神?」
お頭の頭の中には、ハテナマークでいっぱいだったのだろう。疑問符を浮かべて威嚇するべく道具をなくしたと思われたお頭は、僕の隣までやってきて、しゃがんだ。僕は解放されるものだと思いほっとしたのだが、そうは問屋がおろさなかった。袖の下に隠し持っていた小型ナイフを取り出すと、再び僕に刃を向けた。こんな普通じゃない状況に置かれても僕を手放さないとは……それほど僕に価値があるのだろうか?
「巫女っていやぁ、あの伝説の巫女か!?」
伝説? そういえば、ミラシカは巫女は別世界からやってくる……なんていうことを、初対面のときに言っていたことを思い出した。この世界には、巫女がやって来て神と契約を交わし、戦争を起こすという慣わしがあるのだろうか。もしもそうだとしたら、本当に巫女とは物騒な存在だ。
「おい、巫女様よぉ。会ったときみたいに何か力出して、こいつらおっぱらってくれよ」
「シルフ……それ、僕にレイドたちを攻撃しろっていっているの?」
冗談じゃない。たとえこの夢の世界の中で僕に力があったからといって、それは誰かを攻撃したり、傷つけたりするものであってはならないんだ。僕はそのことを、サンを攻撃したという事実から学んだんだ。僕は首を横に振った。
「やらないと、お前が死ぬことになるぞ?」
「殺させるわけがないだろう?」
その声は、とても近くから聞こえてきた。お頭……シルフも僕に気を取られていた気づかなかったようだ。僕たちの背後にレイドが回っていた。まだ、青白い光を帯びたままだ。
「水よ」
レイドが右手の人差し指をくいっと上に向けて上げた。すると、水で出来た刃が僕の自由を奪っていた縄を順番に切っていった。僕を傷つけないように、慎重にレイドが術を操っているようだ。僕にはこのような細かい芸は出来なかっただろう。
自由が利くようになった手足で身体を支えると、僕は四つんばいになり、シルフから向けられるナイフの切っ先を意識しつつも、声を絞って叫んだ。
「レイド!」
今度は目を開けているから、はっきりとわかった。レイドが優しく微笑んでいる様子が……。その微笑を見ると、僕は心から安心してこの場を任せられると思ったんだ。
「動くなよ、神様!」
シルフが刃で僕を攻撃しようとしてきたところだった。寸でのところで僕の目の前で刃が舞った。同じく息を潜めて僕に近づいていたセリアスが、シルフから奪った剣であの手のひらサイズしかないナイフを弾き飛ばしたんだ。
「こっちにも助っ人いること、お忘れなく」
にやりと笑みを浮かべるセリアスは、得意げに剣を投げまわし、洞窟の入り口の方に向かって飛ばした。
「セリアス!」
「ちっ……」
舌打ちするシルフには、もう為す術がなかった。参ったと言わんばかりに両手を上に上げ、深く息を漏らした。涼しい風が入り口から入ってくる。湿り気を帯びた土の香りが鼻を刺激した。その香りが、なぜかとても懐かしく思えたんだ。
「立てるか? アスナ」
「あ、うん……ありがとう、レイド。セリアス」
僕はレイドに補助してもらいながらゆっくりと立ち上がった。服についた砂埃はレイドが優しく払ってくれて、はらりはらりとと砂が落ちていった。
「まったく……世話が焼ける巫女だなぁ」
「ごめんね、セリアス……あっ!」
僕は、肝心なことを忘れていたことに気づいた。僕たちの旅のメンバーだ。僕、レイド、セリアス……そして、クレハだ。今ここに、彼の姿はない。他の賊の相手をしていると言っていたが、たったひとりで複数人の賊を相手にして、無傷でいるだろうか。いや、そもそも生きているだろうか。僕は怖くなって、思わずレイドの方を向いて叫んだ。
「レイド、クレハは!? クレハのところに行かなくちゃ!」
「その心配は要りませんよ、巫女様」
そのときだった。タイミングを見計らっていたのか、入り口の方から身体も髪の毛も水で濡らした見覚えのある男が入ってきた。綺麗な黒髪から水が滴れ落ちている。前髪の間から除かせるブルーの瞳は、にこりと微笑んでいた。
「クレハ!」
シルフは驚いた顔をして見せた。手下の姿はなく、クレハひとりがこのアジトまでやってきたのだ。つまりは、クレハがひとりで片付けたということだろう。
「おい、貴様。俺様の部下はどうしやがったんだ」
レイドはシルフの動きに警戒しているようだった。武器をもう持ってはいないにしろ、力づくで僕にかかってこられたら、女の僕は男であるシルフには勝てない。剣などで威嚇しているわけではないけれども、レイドはきっとこういうのを間合いというんだろう。シルフとの間に一定の距離を保っていた。
「部下の方には眠っていただいていますよ……あぁ、もっとも」
黒髪の男、クレハは僕の方を向いて再び微笑んだ。そして僕に言い聞かせるかのように言葉の後を続けた。
「誰も怪我はしていませんから、ご心配なく」
どのようにしたら、誰も怪我をしないで争いが鎮まるのだろうかと僕は驚いた。クレハは王宮に仕える武官だし、そこいらの賊なんか相手じゃないのかもしれないけど……。しかし、賊の人数を考えると、たったひとりでこれまで戦ってきたんだ。クレハの方がどこか怪我をしているのではないかと心配し、僕はシルフの動きに注意しつつ、ゆっくりとクレハの元に歩み寄った。
「クレハ……怪我は? 大勢を相手にしていたんでしょ?」
するとクレハは、「あぁ」という意外な言葉を耳にしたかのような表情を見せ、くすりと笑みを浮かべた。濡れた髪に手をやり、前髪をかきあげると、首を傾けた。
「心配は要りませんよ、巫女様。これぐらいでやられるようなら、国王直属の武官は務まりませんから」
確かにそのとおりなのだろう。僕は、「そっか」とぽつりと呟くと、一気に安堵感が押し寄せて来て、その場にへたり込んだ。賊……といっても、割と礼儀正しかったけど、一応その頭であるシルフからも解放され、仲間がまたひとつの場所に集結したことで、張り詰めていた何かが緩んだんだ。ひぐらしのような鳴き声が洞窟の外から聞こえてくる。夜が更けてきたんだ。
「大丈夫か、アスナ……」
もう、青白い光はまとっていなかった。いつものレイドだ。ちょっと仏頂面の、でも時折見せる優しい微笑みがなんとも言えない彼の瞳には、疲れきった僕の姿が映っていた。
「うん、平気……ちょっと、疲れた、だ……け」
意識が遠のくのが分かる。目が半分閉じかけた……と同時に、セリアスが僕の背後に回り、僕の身体を受け止めた。そして、疲れが溜まって力の抜けた僕の身体はセリアスの腕の中におさまる。レイドは、面白くなさそうな顔をしていたが、シルフの動きに警戒しているようで、僕との距離よりも、シルフとの距離間を保っていた。
「巫女……いいから眠ってろ。馬の場所まで、負ぶってやるから」
セリアスがそう言うと、僕は国王にそんな真似はさせられないと首を横に振った。眠気が増す目をごしごしと手でこすり、ぼやけた視界の中で言葉を紡ぎだした。
「ダメ……セリアス……疲れて、る。僕……歩くにゃ」
もはや口までしっかり動かなくなってきた。語尾がおかしくなっていることにも気づかず、僕はもごもごと言葉を続けていた……らしい。
結局僕はあの後すぐに、意識を手放し、セリアス……ではなくレイドに担がれて馬のところまで連れて行かれたそうだ。
目を覚ましたときはレイドの腕の中で、僕はこの至近距離に思わず顔を赤く染めると、すぐさま飛び起き立ち上がろうとした。しかし、レイドが僕の身体を放さなかったため、立ち上がることは出来ず僕は視線をレイドから離すだけで精一杯だった。
「まだ疲れているだろう? 慌てることはない」
辺りはすでに暗かった。レイドが慌てることはないと言ってくれるけれども、この一件で相当時間をロスしてしまったんだ。その責任は僕にある。確かに、多少の疲れはまだ残っているけれども、甘えてなんか居られなかった。
セリアスとクレハは、少し離れたところで、何かを話し合っているようだった。何を話しているのかまでは、あまりにも小声だったため、聞き取れない。ただ、珍しくあの楽観的な国王セリアスが真剣な顔をしていることが、気がかりだった。
「僕ならもう大丈夫だよ、レイド。ありがとう、色々と……」
本当に、レイドには色々と感謝しなくてはいけない。いや、セリアスとクレハにもだ。僕はゆっくりと目を閉じ、深呼吸をした。そして、にこりと微笑みレイドの顔を見た。営業スマイルなんかじゃない。自然と出てきた笑顔だった。
「行こう」
「わかった」
するとレイドは僕より先に立ち上がると、僕に手を差し伸べてくれた。その手を掴みゆっくりと立ち上がると、その様子を察知したのか、セリアスとクレハがこちらに向かって歩いてきた。
何の話をしていたのか、すごく気になるところだったけれども、ふたりは内容を話そうとはしなかった。僕には関係のないことなのか。それとも、言えないことなのか。何も分からないけれども、僕はなぜか聞くに聞けなかった。
「巫女様、もういいのですか?」
クレハはいつもの笑顔で僕の様子を窺ってきた。それに対して僕はこくりと頷き応えた。するとセリアスは、自分の馬と漆黒の馬の手綱を引いてレイドの方へやって来た。
「それじゃあ、行くか?」
「あぁ」
漆黒の馬の手綱をセリアスから受け取ったレイドは、先に馬にまたがると再び僕に手を差し伸べてくれた。そして僕はその助けを得ながら乗馬し、手元の綱を握った。
「では、参りましょうか」
僕は、左手に集中した。今は、赤い道しるべが出ていない。これが出ない限り幻炎国にはたどり着けないんだ。上手くコントロール出来るかどうかは相変らずわからなかったけれども、ちょっと前までよりは、力を使いこなせるようになってきている気がした。何故かは分からない。ただ、そんな気がしただけだ。
(お願い……力を貸して)
僕は目をぎゅっと瞑った。すると、レイドが僕の耳元で囁いた。
「感じるんだ……己の中にある力の流れを」
「力の……流れ」
僕は反芻した。そして、ふっと息を吐くと、どくんと脈が波打つのを感じた。身体が熱くなってくる。僕は左手に集中し、目をそっと開けた。
「お願い……僕たちを導いて!」
すると、左手から赤い光の筋がまっすぐに伸びた。前回よりもその光の色は、強まってると感じられるけれども、僕の気のせいかもしれない。ただ、なんとか光の道しるべを出すことに成功した僕は、ほっとして胸を撫で下ろした。
「よかった、これで進めるね! レイド、ありがとう」
「……」
少し面白くなさそうな顔をしているのは、やはり光の色が赤いからだろう。そのことを分かっているから、僕はレイドの反応を追究しようとはせず、セリアスとクレハの方を向いた。
「出発!」
にこりと微笑んだクレハは、颯爽と馬にまたがると、先頭を走った。続いてセリアス、そして僕たちの漆黒の馬が走りだした。