高貴な遊戯〜イマジナリードングリ〜
「星は降り月は照り枯れ木や木の実は業火に爆ぜるも森の中から出でる混沌たる闇は我らの四肢のみならず心をも束縛せん。ああ神よ、野営なんぞしたくない」
僕は駄々をこねた。
時間は三時間前に遡る。
「草原飽きました」
この一言が地獄の始まりを示していたんだ。七つのラッパの代わりに彼女のこの一言で僕の平穏で豊かなドングリドングリめっけっけライフは粉々に崩されたんだ。ドングリドングリめっけっけとは皆さんも知っている通りいくつかのドングリを用意して指の補助をもって平坦な場所に屹立させその大きさを競わせる、かの有名なドングリの背比べということわざの由来にもなった由緒正しき遊びだ。時刻や服装、体勢などのこれといった制約は無いが遊戯者には霊長類に相応しき広大な器量を要求される。健全なる魂に健全なるドングリは惹かれるのだ。このドングリドングリめっけっけは四年に一度世界大会があり、それで優勝すればドン•ドングリの称号を得られるのだ。そしてなんと賞金は日本円にして一億円。しかしその全てはドングリで支払われるために日本円に両替することも出来ず実質得られるのはその名誉と膨大な量のドングリのみである。そのドングリから最大全長のドングリを探し出して来年もまた優勝に漕ぎつけばよかろうという声も毎年毎年ドングリドングリめっけっけに参加も出来ん低俗な愚民共の口から放たれるが賞金は全てツブラジイというミニマム規格のドングリで渡されるためにそれは出来ぬようになっている。ドングリドングリめっけっけ世界大会賞金管理組合の抜け目の無さとドングリドングリめっけっけが高貴で高潔でスポーツマンシップにのっとった競技であることに脱帽し賞賛の拍手を厳かに送りたい。 そんな高貴で素晴らしい遊戯を大会では無いにしても行っていた僕を邪魔するということは罪深いのだ。なんてことをつらつらと彼女に語っていると知らぬ間に布の上に座らされ運ばれ森の中心地に来ていた。三時間はドングリドングリめっけっけについて語っていたらしい。西日が眩しい。彼女曰く今夜はここで野営をするらしい。これで冒頭に戻る。
「野営なんて嫌だ。なめているのか、そもそも恋人関係にもない男女がだな」
僕はつらつらと饒舌にまくしたててやった、僕のコミュニケーション能力ったら素晴らしい。しかしそれに比べて彼女はコミュニケーション能力が乏しいらしく、ろくな返答なんてせずにそこらから拾ってきたなんだか太くて強そうなヒノキの棒を片手に近くの木を鳴らしている。獣の威嚇行動に似たそれを見た僕はコミュニケーション能力が高いので黙っておいた。コミュニケーション能力とは空気を読むことでもあるのだ。