対話の顛末
突然のことだった。
「ごめんね。今日は友達に誘われて……」
「何をして遊ぶか? なんだか男の人と一緒に何人かでご飯を食べるらしいよ」
それって合コンってやつだよ、と言うと彼女は顔を赤くして「そうなのかな」と呟いた。
きっと彼女は彼女なりにこれまでと違う場所に踏み出すことに期待を抱いていたのだろう。
だんだんそういった男女のなにがしかを経験しながら大人になっていくことに対して私は一抹の寂しさを覚えながらも、受け入れなければならない現実だと思った。
私は彼女のことを『好き』だが、彼女は私のことを好きであっても『好き』ではない。
重々理解していたので彼女が大人の階段も一段目を上ることを止めはしなかった。しかしそれを隣で見守ることを想像すると息が詰まった。だから私は同行することを提案すらしなかった。
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「お、奏ちゃん。用事は終わったの?」
ドアを開けると四人が座れるテーブルがあり、そこに腰掛けた中野が気さくに話しかけてきた。私はそれに明確な返事をして部屋の中に入る。
「はい、何の話をしてたんですか?」
「そうだねぇ。真理ちゃんと楽しく談笑してたんだよね。最近できたお菓子屋さんとか」
「それはあなたが一方的に話していただけでしょう……。この人がいつまでたっても本題に入ってくれないんです。ほら、全員そろったんだからさっさとネットに書かれてる悪口について、その口上で演出過多気味に語ってくださいよ」
やけに打ち解けている二人を横目に竹内の隣に座る。中野がやけににこやかな表情を向けてきているのが気にかかるが、取りあえず無視して必要な情報を引き出すための会話に集中することにした、が。
「そんな炎上なんてどうでもいいじゃない。女の子に必要なのは笑顔だよ。ね、まりちゃ……」
「中野淡さん!!」
「……なにもフルネームで呼ばなくても」
竹内が珍しく怒鳴ると、流石に中野もひるんだ様子で多少しょんぼりしている。それにしてもこの人、話し方が口説いているようにしか聞こえないのだが……。見るからに女性なのに謎である。さらにその口説かれているのが小学生なのだから混沌が横たわっているとしか言いようがない。
中野は観念したように話し始める。
「まあ、あまり話すことがないというのも実情なんだけどね。僕の調べによってもこの騒動を起こした人物は特定できない。でも、一定の人間から竹内やなぎが嫌われているのは本当かもしれない」
「それはなぜ?」
「たった一人の共感を得ない書き込みがこんなに広がるとは考えられないからだよ。出火元が複数あるか、薪をくべる人が何人もいるか。このどちらかが自然だと思うけどね」
確かにいうことはもっともである。しかし、今竹内が眉をしかめていることから分かるように、竹内はこの結論には納得していない。竹内の家に行った時の会話を思い返しても、竹内は自分の姉が噂の内容に値することをしていないと信じて疑っていなかった。
「こうだって考えられるでしょう。誰か、どうしても姉を陥れたい人が多数のアカウントを使ってこの状況を盛り上げているとか」
「ありえなくはないけどねー。ただ、もしこのためだけにアカウントを作ったとしたらまあまあの労力だよ? 取りあえずそこまでしてやなぎさんの悪評を広めたい人がいるってことにはなるよね」
不特定多数ではないにしろ、竹内姉のことを嫌っている人がいるのは確かである、とそういう結論だろう。アカウントを複数作ること自体はネットで調べれば簡単にできることではあるが、確かにそこそこめんどくさい作業が必要だったはずだ。
ここまでの会話では特に新しい情報は出ていない。私は一つ確認しておきたいことがあった。
「ところでこの書き込みの内容ですが、『男に体を売っている』というのが複数見られますけど、これは根拠があるんですか?」
「ああー。奏ちゃん、そこ聞いちゃう? まあ答えてもいいけど、真理ちゃんも聞く?」
「え、ええ。もちろんです」
竹内は何やら冷や汗をかいている。たしか以前は『でまかせですよ』などと言っていたはずだが。……いや、そういえば体を売る云々の話に対してはコメントしていなかったか。
「竹内やなぎは水泳部の顧問、石和健と付き合っているらしい。いやあ、学校という空間で隠し事は無意味だね。プライベートであればあるほどつまびらかに明かされてしまう。いつあたりから付き合い始めたのかまでわかってしまうよ」
竹内は耐えるように唇をかみしめている。やはり、もともと知っていた、ということなのだろう。
確かにネットというのは使い方を誤ったり、油断してしまったりすると画面の向こう側の言葉の羅列に過ぎなかったものが、現実に顔を出す。そして好奇心と悪意に満ちた視線が自分の環境を原型がなくなるまでねじ曲げてしまう。
ただ、気になるのは竹内やなぎは一体なぜそんな感情にさらされなければならなかったのか、だ。弥栄が竹内やなぎに目をつけているのもひどく個人的な理由のものだった。それの良し悪しはともかく、竹内やなぎの素行が他人に害を与えるようなものであったというようには評価を転換させることができない。
「で、でも他は大体でたらめですよね。だって動物を殺したりとか万引きとか犯罪まがいのことはさすがにするような人ではないですし、先ほどいった教師と付き合ってるって件も『男で遊んでる』というのには該当しないような気がします」
「実際、竹内やなぎがそういった犯罪行為をしているという情報は上がってないね」
確かに竹内の言うことも一理ある。ただ、病み上がりの竹内妹の運動会を見に行った話が事実無根ではなかった以上、どちらかといえば書き込みをしている人間は竹内やなぎの情報を持っているのではないかと私は思っている。なぜ事実から少しはなれた嘘を放っているのかはわからないが、竹内やなぎが顧問と付き合っていることを知っていてもおかしくはない思う。どちらもプライベートなことであるが、より具体的な前者を知っていて後者を知らないというのはどこか違和感を感じる。
「姉のことです。きっと、お付き合いだってプラトニックだっただろうし、何も悪いことはしてないはずなのに……。なぜ姉がこんな……」
「この世にはどうしようもない理不尽がある。まだ小学生なんだ。いずれわかるさ」
竹内に言い聞かせるように言った後、私のほうにちらと視線をやる。目が一瞬かち合うが、中野は何も言わずに目をそらした。
「あの、少し聞いてもいいですか」
「うん? どうぞ、奏ちゃん」
促されるままに口を開く。
「もしかして竹内さんと中野さんて前にもあったことがあるんですか?」
中野は不思議そうに首をかしげる。竹内はいぶかしげにこちらに首を向けた。
「まあ、そうだよ。竹内先輩と一緒にあったときに少し話が弾んだぐらいの関係ではあるけどね」
なるほど。
「それが何か関係あるんですか?」
「いや、竹内さんと弥栄さんたちがどんな理由であったのかって少し気になって」
私の言葉に竹内は、ため息をついて顔を正面に向けて中野のほうを見る。
「姉を見に文化際に来た時に少しばかりお世話になったんです。道に迷ってしまって」
「そう。そこで仲良くなったってわけさ」
もしかしたら、竹内は最初この人たちを探る目的を果たすためにこの方法を編み出したのかもしれない。確かに全く怪しまれずにすむ上手い懐への入り方だといえる。
「さて、ではそろそろお開きとしようかな? 日はまだまだ落ちないけど僕にも一応仕事があるんだ。申し訳ないね」
「あ、それではあと一つだけ」
私が口を挟むと、中野はきょとんとした様子で、私の次の言葉を促すような視線を送った。
「あの、さっき言ってた情報っていったいどんなところから入ってくるんですか?」
すると、中野は不敵な笑みを浮かび上がらせてた後、人差し指をたてて唇に置く。
「企業秘密」
私の質問に答える気は一切ないという意思表示だろう。
「そうですか。すいません、引き留めて」
「いや、いいよ。じゃあまた会えるといいね」
手を振りながら、部屋を出ていく中野に会釈をする。
そして私は竹内に向き直り、一息つく。
「これからどうするの? まだ調査することがあったかしら」
私の問いに竹内はしばらく考えて首を縦に振る。
「部室、見ていきましょう」
部屋の壁に掛けられている時計に目をやると十一時になっている。昼を過ぎると人の量が増える可能性もある。その中に紛れることができるという考え方もできるが、高校生の波にのまれて思うように移動できないと時間の無駄な上に、どこにいるともわからない犯人に目をつけられるリスクだって増える。しかし、今日の聞き込みで情報が増えたかと言われると、そうでもない。少しでも手がかりがほしい。それが現場がどのような構造をしているか、程度のことでも。私がそう思っているかは別として、竹内妹の必死さを見るにそれぐらいのことを言い出してもおかしくない、と想像できた。
「しょうがないわね。行きましょうか」
しかし、私はひとつの可能性にたどり着いてしまっていた。非常につまらない話だが、水泳部の顧問が竹内やなぎに別れ話を切り出したのではないか、ということだ。つまり、精神的に追い詰められていたはずの少女に追い討ちをかけた可能性だ。これなら電話でこの話を切り出された結果、自殺という方向にも筋が通る。呆気ない推理であった……というわけにも行かない。
やはり悪評の書き込みをした人間、そして竹内妹を更衣室から排除した人間は誰かという疑問が残る。
一筋縄では行かない。確かに情報がほしいという気持ちはわからなくもない。私もここまで来たら真実に触れたいという気持ちが出てくる。
もうしばらく同行を続けるより仕方ない。そう思いながら竹内と共に第二科学準備室を後にしたのだった。