箱庭の浪花
高校に潜入する、という表現をすると映画の中で行われるピッキングや裏通路の作成または発見などが思い浮かぶ人が多いし、実際そういった創造的な作業を必要とする場合がほとんどだろう。しかし、今回はなんとも楽なことに知識問題で一発だ。
どういうことかというと、私や彼女が通っていた桜ヶ丘高校には正門と西門があり、私たちが学生のときには西門は授業がある日の朝というごく短い時間しか開いていなかった。しかし、これは私たちが入学する一年前に防犯上の理由から始まったことであり、その前は正門と同じようにほぼずっと開け放たれていたと小耳にはさんだことがあった。
つまりは人目を盗んで門をくぐるというコソドロにでもできることを実行すればいいだけなのだ。
「侵入する方法というから何かと思ったらとんだ肩透かしですね。この門が開いてることぐらい私も知ってますよ」
「いやいや。学校に入るのは確かにあなたの言う通り馬鹿みたいに簡単だけれど、重要なのは入った後でしょう? あなたの姉に対して精神攻撃を仕掛けてると思われる何者かに気付かれないように高校の中で動かないといけないんだから」
私のごく当たり前の注意事項に対して、竹内はまあそうですね、というような気のない返事を返す。
私が言ったようなことは竹内はいやというほど頭の中に叩き込まれているに違いない。私の言葉がお節介だったならそれ以上言うことは何もないが、もし竹内の意識が散漫になっているのなら……という思いがある。
その気持ちの主な発生源は、高校内での調査の件において竹内の態度が少しだけ変わったことにあった。真剣さ、だろうか。なんとしてでも……というような必死さが薄れているように感じる。桜ヶ丘の人間への聞き込みなどやりつくした、という徒労感を伴った諦めがそうさせているのか……。それは私には上手く判断がつかなかった。
「たしか、件の弥栄さんに会いに行く、という話だったわよね?……正直、私からすると、門をすっ飛ばしていきなり本丸に挑んでいるような印象なのだけど」
高校に侵入して、一体どのような調査をするか、となったときに真っ先に竹内が言い出したのは弥栄に話を聞きに行くという提案だった。現場を確認しに行くというような作業を思い浮かべていた私は多少面食らった。が、よく考えてみれば殺人が起こった水泳部の部室は、当たり前ではあるがまだ事件は起こっていない。その状態で現場検証をするというのは、間取りの確認以上の意味を持たない。すなわち優先度が低いのだ。
それにしたって、弥栄波花といったら私からしてみれば容疑者筆頭だ。なにか踏むべきステップを飛び越えてるような気がしてしまう。
「まあ、あなたからすればそう感じるところもあるでしょう。しかし、ループ中の調査から言っても完全に白ですし、人柄から言っても随一の信用できる人間です」
随分、はっきりと言い切ったものだ。たとえ、人間性が素晴らしかろうと絶対に人を苦しめるようなことをしないとは限らない。そもそも、立候補している時点で多少なりとも竹内やなぎを板挟みへと追いやっているのだ。たとえそれ自体が目的でなくとも、なにかを成し遂げる過程で人を傷つけずにいられる人間などいない。
「……ま、今回ばっかりはある程度あなたに任せるわ。でも、あなた一人で解決できなかったから私に協力を頼んだんでしょ? 私にも裁量を任せてもらわないと困るわよ。あなたが」
「それはもちろんですよ」
竹内は、私の発言を軽く往なしさっさと校門の中へと入っていった。私もそれに倣い、私のよく知る校舎の中へと踏み出した。
桜ヶ丘高校において、文化祭は一大行事でそれ故に廊下の喧騒が類を見ないほどだと言うのは覚えていたが、自分の体が小さくなっているせいか迫力を段違いに感じる。だからまともに会話するためには多少人気の無い所、すなわち最上階の踊り場に移動したのはやむを得ないことだった。そもそも私たちはできる限り人目に付きたくないわけでそういった意味でも場所を移すことは重要だったといえる。
ところで竹内は弥栄との面識があり、接触して邪険にされることはないだろうと言っていた。だが、よく考えてみれば竹内妹と弥栄が出会うタイミングというのは、いったいどんなものなのだろうか? 竹内姉と仲がいいという印象は聞いてる限り受けなかったが、去年の文化祭で紹介でもしたのだろうか? ただ、弥栄の目の前にやってきて竹内と弥栄が話しているところを見るとそういった疑問はいったん棚上げされる。
「こちら、私の友達の秋吉奏です。例の件で相談を受けてもらっていたので今日も付き添ってもらうことに……」
「おおー、聞いとるよー。昨日ゆうとったやん。よろしく、奏ちゃん」
「よ、よろしくお願いします」
……弥栄波花は私が伝聞から受けた印象とはだいぶ異なるオーラを放っていた。なんというか、こう……周りに僕を侍らす皇女殿下を想像していたのだ。しかし、目の前に居るのはジャージの上から腰にシャツを巻いて腕を組む豪快な姐御。これでは頼りになる兄貴的存在である。
「にしても二人とも小5やろ? しっかりしとんなぁ。私が小坊のころゆうたら、そこらじゅう駆け回って喚き散らしとったで」
「はぁ」
しかし、これで少し不思議が解けた気はする。この弥栄が人を精神的に追い詰めるようには確かに見えない。が、見かけで判断するのはプラスだろうがマイナスだろうがご法度だ。実際、この人はこっちの緊張を紛らわすためにあえて明るく接してくれているように感じる。そして、そうでありながら値踏みをするようにこちらを観察するのも忘れていない。
「弥栄さん、本題に入ってもいいですか? あまり時間に余裕がないもので」
「おお。安心し。私もこの後用事がある。手短に済ませたいんはおんなじや」
「そうですか、では……姉の様子はどんなものでしょうか」
さっそく、という感じで話を切り出したが、どうやらこの二人、私の知らないところで会話を重ねているようなことを言っていた。すこしばかり気に入らない。隠し事というほど大げさなものではないにしても、だ。
「幸せもんやな、やなぎちゃんは。身内にこんなに心配されとるなんて……。一人で抱え込むタイプに見えるから妹さんが見ててくれるなら安心やわ」
「……すいません。感慨にふけるより質問に答えていただけますか」
突き放した物言いでありながら照れた表情をちらつかせる竹内。わかりやすいというかなんというか……。
しかし思えば仏頂面と泣き顔以外の表情を見ることは珍しい。それが、プラスの感情をくみ取りやすいものとなると初めてに等しい。私にはそれが新鮮に映った。
竹内の行動原理はわかりやすい。ほぼすべてが姉を死なせないため、守るため。それ故にか、竹内は笑った顔を見せない。なぜなら守ることができていないからだ。彼女が喜びに満ちた笑顔はいつやってくるのか。なんとなく、私にはそんなことが気になっていた。
「まあなぁ……。やなぎちゃんも今大変な時期やし、多少ナーバスなんはしゃあないと思うけど、それにしてもなんか不安定な感じはしないでもないなぁ」
少しばかりわざとらしく悩むそぶりを見せ、ぽつりと何かをつぶやいたがそちらはよく聞こえなかった。しかし返答としてはあまり要領を得ない部類に入るだろう。
「ごめんなあ、役に立てんで。でも、こないなこと聞くだけやったら別にメールでもよかったんちゃうの?」
「……とぼけてるつもりですか? まさかネットでの姉に関しての風評を知らないわけじゃないですよね? あれについては何か知らないんですか?」
竹内の発言で、弥栄の表情に一瞬緊張が走る。もしかして何か知っていることがあるのだろうか?
「そやなぁ、もしかすると……ってことはあるけどネットの情報やったら私の後輩のほうがよう知っとるからそっちに聞いてくれるか? あんまり変なこと言うて混乱させたくないしな」
「後輩……?」
初耳の登場人物があらわれて竹内に怪訝な視線をやると、安心しろとでも言うように力強くうなずく。つまりその後輩は信頼できる人間だと言うことだろう。
「弥栄さんの後輩なら安心できます。何処に行けば会えますかね?」
「ああ、ぶし……いや、第二科学準備室におるはずやから、私が案内するわ」
第二科学準備室なら私も知っている。第一科学準備室と違って様々な物が詰め込まれている、半分ゴミ捨て場、もう半分は文化祭などで使い回せる物を置く場所となっている。だからこの時期はまあまあ人の出入りがある部屋だ。
「じゃあ、いこか」
こうして、一行は別棟の特別授業棟に向かうこととなった。