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私の愛した結末  作者: おーい十六茶
正義の在処
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竹内真理の願い

 竹内は、これまで歩んできた道を思い返すように、虚空を見つめる。その表情は小学三年生にはおよそ釣り合わないものだった。


「突然の事でした。姉は自分の所属する水泳部の顧問を殺害しました。姉が親を困らせるようなことをしたのはあれが初めてでした」


 まあそんな可愛いものじゃないですけど、と笑えないジョークを竹内が放つ。


「家の内情は惨憺たるものでした。お通夜のような雰囲気がなくなることはついぞありませんでした。ただ、今となっては姉が帰ってこなかったのは不幸中の幸いだったのではないかと思います」


 飲み物を口に運んだ。やけにのどが渇く。


「その事件を良く知る土地から離れて、学校などではごく普通の日常を過ごしました。それはまた一つの幸福でした。しかし、姉を忘れることはできなかった」


 忘れるというのはけして消極的な行為ではない。それを思い出す環境を排除して、初めて可能になるものだ。そういった純白な環境ではなかったのだろう。


「私は姉に会いに行くことを決めました。親に言わずに、姉のいる場所を探しました。そこで、私は愕然としました。姉が居たのは精神病院だった」


 思わず身じろぎをする。それを語る竹内の表情に悲壮を越えた悲壮が漂っていた。私には家族にそれだけの感情を向けることが理解できない。


「姉は何も語らなかった……いや、語れなかった。半分廃人のような様子でした」


 廃人。穏やかな言葉ではない。ただ人を殺しただけで、果たしてそのような状態になるだろうか。しかし、全ての人間が私のように人を殺して何も感じないことはないだろう。もっと詳しいことを聞かないとわからない。


「悔しかった。……悔しかったんです。親に知らされていなかったとはいえ、お姉ちゃんの事を何も知らない私を許せなかった。知りたい。たとえ救えなくても、私も一緒に居たかった……」


 竹内の目は、潤むことなくコップを刺していた。それが示す感情はうつむいていてよく見えない。


「生きていてはいけないと思いました。生きていては……」


 竹内が残り少ない液体を飲み干す。


「そこで現れたのが、死神でした。きっとあなたの会ったのと同じものでしょう。死ぬ覚悟があるなら、やり直せ。そう、あの男は言いました。私はそれに乗った」


 そこは私と似ている。人はその気になれば、どうとでもなれる。後ろ向きでも前向きでも。


「私は姉が中三の頃に戻りました。まあ、もろもろありましたが、私は結局その世界で失敗しました。そしてあの死神はまた私にささやきました。それなら、本契約を結ぼう、とね」


 空間の温度がいくらか下がったような錯覚に襲われる。


「私にとってそれは正しく悪魔の契約。あなたもその時になれば知ることになりますが……。本契約を結んだ人間は、契約の時点より未来を生きることができません。それを飲んで、私はまだ抗うことを決めました」


 その決意を瞳に宿した表情は、一瞬のうちに陰った。


「しかし……駄目でした。五回分あった回数券はもう、使い果たしてしまいました。これが最後の世界なんです」


 縋りつくように竹内の視線が私を貫く。


「私はあなたと対等に手を結びたい。私にはもう後がない。たとえループで蓄積した知識がなくても、たとえあなたの望みが人助けでなくても、たとえすべて私の独り相撲でも……」


 だんだんうつむいていく竹内。言葉が切れる。泣いているのだ。泣いている。自殺を選んだ時に涙を流さなかった竹内が、泣いている。何がそうさせるのか。どれだけ考えても私にはわからない。




 思い出すのは、一回目の世界で初めて彼女の涙を見た日。中学生の時のことだった。

 彼女の悪口が乗ったメールがクラスの中で出回った。これだけではいつもの事だ。しかし、彼女の姉、神代比嘉奈についての事まで出回った。


 これは目の前に本人がいない分、とんでもないことが書かれていた。クラスのほとんど全員が、意識的にも、無意識的にも彼女から離れてしまうくらいに。

 

 それを嘲笑を交えながら肴にしていたのが、彼女の耳に入ったのだった。


 自分に悪意が向けられた時とは比べようもない憤怒。体面も、プライドも、弱さへの自覚もなかった。しかし、それをぶつけられた女子たちはひるんだ。その後、彼女に恐怖と不可解なものを見る目をむけて去って行った。


 彼女はその日の放課後に、私の前で涙を流した。姉への誹謗中傷に対しての、悔し涙。


 それに向けた私の目は、彼女に背を向けた少女たちと、どれだけ違っただろうか。私は彼女の気持ちを理解出来ていなかった。




「わかった」


 竹内が顔を上げる。私はそれを見てから、自分が言ったことの内容に気づく。

 竹内の追い詰められた表情を見れば、私にとっていくらでも都合のいいように条件を吊り上げられることがわかる。


 しかし、そんなことはどうでもよかった。竹内からは、遺書の練習用紙以外、巻き上げられる物なんてない。それより大事なことが今の私の心の中で渦巻いていた。


 私は彼女に近づいてなんてなかった。ついこの間川に流されていった、本来の私から見れば小童で今の私から見れば年上の少年が言った言葉を思い出す。


『君の願いは本当に一つだった?』


 知らなくてはいけないことがある。

 私は何かを忘れてる。


 それを思い出さなければならなかった。


 だから、彼女に近づく。



 竹内が涙をぬぐいながら、笑顔で、ありがとうございます、と呟いた。


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