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私の愛した結末  作者: おーい十六茶
植物騒動
27/34

幕間 水面を切り取って

 昨日のことだ。

 叔母から受け取った受話器から聞こえてきたのは、探るような口調での、とある質問だった。


「奏ちゃん、明日遊べる?」


 夏休みになってからというもの、やることが全くなかった。

 宿題など、勉強の内に入らないし、興味関心が高校生の時と同様に彼女以外に湧かないので、こちらから誰かを呼ぶようなことも提案できない。


 彼女から電話がかかってきたのはそんな風に一週間が過ぎ、8月に入る直前だった。


「もちろん。何をするの?」


 私が言うと、彼女が電話口から安堵の溜め息を漏らす。さっきの私への誘いの中に含まれていた緊張は解けたようだ。


 彼女が私に対して緊張していたのには理由がある。


 あの、夏休み前に起こった騒動の後、私は少し彼女を避けてしまっていた。

 あり得ない景色。私の知らない私。

 一瞬ちらついたそれらに、私は恐怖を抱いていた。

 それを整理する時間のないまま、夏休みが来てしまった。

 だから、正確に言えば夏休みにやることがなかったというのは表面的なことになる。詳細不明の記憶に対する感情と彼女という存在を分けるということが私の課題となっていたのだ。完璧ではないしろ、ある程度それはできているはずだ。


「プールだよ。隣町の市民プール」


 それを聞いて少し不安になる。


「私、行ったことがないけど大丈夫?」


 そう問うと、彼女の微笑みがまぶたに写りそうな、優しい声で言った。


「うん。駅集合だから」


 なるほど。確かにそれなら大丈夫だ。

 それから彼女が集合時間を伝えて電話は切られた。


 さっきの彼女と同じように溜め息をつく。

 正直なところ私も少し緊張していた。彼女と距離をとっていた後ろめたさがあった。

 しかし、勇気を出して電話をかけてくれるなんてありがたい。私もそろそろ何かアクションを起こさないといけないのではないかと気を揉んでいたところだった。

 彼女の優しさに触れて、心が落ち着く。


 それにしても二人でプールというのは楽しみだ。前の世界でもこういうことはあったが、今の世界で、遠出するのは初めてだ。記念写真をとれるようにカメラを持っていこう。


 叔母に明日出かける旨を伝えて、水着などの用意をした。それからすぐに就寝する。



 繰り返すようだが、それは昨日のことだ。

 つまり、今日、私たちは市民プールのすぐ前にいる。


 六人で。


「竹内さんが誘ってくれて良かった! 私もプールに行きたいって思ってたんだよ!」

「ふふふ。お姉ちゃんが付き添ってくれるっていったらお母さんも一発オーケーだったよ。ね? お姉ちゃん」


 青木のはしゃぐ声に、竹内が返す。

 竹内の姉、竹内やなぎは妹の呼び掛けに苦笑いで答える。


「まあ、お母さん心配性だからね。最近、プールの事故も多いし」


 そこで一度区切って、振り向く。その先にいる女性に声をかけた。


「でも、比嘉奈が来てくれて良かった。私一人じゃ、子供四人なんてとても見れないよ」


 困ったように微笑む。なるほど、竹内の姉は人に頼るのがなかなかに上手らしい。委員長的資質(そんなものがあるのかは知らないが)においては妹を越えているのだろう。

 

 そして、今呼ばれた女性、神代比嘉奈は落ち着いた様子で答えた。


「まあ、暇だったから。妹の友達のこと良く知りたかったし、ね」


 竹内姉の快活そうな様子に比べると、神代姉は一歩引いておとなしそうな印象を受けるが、その眼の光はけして弱くない。比嘉奈の視線は、しっかりと私を射抜いていた。大方、私が来ると聞いて、付き添うことを決めたのだろう。


 その監視するような眼差しに居心地の悪さを感じていると、彼女が私の方に寄ってきた。


「奏ちゃん、水着持ってきた?」

「まあね」

「えへへ、楽しみだな。奏ちゃんと遊ぶの」


 満面の笑みを湛えて、私の手を取る。

 心臓が跳ねるとはこういうことなのだろう。私は思わず彼女の手に私の手を重ねていた。


「陽菜、もう行くよ」

「はーい! 奏ちゃん、行こ?」


 比嘉奈が彼女を呼ぶ。そうすると、あっという間に彼女は私から離れていった。手のひらに残る彼女の温もりを感じていると比嘉奈からの視線が刺さる。


 変なぼろを出さないようにしないと……。

 そう誓って、人の流れに乗っかる。


 まあ、二人きりだなんてそんなわけないとは思っていた……。本当に、全くもってそう思っていた。



 更衣室でも、青木のはしゃぎようと、彼女と竹内の姉へのべったりは続いた。

 だから、私は周りの会話に耳をそばだてることしかやることがなかった。


 そこでの話によると、どうやら比嘉奈とやなぎは同じ学校らしい。しかも、お互いの妹が同じ小学校に通っているのと同様に、小中学校も一緒だった。つまり、いま二人は高校二年なので、十一年間、かなり近いコミュニティで過ごしていたことになる。

 同級生になることは多くなかったようで、お互いを無二の親友としているわけではなさそうだが。



 ところで、女性の水着とは多少の勝負が勃発するところである。もちろんそれは表には出ない。なぜならわざわざ言葉にしなくてもそれは歴然と表れるからだ。

 まあ、小学生にはたいして関係のない話であるが……。

 

 小学生組の四人はみな、体型が大して変わらない。身長に関してですら、少し竹内が高くて青木が低いぐらいだろうか。私と彼女はまさにどんぐりの背比べだと言える。

 ところが、高校生ともなると、そんな牧歌的なことは言ってられない。


 竹内姉は豊満だった。古い言い方をすればボンキュッボンということになるだろうか。

 神代姉は絶壁だった。最近の言い方をすればつるぺたということになるだろうか。

 だが、双方顔立ちは整っているし、比嘉奈の色白で日差しを受け止めるような透き通った肌や深窓の令嬢のような雰囲気と、やなぎの水泳部らしい健康的な小麦色の肌とグラマラスな体型はどちらもそれはそれで人目を引く物だった。

 二人とも、そういった類の視線にはなれっこなのか、逆に意識したこともないのか、全く気にする風ではなかった。

 

 つまり、勝負も何も、両方勝利者だった。


「ほらー、みんな準備体操しなさいなー」

 

 少し変な口調でやなぎが呼び掛けると、子供たちは嬉しそうに、おいっちにっさんしと体を動かす。仕方なく私もそれに付き合う。


 準備体操を終えて、晴れて自由の身となった私たちは人でいっぱいのプールへと飛び込む。私は半分引っ張り込まれるように水へと身体をつけた。


「こらー! あんまりはしゃがないのー!」


 比嘉奈はさっきから積極的に私たちを統制する気が無いようだが、やなぎは特に気にせず、全員を見守っている。どうやら二人ともあまり泳ぐつもりがないらしい。


 ここの市民プールは室内ではあるが、しっかりと光が差し込むようにガラス張りになっていて、あまりのまぶしさに目がくらむ。

 青木と竹内の水かけ合戦に付き合っていると、少し疲れが回ってきて、プールサイドへと上がる。するとすぐにやなぎがやってきた。


「大丈夫? 気分悪くなった?」

「いえ、大丈夫です」


 心配をかけてしまったようだ。しかし、大したことはない。少し休めば、またあそこに引きずり込まれることになる。


「秋吉さん、だよね。おとなしくて、助かるよ」


 大人の助けになるような子供は生意気だと、相場が決まっている。


「それに真理にも良くしてくれて、ありがとうね」


 にっこりと表情に花を咲かせる。その人懐っこい笑みは私にはできない。あまりに嘘くさくて。

 あと、真理って誰だったか、と一瞬考えてしまうが、話の流れから竹内の事なのは間違いない。あの子竹内真理って名前か。名前で呼ぶ人が少なくて、ちょっと忘れていた。


「いえ、最初に友達になってくれたのは竹内さんなので。こちらこそありがとうございます」

「あ、そうだったの。ま、これからも仲良くしてね」


 そういって去っていくやなぎ。どうやら、競泳用のレーンに行くようだ。この様子だと、小学生のお守は比嘉奈に任せたようだ。

 人だかりのある所をさけて、ぼーっとする。


 こうしてみると、プールという場所はなんとも非日常じみている。テーマパークや、動物園なども同じだが、人が大量にいて、そのほとんどが今この空間を楽しいものだと捉えているのだ。

 だからこそ、それを素直に受け取るのは難しい。その『楽しい』という空気にあてられたように頭が空回りする。


 しばらくそうしていると、私に誰かが近づいてくる気配がした。


 比嘉奈だった。そのやわらかい笑みには全く感情が表れない。私は、少し身構えた。


「病院で言ったのは嫌味のつもりだったんだけど通じなかったかな」


 言葉の意味を解りかねて、黙りこくる。


「わかってるでしょ? やり直そうなんて虫が良すぎるの。壊れた鏡をつないでも映るのはゆがんだ世界だけ」


 まるで、私がタイムリープしたことを知っているかのような口ぶりだ。挑戦するような態度に真意を測りかねる。

 動揺を必死に隠す。この人は私を排斥しようとしている。ここで押し負けるわけにはいかない。

 この状況は普通なら、とぼけるところだろう。しかし、断定するような口調にとぼけても意味はない。


「それなら、あなたはどうなんですか? あなただって何かを求めて、やり直そうと思ったんじゃないんですか?」


 カマをかけた。タイムリープのことを知っているなら、タイムリープをしているんじゃないかとあたりをつけただけだ。

 

 すると、その笑みを見下すような冷たいものに作り替えて、比嘉奈は言い放った。


「あなたと一緒にしないで。私は、あなたのように自分で壊した砂の城を嘆いたりはしない。私はいつだって陽菜の為に存在しているの」


 比嘉奈は首を動かし、彼女たちが楽しそうに声をあげている方を見て、目を細める。

 しばらくそうしてから、私の方を向いて表情をさっきまでの優しそうなものに戻す。


「まあ、同じ人を追いかけていれば、どこかで道が交わることもあるでしょう。そのうちね」


 そういって、比嘉奈は私から離れていった。

 

 新しい情報が増えた。あの病院での言葉は、『あなたの行動は不可解に過ぎる』という意味だったのだろう。あと、やはり私以外にもタイムリープしてる人間がいたようだ。あの神とやらが『言わなかった』ことを私は察していた。

 しかし、何がしたかったのだろう。私が彼女の不利益になるようなことをするはずがない。たとえ理解されなくとも、彼女自身を傷つけたりはしないのだ。


「おーい! 秋吉さんだいじょうぶー!?」


 青木からの声に笑顔で答えて、私は水の中へ戻っていく。まぶしくて目がくらむほどの日常の非日常に。



 夕方になって、全員の帰り支度が済むとそれぞれなりの別れの惜しみ方をしていた。


 やなぎは比嘉奈に二人でどこか遊びに行こうと持ちかけ、小学生四人は他愛のない話を咲かせていた。


 すると、彼女が私の袖を引っ張って、輪から離れることを要求する。


 他の人には会話が聞こえないところまで行くと、彼女は口を開いた。


「あのね、あの日、調子悪そうだったけど大丈夫だった?」


 彼女の心配そうな表情に、くす、と笑いが漏れる。


「な、なんでわらうの!?」

「だって、真面目そうな顔でそんなこと聞くんだもん。今日、プールに来てるんだから。このとおりぴんぴんしてるよ」


 彼女はちょっとむくれたまま、次の言葉をつなぐ。


「あの日から、なんだかよそよそしかったじゃん。だから、心配したのに……」


 そうだった。ちゃんと謝らないといけない。


「ごめんね。心配かけて」


 そういうと、彼女は少しそっぽを向いて私に質問する。

 その顔が赤く染まっているのは夕日のせいだけではないだろう。なんて、陳腐な表現が頭に浮かぶ。


「ずっと離れないでいてくれる?」


 その質問は問われるまでもない。答えはとっくに出ている。あなたが私を救ってくれた時から。


「ずっと、陽菜ちゃんと一緒にいるよ」


 私の視界に広がる光景を、決して忘れない。

 咲き誇る笑顔は、きっと、ずっと、私の物だ。


「うん」


  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夜、太陽が沈んだ時間では、窓の外に見るものなんて一つもない。月は私にとってはどうでもよいものだった。


 この世界を満たす温水はけして引くことがない。人にまとわりつき、見るべきものを隠し、いずれは安定のもとにみなその水中を泳ぐ。


 陽菜の隣の寝室で、今日までの日々を思い返す。

 私が信じられるのは『陽菜』だけだ。

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