想いの迷いの想い
「ただいまー」
くたくたになって家にたどり着くと、叔母が玄関まで来て、私の姿を見て言った。
「え! どろどろになってるじゃない! 何して遊んでたの?」
「砂遊び」
「着替え持ってくるからシャワー浴びた方がいいね」
「あー……。お願いします」
シャワーを浴び終わって、髪の毛を拭いている私に叔母が思いついたように言った。
「そういえば、さっきお友達から電話がきてたよ」
「え? 誰から?」
「んーと、神代さんだったかな」
「かけなおす!」
私が濡れた髪もそのままに固定電話のところにかけていくと、叔母が、「これが最近の子供の強迫観念か……」とぼやいたが、あまりにも的外れなので、それを無視して電話を掛ける。電話番号は暗記済みだ。
『はい。もしもし』
「もしもし、秋吉ですが陽菜さんはいらっしゃいますか?」
『あ! 私だよ。奏ちゃん!』
向こう側からは、テレビの音が聞こえる。私と同じように電話がリビングにあるのかもしれない。
「さっき電話かけてくれたみたいだけどどうかしたの?」
『えっとね、奏ちゃんはどうするつもりなのかなって思って』
「どうするって……何を?」
『あの畑を荒らした人の事。どうやって話を聞くの?』
「ああ……そうだなあ……明日にでも行く?」
『え? そんなことできる? 家の場所とかわかるの?』
受話器から驚きを感じる。それにたいして、あらかじめ考えていたことを話していく。
「確実じゃないけど、浩太さんだっけ? あの青木さんの近所の人なら仲良いらしいし、しってるんじゃないかな」
『なるほど……。でも会えるかな?』
「確かにそれはわからないよね。家にいない可能性もあるし、いきなり合わせてもらえるかもわからないし」
『でも、なんで明日なの? 月曜日に話を聞くんじゃだめなの?』
「別にそれでもいいよ? こういうのは、できる限り会う機会を増やした方がいいかなって思って」
これはまるっきり嘘だ。向こうから電話がなかったらこっちから誘おうと思ってたぐらいだ。
「うーん。まあ、そうだね。思い立ったが吉日って言葉もあるしね」
「ま、そういう事だね」
明日は青木の家に彼女に連れて行ってもらうことになった。そこから丸一日使って中島に会いに行こうということだ。
私は、明日の準備をしてゆっくり眠るのであった。
次の日の朝九時。朝の涼しさはすっかり日差しに散らされ、汗が額を伝う。それに合わせて彼女の服装は白のワンピースで、その純朴さはもはや天然記念物ものだ。
そんな彼女とともに私は青木の家の前で立っている。
普通なら、あの他人の家に行くとき特有の高揚感と緊張の混ざった感情で体が若干固まりそうなものだが、彼女は何度も来たことがあるためかそんな様子はない。
インターホンを押すと、はーいと言う年相応の声がスピーカーから聞こえて、ばたばたと言う音とともに青木が姿を現す。
「どうしたの? 何かあった?」
少し興奮気味のようだ。日曜日に友達が訪ねてきたのだから、当然の反応といえるかもしれない。
彼女がかくかくしかじかと説明すると、青木は二つ返事でOKしてくれた。
そしてさっそく、青木が着替えるのを待ったのち、お隣さんの家に行くことになった。
しばらくして現れた青木とともに表札に『一之瀬』とかかれた家のインターホンを押して今日の行動の鍵となる人物を呼びだす。
青木の声で気を抜いていたのか、もともとファッションには興味がないのか、Tシャツとハーフパンツと言う格好で現れた一之瀬浩太は眠そうに頭をかいていた。
彼女と私を見て驚き、なぜか門を挟んで離れているまましゃべり始めた。
「これはなんだよ! 薫ちゃん!」
「いやぁ……。ちょっと、頼みたいことがあってね」
状況が呑み込めない一之瀬に、青木が事情を説明し終えると、「ちょっとまって」と言って家に入って行った。
すると服をましなものに着替え、再度玄関から出てきた。
「案内するよ。面白そうだし」
こうして私たちは、中島の家へと向かうこととなった。
道中、一之瀬は青木に「ちょっと気になったことがあるんだけど」といって、歩きながら話しかけた。
「なに? 私が答えられるかわからないけど」
「いやさあ、一昨日のあの畑が荒らされた騒ぎの翌日までは学校で、先生が途中いなかったりしたのにさ、昨日は全くそんなことなかったんだよ。それっておかしくねえ? 捕まったにしろ、なんにしろ、先生ってなんか忙しくなるもんじゃねえのかな?」
「ん? 別に、何もないんじゃないの? 二日間ちゃんと授業できなかったから今日は、みたいな」
「まあ、そんなもんかもしれないけどさあ」
「でも、先生たちの様子は、むしろ昨日の方がおかしかったよね。ピリピリしてるっていうか」
私がそういうと、彼女と青木は首をひねる。昨日のことを思い出そうとしているようだ。
「うーん。何も思わなかったけどなあ……」
「私もだよ、陽菜ちゃん」
「でも、先生の授業は確かに心ここにあらずって感じだったぜ。ミス、多かったし」
三人は熟考しているが、今はそれより中島の家に向かうことを優先したい。
私はその思考を切って先を急ぐことを促す。
「こう言ったらなんだけど、わからないことを考えても仕方ないんじゃない? とりあえず、早く中島さんに会って話を聞きたい」
「確かにそうだね。もしかしたら秋吉さんの推理を聞いたら観念して何もかも話してくれるかもしれないし」
「そうなればいいね」
推論が正しいとも限らないので、過度な期待をされても困る。しかし、例え私の推理がすべて間違っていたとしても、それがこの後露見することはない。
どうやったって門前払いされるに決まってるからだ。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん
「ちょっと、周りの迷惑になるからやめようよ」
「でも、いないってこたねえだろ? 日曜日なのに……」
「そんなのわからないでしょ。どっかに家族で遊びに行ってるかもしれないし」
「どうかなあ。新聞は一昨日の朝刊から放置しっぱなしだから。ちょっとそれはないんじゃない?」
「もしかして何かわかるの?」
彼女が私に輝いた眼を向けて言う。
私は家全体を見回しながら説明する。
「普通の家が新聞を二日間も放っておくかな? 何かがこの家で起こってるのは間違いないよね。その中で、さすがに外出ってことは無さそうたけど……」
「なるほど。でも、人がいるかいないかはわからないんじゃ?」
「少なくとも、チャイムを押したときにカーテンから顔を出したから子供はいるね」
「なんだと? まどろっこしいこと言わないで最初っからそういえばいいんだよ。おい! 中島! ちょっと遊びに来たんだ! 顔出してくれ!」
私にも時間稼ぎという大きな目的があるのだ。放っておいてもらいたい。
その単細胞は近所迷惑になる声で叫びまくったので青木に怒られた。あほらしい……。
私は稼いだ時間で中島家を見回す。
庭は荒れて、こいのぼりが落ちたまま放置してある玄関先。あれが二か月あのままなのか一年なのかでこの家の重症度が変わるが……。
「あ!」
そう声をあげたのは青木だった。車を指さしながら、焦って言葉を詰まらせている。
「あ、あれ! あれさ、昨日学校で見た! ずっとなんか引っかかってたんだよね」
「ん? それ本当?」と、彼女。
「うん! 昨日学校に来てた。あの数字、私の誕生日だからよく覚えてる」
確かにナンバーは04―02。さすがに、それをたまたま同じナンバーの車があったと思うのは無理がある。本当だと考えるほかはない。
学校で中島家の車……。それはつまり家族が中島のやったことを知っていたということか?
……しまった! 完全に読み違えていた。動機を軽視しすぎた!
「そっか。まあ、これ以上ここに居ても意味ないからそろそろ帰ろうか」
私が提案すると、青木が賛成し、彼女は少し渋ったが一之瀬が「さっさと帰ろうぜ。つまんねえ」というと、それに引きずられるように帰路に着いた。
「ただいま」
「おかえり。思ったより早かったわね……ってもう上に行ってる」
今は時間がない。とるものもとりあえず作戦を練り直す。そのためにノートを広げ、新しいページを開いて真っ白な紙を黒く染めていく。
昨日のうちに保険をかけておいたのは成功だった。
しかし、この仮定が本当だとしたら私がすることは……
いや、これはずっと抱えてきた問だ。
いまさらなにを迷うことがあるのか。
私のやってることが愚かしくて、狂っていて、まさに誰にも認められることがないということが。
いまさらなんだっていうのか……。