一つ目の世界は終わりです
「私たち神側の者は暇を持て余しています。正当な手続きを取れば人間の人生の一つや二つ巻き戻す程度造作もありません。もちろんあなたには何のリスクもありません。運命なんてものも残念ながら存在しないのであなたがいくら世界を変えようとしても、時間の強制力とかそんなものがあったりもしません。安心して自分の好きな結末に持っていくことができます」
男は饒舌に語り、一度言葉を切ると座って私の目をじっと見つめる。
「さあ、あなたはそれを望みますか? いくらやっても無駄な人生だと諦めますか? あなたに願いをかなえるチャンスを……」
「もういいわ」
男の話をさえぎって、私の想いを伝える。
「私は望む結末のためならなんだってするわ。あなたのその申し出も、ありがたくうける」
「では! さっそく、あなたの望む時間を……」
「まって。残念だけど日本の若者たちは願いをかなえるとか、魔法少女とかそういう言葉に敏感なの。もう一度確認するわ。私にはタイムリープによる一切のリスクがなく、タイムリープした後の世界で何らかの弊害も存在しない。これでいいのね」
「ええ、もちろんです。何度だって言いましょう。何度やっても同じ結末にたどり着くとか、あなたの愛する人が概念になることもありません」
「それだけじゃないわ。前の世界にいなかった人間が追加されることもないわよね?」
「ありません。四十人だったはずのクラスが四十一人になったり、いるはずのない生き別れの兄が突然同棲すると言い出すなんてこともありません」
聞きたいことを聞き終えると、他に穴がないか確認する。万が一にも何かが変化していると困る。
「そう。あとは、私と同じようにタイムリープする人間は? この世界の記憶を保ったままタイムリープする人間はいるの?」
「あなたと同じようにタイムリープする人間はいません」
さっきよりやけに答えが端的であることにに引っ掛かりを覚えたが、それより質問に穴がないのかのほうが重要だ。
「もうよろしいでしょうか? あなたにリスクはないとこれほど申し上げているのに……」
さっさと話を終わらせたいのが見え見えだが、これ以上考えても仕方ないか。
「……わかった。もういいわ」
「では、あなたの戻りたい時間を教えてください」
準備する時間は長い方がいい。それは当たり前のことだ。しかし……。
「生まれた直後……。いや、小学三年生でいいわ」
「わかりました。そういうと思っていましたよ」
男がまるでいたわるかのようにほほ笑む。あふれ出る胡散臭さに不信感を禁じ得ないが、拘留所に侵入したことや金縛りのことを考えると、こいつを信用しない理由がない。それにどうせ死んだ身だ。別に、永遠に同じ時間を繰り返そうが、体をバラバラに解体されようがどうでもいい。
「ではよろしいでしょうか?」
男が握手を求めてきた。
ここで手を取るのが、いったいどういうことになるのかはわかりようがなかった。しかしとらないことが社会的死、もしくは死刑につながることはわかりきったことだった。
そして私は悪魔に魂を売った。
「時間は小学三年生になる四月一日でよろしいですね?」
「ええ」
「はい、じゃあ、目をつぶってください」
言われた通り目をつぶると、パンという音がした。手を叩いたのだろうか。
「もういいですよー」
緊張感のない声に目を開けると、そこは月明かりに照らされている特に何もない部屋だった。しかし確かに見覚えのある、自分の部屋だった。
部屋にベッド以外特に何もないこと、加えてこの部屋に居る時の気持ちを思えば、さっきの拘置所と大して変わらない気さえしてくる。
「では、私の仕事はここで終わりです。あなたの一つ目の世界は終わりです」
「ありがとう」
「いえ、楽しみにしていますよ」
そして男は消えて行った。
その後、自分の体が小っちゃくなっていることを確認して心が躍った。本当に私はやり直せる。
そう、彼女と私の関係を最初から。