3話 本当に怖いと声も出せない
気を取り直して案内を再開する。ちなみにシドは、けが人を放っておけないとアリアが主張し、治療を施して部屋へと運び込んだ。そのことに感銘を受けたシドが再度襲いかかろうとしたところをクーレルが撃退したという一幕もあったが割愛。晴れてシドはアリアからエロ親父と認定された。
仄暗い廊下にコツコツと足音が響く。先ほどまでは暗くならない程度には明かりがともされていたのだが、広間から離れるにつれて明かりが減っていく。城の中には、明かりを好まない種族も住んでいるので、場所によっては極力明かりを減らしているところも存在している。中身は普通の少女であるアリアにとって若干不気味である。ここが魔王の城なのだと再確認する。
よくあるおとぎ話の中のように笑い声や叫び声が聞こえたりはしないのだが、逆に音がない分感覚が鋭敏になっているようだ。おっかなびっくりになりながら歩いている。
そんなアリアを盗み見ながら歩くクーレルは盛大に嗜虐心を煽られていた。暗闇におびえ、かすかな物音に反応している小動物然としたアリアを見て、こっそりと行先を変える。アリアは気づいていないが、若干息が荒くなっている。
そうして歩くうちにある部屋の前にたどり着く。扉はなく、明かりは漏れていない。
ここに住んでいるのは誰か説明を求めるようにアリアはクーレルを見上げるが、気づかなかったのかにさっさとクーレルは部屋の中に入ってしまう。どうしようかおろおろとするアリアだったが、意を決してクーレルの後を追って部屋へと入っていく。
部屋の中は暗かった。いつの間にかクーレルの手元にあったランタンから漏れるわずかな明かりのみが頼りである。少し進んだところで立ち止まっているクーレルの方へ、恐る恐る歩いて行く。
「ふっ」
「~~~~~~っ!!!」
突然耳元に息を吹きかけられ、飛び上がる。張りつめた緊張感の中、不意打ちでくらったために腰が抜けてしまい、アリアはその場に座り込んでしまう。
「あらあら、刺激が強すぎちゃったかしら?」
くすくすと笑いながら声をかけてくるのだが、暗闇の中ではそのナニカを見ることはできない。すっかり腰の抜けてしまったアリアは座り込んだまま声も出せず、目に涙を浮かべて怯えていた。
クーレルがランタンをかざすと、闇から浮かび上がるのはさかさまになった女の顔。楽しげにゆがめられた顔は妖しげなほどの美女であるがゆえに恐ろしい。ひっとアリアが声を漏らしてしまうのも仕方ない。
「あらあらうふふ。ずいぶんと良い反応だわ。そんなに反応がいいと、虐めたくなっちゃうわ」
そういってなまめかしく唇をなめる。見るものをぞっとさせる色気を放っているが、アリアにとってその笑みはまるで捕食者が舌なめずりしているかのように感じられる。実際その通りなのだが。
「そのことについては大いに賛成したいところではありますが、ご紹介を先にさせていただいてもよろしいでしょうか」
「うふふ、いいわよ。といっても私はその子のことを知っているけどね」
「ありがとうございます。アリア様、この方はアラクネ様です。魔王軍第三師団長であられるほかに、アラクネ様の部下であるアルケニー様方はこの城の織物関係を一手に引き受けています。自らの糸を使って織物をするため火の気を非常に嫌い、そのためこの一画には明かりがありません」
「そうよ。だから、本来はランタンでも入れたくはないのよ。暗い生活に慣れているからまぶしいのは嫌いだし。もしこの部屋に火なんて持ち込んだら」
逆さまの顔がアリアに近づいてくる。徐々にアラクネの全貌が見えるにつれ、アリアは息をのんだ。
アラクネは上半身は妖艶な美女、下半身は蜘蛛の姿をしていて、おしりから出る糸で天井からぶら下がっていた。長い長い黒髪は地面に擦れそうなほどで、正直に言って非常に怖い。
彼女はアリアの目の前まで来ると、壮絶な笑みを浮かべて言った。
「食べちゃうわよ」
アリアは思った。本当に恐ろしいときは、声も出すことができないのだと。
「ふふふ、本当にいい顔だこと。いじめがいがあるわぁ」
アラクネのほっそりとした指がアリアの頬をなぞる。ぞぞぞと背筋に寒気が走るが、腰が抜けてしまったゆえに全く動けない。
「可愛い顔してるわね……。肌も白くてきめ細かいし、髪の毛はさらさら。うらやましいわぁ」
アラクネの方がよっぽど白いと思ったアリアだが口に出すことはできない。実際、アラクネの肌は病的なほどに白く、光も反射しない黒髪とで、暗い部屋で見ると幽霊のような迫力がある。美人なのだが、アリアにはその顔を吟味する余裕などない。
徐々にアラクネの指が顎、首、肩と下がってくる。触れるか触れないかのきわどいところをゆっくりと動かしている。思わずびくっと反応してしまう。
「胸はちょっと残念だけど、スレンダーな体型ってやつね。足はほっそりしてるし……なにより、反応がいいわぁ。ふふふ、ほんと可愛いわぁ。食べちゃいたい」
食べるのか。やはり食べるのか。物理的に食べるのか、それとも性的な意味で食べるのか。
後ずさりして逃げようにも、いつの間にか足の一本がアリアを背中から押さえていて身動きが取れない。
「ねぇ、クーレルちゃん。この子私に頂戴。すごく私好みの子だわ」
「申し訳ありませんが、アリア様はメイドとして私の元で働いていただく予定なのでいかにアラクネ様の頼みといえど承服いたしかねます」
静かに火花を散らす二人。挟まれてあたふたするアリア。二人の目的は一つ。いかにアリアを自分の手中におき可愛がるかということのみ。ドS同士、考えることは同じである。
「ふふふ、クーレルちゃんがそう言うなんて珍しいわねぇ。よっぽど気に入ったのかしら。妬けちゃうわぁ」
「お戯れを。申し訳ありませんがこの件についてはお譲りすることはできません。なにより、アリア様は魔王様のお気に入りのようなので」
「あら。あの子も色気づく年になったのねぇふふふ。いくら口説いてみても反応が薄かったからてっきりあっちの気があるものだと思ってたわ」
「恐れながら私も手を出されなかったので、密かに心配していたのです」
魔王が聞いたら怒りで男を滅ぼしそうな会話を淡々とする二人。その間もお互いにアリアに手を出されぬよう牽制しあい、場には奇妙な緊張感が満ちている。
「そういうわけで、大変申し訳ありませんがアリア様をアラクネ様のお付のメイドとすることはできないのです。ご了承ください」
「そういうことなら仕方ないわねぇ。今日のところは引くわ。でも、あきらめないわよ? アリアちゃんが来たいといえばいつでも歓迎するわ」
「まぁ話をする程度なら構わないでしょう。お付にするというのは、魔王様がいらっしゃるのでできませんが。それでは今日のところはこのあたりで失礼させていただきます。これからまだ案内しなければならないところが残っているので」
「ええ、わかったわ」
そういってアラクネが遠ざかっていく。明かりの届かないところまで下がると、あとには暗闇のみが見える。遠く離れているはずなのに耳元でささやくように言葉が聞こえた。
「アリアちゃん、いつでもいらっしゃい。あなたなら存分に可愛がってあげるわ……」
ふふふと笑い声が暗闇から聞こえる。絶対来たくないと思ったアリアだった。