世界の終わりに、何を願う
「もし、世界が明日終わるんだとしたら、何がしたい?」
「は……?」
十年来連れ添った悪友の言葉に、俺はポカンと口を開けた。
「はは! 馬鹿面」
「なっ、うるせーよ! お前が妙なこと言い出すからだろ」
ムキになって反論する俺に、悪友――センリはゲラゲラと腹を抱えて笑う。女にあるまじきその様に、呆れた眼差しを投げた。もっとも、今更こいつに淑やかさを求めることなどないが。
「意味わかんねー」
腹の底から息を吐き出して、そのままごろん、と身を横たえる。柔らかな土手の草の感触がこそばゆい。ああ、スーツが汚れるな、と思っても、身を起こす気にはなれなかった。
穏やかな午後の日差しに誘われて、じわじわと睡魔が襲う。昨日は悪酔いしたセンリに付き合わされて、碌に眠っていないのだ。
川べりを吹き抜ける涼やかな風が、頬を撫でた。
「染谷」
「……なんだよ」
「私はお前といる時間が嫌いじゃない」
「はあ?」
閉じかけた瞼を跳ね上げた先で、思いの外真剣なセンリの瞳にぶつかった。予想外に強い眼差しに、面食らう。
妙な気まずさに駆られて、隣に腰を下ろすセンリに背を向けるように寝返りをうった。
「当然だろ。成人してまで気に食わない奴と一緒にいるほどマゾじゃねぇ」
「……そう、か」
一泊おいて返ってきたセンリの声は、いつになく弱々しかった。
「センリ」
答えは、ない。
「千里」
背後から、センリが身じろぎした気配が伝わってくる。
「――戻ってくるんだろうな」
目と鼻の先で揺れるぼやけた小さな花を見つめながら、昨夜のことを思い出していた。
「わからない」
「あまり遅いと迎えにいくぞ」
「……それは困るな」
くすり、とセンリの笑い声が落ちる。この声も聞き納めかと思うと、何とも言えずに黙り込んだ。
「なあ、染谷」
不意に、目の前に影が落ちる。仕方なく身体を倒して再び仰向けに寝転がると、今まで見たことのないセンリの表情が飛び込んできた。
泣き笑いのような、複雑な、顔。
見飽きたはずの腐れ縁が、急に遠い存在に思えて、意味もなく焦る。……今更。
「好きだったよ」
引き止めるなら、昨日だった。センリは、引き止められるのを待っていた。――俺はそれを、知っていた。気づかない、フリをした。
「……ああ」
たった一言。昨夜飲み下した言葉は、未だ苦く喉につかえたままだ。
伝えるタイミングを逃した思いを、消すこともできないまま、抱え続けている。
無言のまま、ゆっくりと立ち上がったセンリが、大きく伸びをする。照らす太陽が眩しくて、目を細めた。
「行くのか」
「行くよ。終いの時間だからな」
またよくわからないことを言う、と思いながら、なんとなく意味はわかっていた。
そうか、終わりか。感慨にふける時間ならいくらでもあったはずなのに、今になって湧き上がる寂寥に苦笑する。
センリの背中が、遠ざかる。緩やかなそのスピードが、名残惜しんでいるように感じられるのは、希望じみた俺の妄想なんだろうか。
「センリ!」
呼び止めたのは、衝動だった。
振り返ったセンリの顔は、逆光になってよくわからない。
でも多分きっと、泣き笑いのような、あの複雑な表情をしているに違いないと、思った。
「もし、」
――世界が今日で、終わるのなら。
終わらせてくれるなと、願うだろう。俺がいて、センリがいて、学生の頃から変わらないこの距離感を。
それが叶わないのなら、せめて、忘れ去ることのないように焼きつけて欲しい。
「いつか、戻ってきたら」
やりたいことなど何もなかった。望むことなど何もなかった。……今日までは。
「――真っ先に来い」
けれど、明日からは。
俺は迷うことなく、願うのだろう。無愛想で粗雑な悪友に、もう一度会わせてくれ、と。
「当然だろう」
不遜にさえ感じられる口調で言い切ったセンリは、素早く踵を返した。
迷いの無い足音が、徐々に小さくなり、そして、消える。
「『当然』……ね」
なら、行くなよ、馬鹿。
――呟いた言葉はもう、届かない。