「仕事が入った」と予定を切り上げる伴侶、とりあえずグーで行く
「——仕事が入りました」
これは、夫であるフォラクスの最近の常套句だ。
「ねぇ、お仕事はいつ終わるの?」
薬術の魔女ことラファエラがそう問えば、「夜には戻ります。心配要りませんよ」とにこやかに返される。
だが、その顔は貼り付けた笑みだ。
×
ラファエラは絶賛不機嫌中だった。
なぜなら、フォラクスとの時間がめっきりと減っていたからだ。
だが今日は、一緒に昼食を食べることができた。それなら大丈夫かも、と思考して彼に声をかける。
「ねぇ、今度一緒に——」
彼女が言いかけたところで、フォラクスの連絡機が着信を告げた。彼が昼食の手を止めて、端末を取り出す。途端に、ラファエラはすっと心が冷えた。
「(もう、ダメかもしれない)」
期待するだけ無駄なのだと、心の奥の自身が囁いた。彼と共に出かけたのは、一体どのくらい前だっただろうか。
「失礼。仕事が入りました。急ぎの様子なので、すみませんが今から向かいます」
「そんなー」
申し訳なさそうに彼は告げ、ラファエラは肩を落とした。予想通りだ。
食卓から離れ席を立つ彼を、彼女はぼんやりと眺める。ほんの一瞬だけ、違う言葉が出ることを期待していた。
「(……これで、一体何度目なんだろ)」
期待してしまった自分に、少しだけ腹が立つ。彼の姿はもうない。着替えるために、寝室にでも向かったのだろう。
最近、フォラクスはこうして『仕事が入った』と言い、ラファエラとの予定を切り上げて仕事の方に行くのだ。家での食事中、外食中、買い物の最中でも、彼は仕事へ向かう。
「(わたしより、お仕事とるんだ……)」
ショックだった。
さすがに『ラファエラと生活するためには金を稼ぐ必要がある。よって、仕事を優先する』と言うのは理解できる。だが、納得が行かない。一度だけならまだしも、ここ1ヶ月の間に3回もあった。これで4度目。
1度目は「そういうこともあるかも」と流し、次いで2度、3度とあったのだ。3度目のあたりからラファエラは「む?」と思い始めた。このままでは、フォラクスは一生仕事を優先してしまうのではないかと、疑心が生まれたのだ。
これでは、夫婦として一緒に暮らしている意味を感じない。ラファエラにとっては、由々しき事態だ。
ラファエラは腹を立てながら、彼が居るだろう寝室へ向かった。
「さすがに仕事入り過ぎじゃない? きみの職場人手不足なの?」
仕事の準備を始めるフォラクスに、彼女は意を決して話しかけた。
「慢性的に、人手は足りていないのは事実ですが……」
すると、彼は準備の手も止めず、いつのものように、氷像の様にツンと澄ませた態度で答える。
フォラクスが冷たい態度を取るのはいつものこと。だが今日はその態度に、ラファエラはカチンと来た。
なんてこともないような、その態度が気に食わなかった。
「わたしよりも仕事の方がいいんでしょっ!」
そう告げると、フォラクスは動揺する。ようやく、手が止まった。そして、彼はラファエラの顔を見る。
「そ、そのようなつもりは……」
「じゃあなに。今日のお仕事は中断してくれるの」
「いえ、それは流石に」
「きみは最近いっつも『仕事が入った』っていってさ! わたしとの予定を切り上げちゃうんだから!」
「ラファエラ。それは私も渋々切り上げている訳で」
「ぷん!」
ラファエラは素早く振りかぶり、的確にフォラクスの鳩尾を殴る。
「ぐっ……」
さすがに痛かったのか、彼は蹲った。少しだけ、気分が晴れたような、そうでもないような。
でも、言葉で分かってくれないのなら態度で示すしかない。
「次やったら、もっと痛いグーで行くからね」
これでも、手加減はしたのだ。次は顎、喉、下腹部など急所を狙うつもりだ。「次やったらどうなるか……分かった?」と拳を構えて彼を見下ろす。
「わ、分かりました……」
蹲ったまま、フォラクスは溢した。
「次からは、こうならぬよう気を付けます」
「ふん! 分かったんなら良いけど!」
頬を膨らまし、ラファエラは部屋から出る。「次は痺れるお薬とか使っちゃうからね!」とラファエラが外から声をかけるも、彼はずっと蹲ったままだった。
×
「斯様な……」
部屋で、残されたフォラクスは息を吐く。
「(斯様な、か弱い拳如きで効くと考えている、とは)」
その口元は笑っていた。加減はしたのだろうが、彼女が本気で殴ったとしても、フォラクスにはほとんど効かない。
「(……可愛らしい)」
あまりにも愚かしくて、思わずにやけてしまう。むしろニチャついてる。ラファエラ当人に見られたらドン引きされるだろうから、フォラクスは口元に手を遣り、努めて表情を無表情に戻す。
彼女がどれだけ本気で暴力を振るおうとも(そんなことをしないのは理解しているが)、フォラクスが痛い目を見る事はない。魔力の関係で、体の強度や筋力が常人の2倍あるからだ。
ラファエラの体質では、どう足掻いても物理でフォラクスに勝つことはできない。
「(——だが。それはそれとして)」
滅多に暴力を振るわないラファエラが、感情のままに拳を振るった。つまり彼女は限界を迎えているのだ。これは由々しき事態である。
「(早急に、対処せねば)」
×
「おー、フォラクス。やっと来たか」
特殊な部屋で待っていた、椅子に座る王弟にフォラクスは足早に近付き。
「次の仕事なんだg」
その横っ面に、拳をめり込ませた。
「ぐはっ?!」
王弟は椅子ごと倒れ、もんどり打って床に転がった。後ろに立っていた宰相が「ひっ」と小さく息を呑む。
「な、何をする?! 不敬なんだが?!」
宰相に支えられながら慌てて立ち上がり、王弟は焦った様子でフォラクスを見上げた。王弟は、最近フォラクスに仕事を振っていた元凶だ。
「取り敢えず拳で行きました」
「いや痛いんだが?!」
「手加減はしております」
「そらお前が本気で殴れば俺の顎無くなるからな、って怖ぇよ!」
「もう一発、行きますか?」
「ちょい待てちょい待て! 俺が何をした!」
拳を握ったフォラクスに、王弟は身を竦ませる。
「ほう。自覚が無いと。では、やはりもう一発……」
再度、フォラクスは拳に力を込める。王弟の後ろにいる宰相の目は、「もう、どうにもならないな」と死んでいた。
「急に仕事を振ったのは悪かった。だが、まだたった4回だろう!」
「では四発殴ります」
「えっマジ?!」
ぐ、とフォラクスは拳に力を込める。そこから防御体勢を取る王弟に構わず三発、間髪入れずに殴った。
「分かった、分かったから!」
後退り、王弟は信じられないものを見る目でフォラクスを見た。防ぎ切ったか、とフォラクスは吐き捨てる。やはり王弟には不意打ちしか効かない。
「確実に仕留めるため、もう一発入れましょうかね」
「やめろ! 流石にお前が牢獄行きだぞ!」
わたわた、と王弟が手のひらを差し出し振る。後ろで宰相が「そうだそうだ」と言いたげに頷いていた。
「天罰は降っておりませぬ」
「あっ、ホントだ! なんで!?」
フォラクスが言ってから、王弟と宰相は確かに天罰が降っていないことを自覚する。でなければ、フォラクスは王弟を殴る前に体が硬直して動けなくなるからだ。
「天の神もお怒りです」
「そうなのか?」
『アザレアちゃんを泣かせたのは重罪です……』
「ほら、彼の方もこう仰っておられる」
声の主はラファエラの親代わりを務めていた。アザレアとはラファエラの幼名である。
「めっちゃ私的なんだが?!」
王弟はうんざりした顔でツッコミを入れる。
「おいフォラクス! お前夫婦仲が悪い設定はどうした!」
「捨てました」
「捨てるな! せめて俺の前くらいは面目を保ってくれ!」
「今更でしょうが」
「開き直るなよ……」
「兎角。諸事情がありまして、急な仕事は月に4回以上入れないで頂きたい」
「3回は良いのか」
「殴りますが」
「殴るのか?!」
×
屋敷に戻ると、居間のソファでラファエラが三角座りで蹲っていた。ブランケットに包まり、お気に入りの猫のぬいぐるみを抱えている。
「……おかえり」
ラファエラの声の後、ずび、と鼻を啜る音がした。
「ええ。只今、戻りました」
柔らかい声色で、フォラクスは応える。ラファエラの側に近付き、しゃがんで視線を合わせた。ふい、と彼女は顔を逸らす。
やはり、泣いていたようだ。屋敷を出る時は強気な様子だったが、フォラクスが居なくなってからひっそりと泣いていたのだろう。
「良いですか、ラファエラ。貴女の気持ちは、私も痛い程分かります。ですが、私が貴女を優先するには、国外へ移らなくてはなりません」
「そんなこといったって……」
ちら、とラファエラは彼を見た。拗ねている態度も、可愛らしい。
「私は貴女に、快適な生活を送らせたい。貴女を、大事にしたいのです」
それを聞き、「……知ってるもん」とぶつぶつ小さく呟いてから。
「わかったよ」
ラファエラは息を吐いた。少し諦めた様子だった。彼の仕事は国防に関わるし、大変な仕事だからだ。
「まぁ、それは兎も角」
「ん?」
「これからは2度と4連続で優先されるような仕事を回さぬよう、上司に忠告しました。大丈夫でしょう」
「ほんと?!」
「ええ。本当です」
弾けるように顔を上げたラファエラに、フォラクスは柔らかく笑った。
次やったらもっと痛いグーで行く。そう決めた。
本編『薬術の魔女の宮廷医生活』(https://ncode.syosetu.com/n2390jk/)(推理モノ、スピンオフ(?))
本編2『薬術の魔女の結婚事情』(https://ncode.syosetu.com/n0055he/)(恋愛モノ、馴れ初めの話)
今回は年齢が近い宮廷医生活の方を上に置いています。
上記2つは名前非開示です。




