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【連載版】婚約破棄? 責任者をお呼びしますわ 〜スキル《呼び鈴》で大変なことになりました〜  作者: 桜めんと
第4章「勝手に見世物にされましたので、責任者をお呼びしますわ」
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第29話 這いつくばっている人

    

 這いつくばったままの男――オルベルト・カインは、細い定規を握ったまま固まった。


「……やはり、正式な役職としては認められておりません、か」


「はい、当然です」


 リディア侍女長が答えると、オルベルトはさらに青ざめた。


「王妃陛下、申し訳ございません。先ほどの角度があまりにも失礼でしたので、せめて深くお詫びを――」


「それ以上、低くならなくて結構ですわ」


 すでに十分低かった。


 周囲の貴婦人たちは、扇の陰で目を丸くしている。

 先ほどまで《呼び鈴》を見世物扱いしていた茶会の空気は、すでに変わり果てていた。


「オルベルトさん」


 レイベルナは、彼が顔を上げても大丈夫な位置に立った。


「茶会座席演出士という肩書きは、どなたがつけたものですか」


「……私でございます」


 庭が一瞬、静かになった。


「……最初は、席の見え方を整える者、と名乗っておりました」


「そのままですわね」


「はい、ですが、それではあの、すごく地味でして。茶会座席演出士と名乗ったところ、貴族邸やサロンでの受けがよくなりまして」


「依頼を受けてしまったのですね」


「はい」


 オルベルトは定規を握りしめた。


「王宮の正式な職ではないことは承知しておりました。ですが今回、王宮茶会進行係という名から、その肩書き宛に依頼が届いたのです。私は、ついに王宮にも認められたのだと……」


「認めておりません」


 リディア侍女長が即答した。


「はい。今、深く理解いたしました」


 オルベルトは床に額をつける。


「今回が、本物の王宮で初めての仕事だったのです。ですから、名を売るために無償で引き受けました」


「……無償……ですか」


 レイベルナは、少しだけ間を置いた。

 リディア侍女長が口を開いた。


「王宮にはない肩書きで、さらには無償で受けた仕事で、王妃陛下のお席の前に這いつくばっているのですね」


 容赦なかった。

 再び空気が凍った。


「張り切る方向を間違えていますわ」


 円卓のあちこちで、扇が小さく震えた。

 笑いかけた貴婦人たちが、王妃陛下の静かな視線に気づいて口元を扇で隠す。


「その依頼は、どのように届きましたか?」


「確か、青い封筒です。席図と要望書が入っておりました。特定の座席からの見え方を整えてほしいと。座席の予定位置について、詳細が書いておりました」


「……王妃陛下のお茶会を、舞台にしましたのね」


 レイベルナの声は荒くない。

 だが、オルベルトの肩がびくりと跳ねた。


「わ、私は席の角度と位置を見ただけでございます。無償なので、お金も受け取っておりません」


「席の角度と位置⋯⋯」


「はい。鈴がよく見えるように、呼ばれた方の顔が見えるように、どの席なら貴婦人方が上品に驚けるかなど……」


 オルベルトは、握っていた配置図をおそるおそる差し出した。

 レイベルナはそれを受け取り、目を落とす。


 円卓の位置。

 王妃陛下の席。

 レイベルナの席。

 そして、その周りに小さな文字で書き込みがある。


――特等鑑賞席。

――前列鑑賞席。

――驚き声がよく届く席。

――立ち上がり注意席。


 レイベルナは、しばらく黙った。


「……驚き声がよく届く席?」


 オルベルトが小さく答える。


「貴婦人方の『まぁ!』が、庭全体へほどよく広がる位置でございます」


「広げなくて結構ですわ」


「はい」


「立ち上がり注意席は?」


「驚いた方が立ち上がった時、椅子に裾を引っかけやすい位置でしたので、注意を」


「まず、そのような席を作らないでくださいませ」


「はい」


 何人かの貴婦人が、自分の座席のカードをそっと裏返した。

 裏返しても、そこに座っていた事実は消えない。


 レイベルナは配置図の下の方を見た。

 そこには、別の筆跡で書き込みがあった。


――特等鑑賞席、協力金受領済み。

――前列鑑賞席、未収三名。

――通常席、当日調整。


「オルベルトさん。この特等鑑賞席や前列鑑賞席を、案内したのはあなたですか」


「いいえ。私は席の角度と位置を決めただけでございます。案内と協力金は、別の方が」


「どなたですか?」


「座席カードを取りまとめておられたヴェルテ夫人です」


 フィーランド侯爵夫人の扇が、ぴたりと止まった。


「まあ。ヴェルテ夫人まで関わっているのですか。社交好きの方ですから、また面白がって……」


「夫人」


 レイベルナは静かに遮った。


「まだ、面白い話にはなっておりませんわ」


 フィーランド侯爵夫人の笑みが、薄くなる。


 王妃陛下が、レイベルナへ目を向けた。


「レイベルナ嬢、続けなさい」


「承知いたしました」


 レイベルナは銀の鈴を持ち上げる。


「この鑑賞席の協力金を受け取り、座席カードを配った責任者を、お呼びしますわ」


 ――チリン。


 銀の音が、東庭に落ちた。


 次の瞬間、茶会の中央に、丸顔の貴婦人が現れた。


 片方の靴を脱ぎ、だらしなく伸ばしている。

 膝の上には、食べかけの砂糖菓子が3つ。

 脇には金貨の入った小箱。

 そして、反対の手には座席カードを何枚か持っていた。


「案内は終わりましたが……すぐには行けませんわね、この靴がきつすぎて足が、足が――」


 そこで、彼女は止まった。


 王妃陛下を見た。

 レイベルナを見た。

 片足だけ裸足になっていた。

 金貨の小箱と座席カードを見た。


 そして、そっとその素足を下ろした。


「……この姿は、社交界には出ませんわよね」


「もう王妃陛下の前にしっかりと出ておりますわ」


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