第5話:最初の投稿
翌日、恒一は学校が終わるのを待っていた。
授業の内容は頭に入っている。
だが意識はずっと、昨夜書き上げた原稿のほうに向いていた。
ランドセルの中には、丁寧に折らずにしまった封筒。
その中に、自分の“最初の一手”が入っている。
(問題は、通るかどうかじゃない)
教室を出ながら、恒一は考える。
(ちゃんと届くかどうかだ)
子供が書いた投稿原稿。
まともに読まれない可能性もある。
だが、この時代は今よりもずっと“投稿文化”が生きている。
雑誌、ラジオ、新聞の読者欄。
素人の声が、今よりずっと近い。
だからこそ、狙う価値があった。
「高瀬、今日は一緒に帰らねえの?」
後ろから声をかけられる。
同じクラスの山本だった。
「ちょっと用事あるから」
「ふーん。じゃあな」
軽く手を振って別れ、恒一は郵便局へ向かった。
まだ小さい足で、少し早歩きになる。
春の風が頬に当たる。
昭和の町並みは、未来の記憶よりもずっと低く、近い。
商店街の看板。
自転車を押して歩く人。
道端で遊ぶ子供たち。
その全部が、“過去”ではなく現実としてそこにある。
(本当に、戻ってきたんだな)
その実感は、歩くたびに強くなる。
郵便局に入る。
少し緊張した。
前世では何度も入った場所のはずなのに、この小さな体だとまるで違って見える。
窓口の女性に、封筒を差し出す。
「これ、お願いします」
「はいはい。投稿?」
「……はい」
女性は微笑んで、切手のことや送り先を確認してくれた。
その何気ないやり取りが、妙に胸に残る。
封筒が窓口の向こうへ消える。
たったそれだけのことなのに、恒一はしばらくその場から動けなかった。
(送った)
まだ何も始まっていない。
金にもならない。
結果も出ていない。
だが――
(俺は、ちゃんと動き始めた)
前の人生では、何かを変えたくても、気づけば疲れて何もできなかった。
会社と家の往復。
上司に叱られ、数字に追われ、休日は寝て終わる。
投資だって、結局は焦って飛びついて失敗した。
“考えて動く”前に、“追い詰められて動く”ばかりだった。
だが今は違う。
時間がある。
未来も知っている。
そして何より――
(やり直せる)
帰り道、恒一は商店街の本屋に立ち寄った。
雑誌の棚を眺める。
少年向け、青年向け、主婦向け、経済寄りの読み物まである。
前世で知っていた雑誌名も、まだ創刊間もないものもあった。
ここから先、どこが伸びて、どこが消えていくのか。
それも、ある程度はわかる。
(投稿先は一つじゃない)
一回で終わらせるつもりはなかった。
当たるまで投げる。
信用がつくまで続ける。
そして、使える“名前”を作る。
本名でも、ペンネームでもいい。
とにかく“読まれる人間”になることが大事だ。
その夜、寝る前に母が言った。
「今日、ちゃんと出してきたの?」
「うん」
「そう。えらいじゃない」
たったそれだけの言葉。
だが、不思議と胸が少しだけ温かくなった。
前世では、誰かに「えらい」と言われることなんて、ほとんどなかった。
成果を出して当たり前。
足りなければ怒られる。
それだけだった。
布団に入る。
天井を見上げる。
暗い中で、恒一は静かに息を吐いた。
(さて)
投稿はした。
なら次は、待つだけでは足りない。
“次の手”を打つべきだ。
もっと確度の高い予測。
もっと実用的な視点。
読む側が「なるほど」と思う材料。
子供の作文じゃなく、“使える原稿”として見せる。
(一本じゃ弱い)
複数、仕込む。
小さくてもいい。
当たりを増やす。
その積み重ねが、あとで“実績”に変わる。
「……忙しくなるな」
小さく呟いて、恒一は目を閉じた。
昭和五十年の春。
高瀬恒一の二度目の人生は、ようやく最初の一歩を踏み出したばかりだった。
今まで読み専だったけどこんなストリートをもっと読みたいと思ったけどないから書いてみました
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