挿話⑪ まだ外にいない書き手
夜の編集部は、昼間とは別の顔を見せる。
電話の音は減り、足音も少なくなる。
代わりに、紙をめくる音や、ペン先が走る音が静かに響く。
残っている人間は多くない。
それぞれが、自分の仕事に没頭している。
中村宏太もその一人だった。
机の上には、いくつかの原稿とゲラ。
その中の一枚を、もう一度手に取る。
例の投稿。
今日、何度目かの読み直しだった。
「……やっぱり引っかかるな」
小さく呟く。
派手ではない。
強烈なインパクトがあるわけでもない。
だが、読み終わったあとに、どこかに残る。
それも、一度ではなく、何度も。
それが気になる。
中村は椅子にもたれ、天井を少しだけ見上げた。
編集という仕事は、表に出ない。
誌面に名前が出ることも少ない。
評価されるのは記事や企画であって、裏でそれを支える人間ではない。
それでも、この仕事には確かな手応えがある。
“拾う”こと。
それができるかどうか。
どこに価値があるのか。
何が伸びるのか。
何が続くのか。
それを見極める。
それが編集だ。
中村は、もう一度原稿に目を落とした。
(この書き手は、たぶん続く)
理由を言葉にするのは難しい。
文章が特別うまいわけではない。
題材も、特別新しいわけではない。
それでも、感じる。
積み上げている。
一回ごとに、ちゃんと修正している。
そして何より、“急いでいない”。
これが大きい。
多くの投稿者は、結果を急ぐ。
一度載れば満足するか、逆に期待が膨らみすぎて崩れる。
だが、この書き手にはそれがない。
淡々と出してくる。
その安定感は、経験がなければ出ない。
「……どんなやつなんだろうな」
自然と口に出る。
顔も知らない。
声も知らない。
年齢だけがわかっている。
十歳。
その情報と、目の前の文章が、うまく繋がらない。
子供らしさはある。
だが、どこかだけ違う。
無理に背伸びしているわけでもない。
かといって、ただの子供でもない。
その“ズレ”が、ずっと引っかかっている。
中村は原稿を机に置き、ペンを指で転がした。
編集部の外には、当然ながら、無数の人間がいる。
投稿者も、その一部だ。
普通は、そこで終わる。
封筒が届く。
原稿を読む。
載せるかどうかを決める。
それだけの関係。
だが、まれにある。
その“外にいる存在”が、こちら側に入ってくることが。
きっかけは様々だ。
掲載が続く。
印象が残る。
タイミングが合う。
そして、ある日、繋がる。
「……あるかもな」
小さく呟く。
まだ確定ではない。
ただの予感だ。
それでも、この予感は無視できない。
机の端に置かれたゲラに、再び目を向ける。
読者投稿欄。
小さなスペース。
だが、その中にある名前は、もう何度も目にしている。
意識しなくても、視界に入る。
それだけで十分だ。
「名前、残ってるな」
静かに確認する。
これはもう、“一回読んだだけの投稿者”ではない。
少なくとも中村の中では、はっきりと認識されている。
それは、紙の上だけの関係ではない。
まだ会っていない。
話してもいない。
それでも、“知っている”と言える状態だ。
そこまで来ている。
時計を見る。
かなり遅い時間だ。
他の机はほとんど空いている。
中村は原稿をまとめ、封筒の束の上に置いた。
今日の仕事は終わりだ。
だが、頭の中ではまだ続いている。
(このまま投稿で終わるか)
それも一つの形だ。
多くはそうなる。
だが、もし違うなら。
どこかで会うことになる。
そうなったとき、何ができるか。
何をさせるか。
そこまで考えてしまう自分に、中村は少しだけ苦笑した。
「気が早いな」
誰もいない編集部で、小さく呟く。
だが、それでもいい。
編集という仕事は、少し早く見ておくくらいがちょうどいい。
外にいる書き手。
まだこちら側にはいない存在。
だが、その距離は、思っているより近いかもしれない。
照明を落とし、席を立つ。
帰り際、もう一度だけ原稿の方を振り返る。
紙の上に並んだ文字。
その向こうにいるはずの、まだ見ぬ書き手。
「……続けてくれよ」
それは願いではない。
確認に近い言葉だった。
続くなら、いずれ繋がる。
その線は、すでに引かれ始めている。
中村は編集部を後にした。
静まり返ったフロアに、原稿だけが残る。
まだ外にいる書き手。
だが、その存在は、もう完全に“無関係”ではなくなっていた。
私の2作目
「神様転生したはずが赤ん坊の自分に転生していた件」
この作品は一言で言うと神様に笑われた男が世界を笑えなくするです。(自分でも導入で笑ってしまいました)
良かったらどうぞよろしくお願いします
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