挿話⑨ 名前が残るということ
編集部の机の上には、印刷前のゲラが並んでいた。
まだ最終ではない。
だが、誌面としての形はほぼ出来上がっている。
中村宏太は、その中の一ページに視線を落とした。
読者投稿欄。
雑誌の中では小さなスペースだ。
特集のように大きく扱われることもなければ、広告のように売上に直結するわけでもない。
それでも、このページには独特の役割がある。
雑誌の“空気”を整える場所。
読者が、少しだけ肩の力を抜いて読める場所。
そして、編集部にとっては“見えない原石”が紛れ込む場所でもある。
中村は、指で軽く紙面をなぞった。
そこにある名前。
例のペンネーム。
一度目ではない。
二度目でもない。
何度も載っている。
「……増えてきたな」
自然に口から出た。
回数が増える。
それだけで意味が変わる。
一回だけなら、たまたま面白かった投稿。
二回でも、まだ偶然と言い張れる。
だが、三回、四回と続けば話は違う。
そこには必ず理由がある。
中村は椅子に深く腰を下ろし、もう一度その名前を見た。
派手な文章ではない。
特別な題材でもない。
だが、外さない。
読んだあとに、ほんの少しだけ残る。
それが続いている。
「……こういうのが一番厄介なんだよな」
誰に言うでもなく呟く。
厄介。
それは悪い意味ではない。
むしろ逆だ。
扱いを間違えると、伸びるものを潰してしまう。
逆に、うまく拾えば、大きくなる可能性もある。
その境目にいる。
そういう書き手だった。
隣の席の編集者が、ゲラを覗き込む。
「またその子か?」
「はい」
「結構載ってるな」
「そうですね」
短いやり取り。
だが、その中に変化がある。
最初は「面白い投稿があった」という扱いだった。
今は違う。
「あの子」。
それで通じる。
それだけで十分だ。
編集部の中で、名前が“個体”として認識され始めている。
これは大きい。
中村はページをめくり、他の投稿にも目を通す。
良いものはある。
面白いものもある。
だが、続かない。
一回きり。
もしくは二回で終わる。
理由はわからない。
だが、それが現実だ。
だからこそ、このペンネームは浮いて見える。
継続している。
それだけで、価値が違う。
「名前って、こうやって残るんだよな」
ぽつりと呟く。
文章の上手さだけではない。
継続。
安定。
修正。
それらが重なって、初めて“名前”になる。
まだ読者全体に知られているわけではない。
それでも、確実に何かが積み上がっている。
中村はペンを取り、その名前の横に小さく印をつけた。
特別な印ではない。
自分だけがわかる目印。
だが、その行為には意味がある。
意識する。
覚える。
次に来た時、すぐに拾う。
それだけで、扱いは変わる。
「……こういうの、あとで効くんだよな」
過去の記憶がよぎる。
最初は目立たなかった投稿者が、気づけば別のページに移っていたこと。
連載を持つようになったこと。
きっかけはいつも、小さな積み重ねだった。
今、目の前にあるのはその“前段階”だ。
ここでどう扱うかで、未来が変わる。
中村はゲラを閉じた。
決める必要はない。
ただ、見ておく。
それで十分だ。
この名前は、もう消えない。
少なくとも、この編集部の中では。
私の2作目
「神様転生したはずが赤ん坊の自分に転生していた件」
この作品は一言で言うと神様に笑われた男が世界を笑えなくするです。(自分でも導入で笑ってしまいました)
良かったらどうぞよろしくお願いします
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