挿話⑦ 編集部の外にいる相手
締切明けの朝は、編集部に少しだけ緩んだ空気が流れる。
電話の数も減り、誰もが昨日までの張りつめた顔を少しだけほどいている。
そんな時間に、若手編集者は前号の誌面を見返していた。
読者投稿欄。
その中に、例のペンネームがまた載っている。
大きなページではない。
名前の文字も小さい。
目立つ扱いではない。
それでも、何度か並ぶと見え方が変わる。
「……残るなあ」
無意識に口に出た。
隣でコーヒーを飲んでいた先輩編集者が聞き返す。
「何がだ」
「いや、この子の名前です。誌面で見ると、前よりずっと残る感じがして」
先輩は紙面をちらりと見た。
「そうかもな」
「読者にはどう見えてるんですかね」
「そこまでは知らん。でも、少なくともこっちには残ってる」
若手はうなずいた。
それが大事なのだ。
読者全員に覚えられなくてもいい。
編集部の側に残る。
次に原稿が来た時、手が止まる。
“ああ、また来たか”と思う。
それだけで、その他大勢とは違う。
「次、少し違う欄に回すのもありですかね」
若手が言うと、先輩は少しだけ考えた。
「まだ早い」
「ですよね」
「ただ、ずっと同じ扱いとも限らん」
その言葉に、若手は少しだけ笑った。
十分だった。
すぐに何かが変わるわけではない。
けれど、“将来的に動かせる相手”として見られ始めている。
それは、投稿者にとってかなり大きい。
編集部の外には、当然ながらそのことを知らない相手がいる。
どんな顔をしているのかも、どんな生活を送っているのかもわからない。
ただ封筒が届く。
中に原稿が入っている。
こちらが読んで、載せるか決める。
それだけの関係だ。
だが、その“それだけ”が何度も続くうちに、見えない相手の輪郭が少しずつできてくる。
几帳面。
観察力がある。
ちゃんと誌面を読んでいる。
直してくる。
急がない。
そんなふうに。
「案外、こういうところからなんだよな」
先輩が何気なく言った。
「何がです?」
「書くやつってのは」
若手は、その言葉をしばらく頭の中で転がした。
書くやつ。
作家でも、記者でもない。
でも、たしかに“書くやつ”だ。
まだ子供のはずなのに。
まだ誌面の端に小さく載るだけなのに。
それでも、その呼び方は妙にしっくりきた。
編集部の窓の外では、曇った空が少しずつ明るくなり始めていた。
見えないどこかで、あの投稿者もまた次の原稿を書いているのかもしれない。
そう思うと、若手編集者は少しだけ背筋を伸ばした。
こちらも、ちゃんと読まなければならない。
それが編集の仕事なのだと、改めて思った。
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