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第184話:崩壊前夜、本当に危険なのは“誰も騒がなくなる事”だった

平成二年。


梅雨。


朝。


雨音。


窓を叩く水滴。


薄暗い空。


商店街のシャッターがゆっくり開いていく。


車のタイヤが濡れた道路を滑る音。


いつもの朝。


だが。


恒一には分かる。


空気が変わっている。


少しずつ。


静かに。


テレビでは経済ニュース。


「地価上昇率は依然高水準――」


「株価も堅調に推移――」


「平成景気は安定成長局面へ――」


(“安定”か)


恒一は新聞を閉じる。


未来を知っている。


だから分かる。


本当に危ない時。


人は“危険”を語らなくなる。


母が味噌汁を置く。


「最近またニュース落ち着いたわね」


父も頷く。


「少し前まで“もっと上がる”って騒いでたのにな」


(そこだ)


熱狂の最終段階。


最初は騒ぐ。


次に浮かれる。


そして最後。


“上がる事が当たり前”になる。


だから。


誰も騒がなくなる。


机へ向かう。


大学ノート。


全国地方再生ネットワーク。


十二都市。


協力都市二十七。


そして。


新しい項目。


・市場静音化

・熱狂の日常化

・警戒心消失

・撤退者増加


(かなり近い)


未来でもそうだった。


崩壊直前。


市場は静かになる。


なぜなら。


皆、“大丈夫が当然”だと思い始めるから。


学校。


昼休み。


教室。


以前ほど株の話をしなくなった。


土地の話もしない。


なぜか。


当たり前になったから。


その代わり。


「親父また土地買った」


「うちも」


「もう普通だよな」


(完全に日常化したな)


危険が。


日常へ溶け込む。


それが一番危ない。


放課後。


今日は第五物流都市。


雨の物流基地。


大型トラック。


コンテナ。


クレーン。


雨の中でも動いている。


(ここは変わらない)


物流は強い。


熱狂しようが。


崩壊しようが。


物は動く。


だから。


最後に残る。


会館へ向かう。


物流会社。


倉庫会社。


銀行。


港湾関係。


いつもの面々。


だが。


今日は妙に静かだった。


会長が苦笑する。


「最近な」


煙草を置く。


「皆、慣れた」


(来たか)


「昔は土地上がっただけで騒いでた」


笑う。


「今は誰も驚かん」


未来でもそうだった。


異常が。


日常になる。


その時。


物流会社社長が言う。


「最近、古い会社が土地売ってる」


静かになる。


銀行員が頷く。


「増えてます」


さらに。


「しかも理由を言わない」


(本物だな)


未来を知る恒一には分かる。


それは。


勘だ。


長く生き残った経営者の。


本能。


数字ではなく。


空気で動いている。


その時。


建設会社社長がぽつりと言った。


「最近、怖いんだよな」


会館が静かになる。


「何が?」


会長が聞く。


社長は苦笑した。


「誰も焦ってない」


(そうだ)


そこだ。


一番危険なのは。


皆が安心し切る事。


未来でも。


崩壊直前ほど。


市場は静かだった。


夕方。


物流基地を歩く。


雨。


トラック。


フォークリフト。


作業員。


全部動いている。


だが。


以前より。


人が減っている。


少しずつ。


静かに。


若い人間が来ない。


辞める。


投資へ行く。


不動産へ行く。


証券へ行く。


だから。


現場が痩せる。


その時。


若い作業員達の会話が聞こえた。


「最近さ」


「親父が急に土地売った」


「なんで?」


「分からん」


「でも“今のうち”って」


(始まってる)


誰にも見えない場所で。


もう始まっている。


夜。


第一都市。


駅前。


雨なのに人が多い。


店も開いている。


ネオン。


飲み屋。


投資会社。


全部明るい。


成功している。


間違いなく。


だが。


恒一は違う物を見る。


閉店した小さな店。


売りに出された古い土地。


静かに消える古参地主。


誰も気付かない。


なぜなら。


表面は景気が良いから。


商店街会長と歩く。


会長がぽつりと言った。


「最近な」


少し黙る。


「皆、“絶対大丈夫”って顔してる」


(未来だ)


一番危ない。


その顔。


「昔の方が怖がってた」


恒一は黙る。


「今は誰も怖がらん」


雨音。


ネオン。


車の音。


全部混ざる。


会長が笑った。


「だから逆に怖い」


(見えてるな)


未来でも。


本当に危険を感じたのは。


現場を知る人間だった。


帰宅。


静かな部屋。


雨音。


時計の音。


机へ向かう。


大学ノート。


新しいページ。


・平成二年梅雨

・市場静音化

・危機感消失

・撤退行動水面下拡大


さらに。


・崩壊前夜、本当に危険なのは“誰も騒がなくなる事”だった


書き込む。


未来でもそうだった。


本当に危険な時。


人は騒がない。


安心する。


慣れる。


当然だと思う。


だから。


誰も止まらない。


誰も逃げない。


誰も疑わない。


そして。


最後だけ。


突然崩れる。


布団へ入る。


目を閉じる。


全国地方再生ネットワーク。


成功した都市。


物流。


工場。


港。


商店街。


全部浮かぶ。


成功した。


本当に。


だが。


その成功の上に。


静かに。


誰も気付かないまま。


巨大な歪みが積み上がっている。


未来を知る恒一だけが。


その静けさを恐れていた。


そして知っている。


市場が本当に危険になるのは。


皆が熱狂している時じゃない。


“熱狂に慣れた時”なのだと。

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