第1話:1975年の朝
まぶたの裏に、白い光が差し込んでいた。
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。
見えたのは、見覚えのない天井だった。
白い塗り壁に、古い木の梁。
エアコンの音も、車の走る音も聞こえない。
代わりに――
チュンチュン、と鳥の鳴き声。
「……は?」
身体を起こそうとして、違和感に気づく。
軽い。
やけに軽い。
腕を見下ろすと、そこにあったのは――
子供の手だった。
細く、小さく、肌の張りが違う。
一瞬、思考が止まる。
「なんだ……これ」
声を出す。
だが、それもおかしい。
高瀬 恒一の記憶にある自分の声より、明らかに高い。
幼い。
慌てて立ち上がる。
畳の感触が足の裏に伝わる。
その瞬間、別の違和感。
――畳?
俺の部屋、フローリングだったはずだろ。
視線を巡らせる。
六畳ほどの和室。
押し入れ。
ちゃぶ台。
壁には、見覚えのないカレンダー。
そして――
部屋の隅に置かれた、ブラウン管テレビ。
「……いや、待て」
心臓の鼓動が、少しずつ速くなる。
ありえない。
こんな部屋、知らない。
というか――
時代が違う。
ふらつきながら、壁のカレンダーに近づく。
赤と黒で印刷された数字。
その上に書かれている文字。
⸻
1975年(昭和50年)
⸻
「……は?」
声が漏れる。
意味が、理解できない。
1975年?
ふざけるな。
俺はさっきまで――
終電で帰っていて、
スマホを見て、
バブル崩壊の記事を――
「……スマホ」
ポケットに手を突っ込む。
ない。
当然だ。
そもそも、この体にスーツすら着ていない。
「……夢、か?」
呟いてみる。
だが、妙に現実感がある。
畳の感触も、空気の匂いも、すべてがリアルだ。
そのとき――
ガラッ。
襖が開く音。
「恒一ー? もう起きなさいよ」
女性の声。
振り向く。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性――
いや。
「……母さん?」
口が勝手に動いた。
女性は、少し驚いた顔をしたあと、すぐにいつもの調子で言う。
「何ぼーっとしてるの。学校遅れるわよ」
エプロン姿。
優しいが、少し忙しそうな声。
記憶が、じわりと蘇る。
この人は――
俺の母親だ。若い頃の。
「……まじかよ」
小さく呟く。
女性――母は、不思議そうに首を傾げる。
「何?」
「……いや、なんでもない」
心臓がうるさい。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
だが――
一つだけ、はっきりしていることがある。
⸻
(これ、夢じゃない)
⸻
1975年。
昭和50年。
そして――
この体。
「……戻ったのか」
自然と、言葉がこぼれる。
ブラック企業。
失敗した投資。
何も残らなかった35年間。
それが、全部。
「やり直せる……?」
その瞬間。
頭の奥で、何かが繋がる。
ファミコンは1983年。
バブル景気は1986年頃から。
土地価格は異常に上がる。
株も、狂ったように上がる。
そして――
1991年、崩壊。
全部、知っている。
「……はは」
思わず、笑いが漏れた。
(これ、勝ちじゃないか)
母が不思議そうにこちらを見る。
「何笑ってるの?」
「……いや」
ゆっくりと、息を吐く。
「なんでもないよ」
胸の奥で、確信が固まっていく。
もう一度、人生をやり直せる。
しかも――
未来を知ったまま。
(だったら)
「今度は、全部取る」
小さく呟いたその言葉は、
まだ誰にも聞かれていない。
だがその日、
一人の男の人生は、
静かに、そして確実に変わり始めた。




