第86話:二つ目は、気づかないうちに増えている
いつも通りの朝の空気や畳の匂いに台所の音、味噌汁の湯気と包丁のリズム、外から聞こえる通学路の足音や遠くの車の音、何も変わらない。ただ昨日までと違うのは、流れが一つではなくなっているとわかっている点だ、紙から出た動きが別の場所で別の形になっている、その数を数える段階に入っていると整理する。
(増えてるな)
そう判断する。
「恒一」
母の声。
「昨日の話ね」
「うん」
「近所の人も言ってたわ」
「なんて」
「なんか早く決まるって」
(来たな)
「やってる?」
「やってるみたい」
それだけ。
「お父さんもね」
少しだけ笑う。
「会議で使ったって」
「どうなった」
「早く終わったって」
(いい)
場所が変わっている。
外に出る。いつもの道、同じ景色、だが止まる場所がさらに増えている、会話の断片がはっきりしてきている。
「それでいい?」
「いいよ」
「じゃあそれで」
(定着してる)
言葉が短くなっている。
迷いが減っている。
教室に入る。昨日よりさらに空気が軽い、ざわつきではなく動きに近い、雑誌はすでに何冊も開かれている。
「恒一」
一人が手を挙げる。
「またやった」
(来たな)
「どこで」
「家」
短く言う。
「なんかさ」
少しだけ考える。
「夕飯決めるとき」
「いつも時間かかるんだけど」
「これでいいって言ったら」
「すぐ決まった」
それだけ。
(広がってる)
店じゃない。生活に入っている。
「ほんとに?」
別のやつが聞く。
「ほんと」
「なんか変な感じだった」
「でも楽」
それだけ。
(いい)
違和感はある。だが止まっていない。
「俺もやってみる」
別のやつが言う。
「どうやるの」
「これって決めるだけ」
それだけ。
(簡単すぎる)
だから通る。
昼休み。机の周りに人が集まる。昨日より人数が増えている。
「さっきさ」
一人が言う。
「購買でパン選ぶとき」
「これでいいって言ったら」
「すぐ終わった」
(来た)
「なんかさ」
別のやつが言う。
「考えなくていいから楽」
「それだ」
短く言う。
「止まらない」
それだけ。
「……ああ」
小さく納得する声。
完全ではない。だが方向は同じ。
(十分)
廊下に出る。別のクラスでも同じ話が出ている。
「それでいいって言われるとさ」
「もうそれでいいかってなる」
「早いよな」
(広がり方が変わってる)
昨日は“読む”だった。
今日は“やる”。
職員室の前を通る。中から声が聞こえる。
「例のやつだが」
教師の声。
「今日も試した」
「どうだった」
「会議が短くなった」
「やはりか」
(定着してる)
一度で終わらない。繰り返している。
放課後。外に出る。本屋の前、人が立ち止まっている。
昨日より多い。
雑誌を開く。
「これ知ってる?」
「昨日やった」
「ほんとに変わるよな」
「簡単すぎるけど」
(いい)
説明ではなく体験で繋がっている。
そのまま歩く。田中の店の前を通る。
人が止まる。
入る。
出る。
また入る。
(回転が上がってる)
中を見る。
「それで」
注文が早い。
「もう来た」
客が言う。
笑う。
(完全だ)
流れは固定された。
そのまま歩く。
別の通りに入る。
小さな店。
前を通ると、紙が貼ってある。
“おすすめ”
(……違うな)
だが、その横に小さく書いてある。
“これでいい”
(来たな)
誰かが真似している。
完全ではない。
だが方向は同じ。
一人が止まる。
見る。
少し考える。
入る。
(通った)
知らない店。
関係ない場所。
それでも動く。
(増えてる)
数が増えている。
そのまま雑誌社へ向かう。
ビルに入る。受付を通る。止まらない。
奥へ進む。
「来たか」
「はい」
男が紙を見ている。
「来てるぞ」
(来た)
「どこまで」
「店以外だ」
短く言う。
「家、学校、会社」
それだけ。
「速いな」
「速いです」
「同じことやってる」
それだけ。
男が頷く。
「いいな」
小さく言う。
「もう説明いらない」
(そこだ)
「はい」
「次」
紙を出す。
三回目。
(理由)
「ここだな」
男が指を止める。
「戻る理由」
「はい」
「名前」
それだけ。
「これ入れたら固定される」
「そうです」
短く。
「繰り返すな」
「はい」
「同じのを頼む」
それだけ。
男が少し笑う。
「やっと完成か」
(一区切りだ)
「はい」
「掲載は予定通り」
「はい」
「これで終わりじゃないな」
(来たな)
「増えます」
短く言う。
「どこまで」
「勝手に」
それだけ。
男が黙る。
「……怖いな」
小さく言う。
(普通だ)
流れはそういうものだ。
それで終わり。
外に出る。夕方の空気、人の流れ、同じ景色。
(止まらない)
一つじゃない。
二つでもない。
数が増えている。
夜。家に帰る。机に向かう。ノートを開く。
記事①(拡散)
記事②(再現)
記事③(固定)
その下。
数(増加)
速度(維持)
範囲(拡大)
(いい)
さらに一行書く。
分岐(発生)
「……ここだな」
小さく呟く。
一つの流れが、別の流れになる。
それがまた増える。
止められない。
布団に入る。目を閉じる。
教室、店、家、会社、全部が繋がる。
(いける)
気づかないうちに増えている。
それが一番速い。
「……次だな」
小さく言う。
これはまだ途中。
さらに広がる。
その段階に入った。




