婚約破棄されたので復讐しますが、隣国王子の溺愛が想定外すぎて計画が崩壊しそうです
「リシェル・フォン・アルヴィス。貴様との婚約は、ここに破棄する」
王宮の大広間に、冷たい声が響いた。
私はゆっくりと顔を上げる。そこには、かつて婚約者だった男――第一王子レオナルト。そして、その腕に絡みつく女。
……ああ、なるほど。
「理由を、お聞きしても?」
静かに問い返すと、王子は鼻で笑った。
「貴様は冷たすぎる。女らしさがない。俺は――彼女、エミリアを愛している」
名を呼ばれた女は、勝ち誇ったように微笑んだ。
「ごめんなさいね、リシェル様。でも愛は止められないものですの」
……滑稽だ。
愛? 違うでしょう。
ただの不倫だ。
私は知っている。この二人が、半年以上も前から密かに関係を持っていたことを。
そして、それを隠すために――私を悪者に仕立て上げたことも。
「……そうですか」
私は小さく息を吐く。
怒りは、ない。
ただ、冷たい何かが胸の奥に沈んでいく。
「では、婚約破棄、謹んでお受けいたします」
周囲がざわつく。
泣き叫ぶでもなく、取り乱すでもない私に、王子は一瞬だけ不快そうな顔をした。
「……あっさりだな」
「ええ。不要な縁は、切るに限りますから」
その一言で、空気が凍りついた。
エミリアの顔が歪む。
「な、何ですのその態度!」
「事実を述べただけですわ」
私は微笑む。
それはきっと――これまで見せたことのない表情だっただろう。
「ですが、一つだけ」
「何だ」
「本当に、それでよろしいのですね?」
意味ありげに問うと、王子は苛立たしげに吐き捨てた。
「当然だ! 二度と顔を見せるな!」
――ああ、決まった。
その瞬間、私の中で何かが完全に切り替わった。
「承知いたしました」
優雅に一礼する。
そして、私はその場を去った。
……復讐のために。
数日後。
「――というわけで、私は国を出ます」
そう告げた相手は、隣国の王子だった。
「面白いな」
金色の瞳が細められる。
彼の名は、アレス・ヴァルディア。冷徹と噂される隣国の王子。
……のはずなのだけれど。
「君、ずいぶん楽しそうに復讐を語るね」
「楽しそう、ですか?」
「うん。いい顔してる」
さらりと言われて、少しだけ言葉に詰まる。
この男、距離感がおかしい。
「それで、協力してくださるのですか?」
「もちろん。その代わり――」
アレスは、私の顎に指をかけて軽く持ち上げた。
「君は、俺のものになれ」
「……は?」
「形式だけでいい。偽の婚約だ」
……意味が分からない。
「メリットは?」
「復讐がやりやすくなる。それに――」
彼は楽しそうに笑った。
「俺が君を守れる」
その言葉に、ほんの一瞬だけ胸が揺れる。
だが、すぐに冷静さを取り戻す。
「……いいでしょう。乗ります」
「交渉成立だ」
こうして私は、隣国の王子と手を組んだ。
復讐は、静かに進んだ。
まず、王子とエミリアの不倫の証拠を洗い出す。
次に、彼らの裏取引――金銭の不正や、貴族への圧力を暴く。
そして、決定的な一手。
――公開の場で、全てを晒す。
「な、何だこれは!?」
王宮での再会。
狼狽える元婚約者に、私は微笑む。
「貴方がしてきたことの、ほんの一部ですわ」
証拠が並べられる。
ざわめきが広がる。
エミリアの顔が青ざめていく。
「ち、違う! これは罠よ!」
「罠?」
私は首を傾げる。
「では、この手紙も偽物だと?」
読み上げる。
愛の言葉と、不正の相談。
全て、彼女の筆跡。
「……ああ、終わりですわね」
ぽつりと呟くと、エミリアは崩れ落ちた。
王子もまた、顔面蒼白だった。
「リシェル……なぜ、ここまで……」
「簡単です」
私は一歩、近づく。
「裏切られたからですわ」
その一言で、全てが決した。
数日後。
王子とエミリアは失脚。
爵位剥奪と幽閉。
――完全な終わり。
「見事だったな」
隣でアレスが笑う。
「これで満足か?」
「ええ。十分です」
私は頷く。
復讐は終わった。
……のに。
「じゃあ次は結婚だな」
「は?」
「約束だろ?」
「偽装では?」
「途中で本気になった」
即答だった。
……この人、本当に何なの。
「断ったら?」
「逃がさない」
にっこり笑う。
怖い。
「……強引ですね」
「溺愛ってやつだ」
さらっと言われて、思わずため息が出た。
でも。
悪くない、と思ってしまう自分がいる。
「……仕方ありませんわね」
「お、いいのか?」
「ただし条件があります」
「何でも聞こう」
「一生、私に尽くすこと」
言い切ると、アレスは楽しそうに笑った。
「望むところだ」
その手を取る。
――これは復讐の終わりで。
そして、新しい物語の始まり。
少しだけ騒がしくて、やたらと甘い――そんな未来の。
幕開けだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「というわけで、今日から同居だな」
「待ちなさい、話を飛ばさないでください」
朝。
私の寝室に当然のように座って紅茶を飲んでいる男――アレス。
いや、なぜいるの。
「鍵は?」
「作った」
「犯罪ですわよ!?」
「愛だ」
「免罪符みたいに言わないでください!!」
朝から頭が痛い。
復讐を完璧に遂行したはずなのに、どうしてこうなった。
「それよりリシェル、今日の予定は?」
「王妃教育です」
「じゃあ俺も行く」
「来ないでください」
「夫婦だろ?」
「まだです!!」
テンポがおかしい。
いやこの人が全部おかしい。
――王妃教育室。
「本日は王妃としての立ち振る舞いを――」
講師が話し始めた瞬間。
ドアが勢いよく開いた。
「見学に来た」
「来るなって言ったでしょうが!!」
当然のように入ってくるアレス。
講師が固まる。
他の令嬢たちも固まる。
空気が死ぬ。
「えーと……どなたでしょうか……」
「夫です」
「違います!!」
即否定。
「まだ婚約段階です!」
「細かいな」
「細かくありません!!人生です!!」
私のツッコミが止まらない。
「では、リシェル様。優雅な一礼を――」
指示され、私は一歩前に出る。
完璧な姿勢で礼をする。
――はずだった。
「可愛い」
「集中させてください!!」
背後からアレスの声。
そのせいで一瞬崩れる。
講師が震える。
「も、もう一度……」
「最高だな」
「だから黙っててください!!」
……何この地獄。
休憩時間。
私は机に突っ伏した。
「……疲れました」
「頑張ってたな」
「原因は貴方です」
「愛だ」
「だから免罪符にするなと言ってるでしょう!!」
同じ流れ三回目。
成長しない男。
いや悪化している。
「ところで」
「まだ何か?」
「次は結婚式だな」
「話が早すぎます!!」
「準備は進めてある」
「勝手に!?」
「国を挙げて祝う」
「やめてください!!規模がでかい!!」
もうツッコミが追いつかない。
数日後。
「……何ですのこれ」
目の前に広がるのは、豪華すぎるドレスの山。
「全部リシェルのだ」
「多すぎます!!」
「毎日着替えればいい」
「私は人形じゃありません!!」
どれも最高級。
布地も装飾も、異常なレベル。
「これ一着で屋敷買えますわよね?」
「たぶん」
「たぶんで流すな!!」
さらに。
「こちらは王都全域を使った結婚式の設計図です」
「やめなさい!!」
設計士が持ってきた図面を即座に止める。
「城から港まで花道を敷く予定で」
「国を巻き込むな!!」
「祝砲は百発ほど」
「戦争ですか!?」
隣でアレスが満足げに頷いている。
「いいな」
「よくないです!!」
「……はぁ」
私は深く息を吐く。
もう怒る気力もない。
「なあ、リシェル」
「何ですか……」
ふと、アレスの声が少しだけ静かになる。
「嫌か?」
「……何がです?」
「こうして、一緒にいるの」
珍しく、まともな問い。
私は少しだけ考えて。
「……騒がしいです」
「うん」
「理不尽です」
「うん」
「でも」
一瞬だけ、笑ってしまう。
「退屈はしませんわね」
そう言うと、アレスは嬉しそうに笑った。
「じゃあ決まりだな」
「何がです」
「一生一緒だ」
「勝手に決めないでください!!」
結局これ。
でも。
その手を振り払う気には、なれなかった。
――復讐は終わった。
だけど。
私の平穏は、たぶん一生戻らない。
代わりに手に入れたのは。
騒がしくて、甘くて、少しだけ幸せな――
「リシェル、好きだ」
「今さらですか!?」
「毎日言う」
「多い!!」
……こんな日常。
悪くない、と。
思ってしまうのだから、困ったものだ。




