第3章
薄明の空気を震わせるように、鳥たちの声が日曜の朝を告げていたが、まだ夢と現実のあわいにいる彼女の耳には届くはずもなかった。
「ユキー! 起きな」
姉のサヤカに部屋のドアを荒々しく開けられ、さらにドスの効いた声で叩き起こされたユキナは、眉間にしわを寄せた。
「んー……」
手探りでスマホを取り、時間を確認すると、まだ六時だった。
「サヤ、もっと優しく起こせないのー? てか日曜なんだけど。昨日たつと遅くまで勉強してて眠いんだから……」
ユキナは布団を頭からかぶる。
「さっさと起きないのが悪い! 何回起こしに来たと思ってんの?」
「えー、一回目じゃないの?」
サヤカはため息をついた。
「今日はママもパパも私も出勤の日だから、家のこと協力してって言ってあったでしょ」
苛立った様子で腕を組み、ユキナを睨みつける。
170cmのサヤカがそうして立っているだけで、空気がぴりっと張り詰めた。
胸まであるロングヘアはユキナと同じ薄い栗色だが、タレ目で柔らかな顔立ちのユキナとは違い、目元はやや吊り上がった猫目だった。
「げ、そうだった……」
ユキナは慌てて布団から顔を出した。
サヤカはこの春から、老舗ファッションブランドが展開するコスメラインの美容部員として働いている。
実家からは電車を二本乗り換える必要があり、毎朝かなり早起きだ。
そんな姉とは対照的に、ユキナは毎朝ぎりぎりまで眠り、スマホのアラームも三度目のスヌーズでようやく起きる。
ひどいときはそれでも起きず、母や姉、樹に叩き起こされる始末で、起きてからもエンジンがかかるまでに時間がかかる。登校時、いつも迎えに来た樹を待たせていた。
ユキナは着替えてから一階へ降り、洗濯機を回してからサヤカのいるキッチンへ向かった。
冷蔵庫を開け、麦茶をコップに注ぐ。
「洗濯機回した?」
サヤカはお弁当箱を二つ並べ、同じおかずを詰めながら言った。
「うん、回した回した。お弁当一個私の分? サヤの唐揚げうまいんだよねー」
「あんたのじゃない。光樹の分」
サヤカは唐揚げをつまみ食いしようと伸びてきたユキナの手を、ピシャッと叩いた。
「えー。じゃあ私のお昼はー?」
「もう高校生なんだからお昼くらい自分で作んな。朝食は弁当のついでに作ってあるから、冷める前に早く食べな。てか洗濯機に柔軟剤入れたー?」
「入れた入れた。いただきまーす」
ユキナは、テーブルに並べられた豪華な朝食を前に手を合わせた。
「本当? 柔軟剤ってあのピンクのやつだよ。緑のボトルは漂白剤で――」
「わかってるわかってる、サヤは心配性だなー」
「私が心配性なんじゃなくて、あんたが心配なやつなの」
「サヤってみっくんにもこんな口うるさくしてんの?」
「みつはあんたと違って、自分のことは自分でできるし、心配なこともないから、言う必要がない」
またズバッと言い放たれ、ユキナはなにも言い返せなかった。
「みつとたつは父子家庭だからか、昔から二人ともしっかりしてるから」
「えー? たつは別にそんなことないよ。部活やめてから格好つけて煙草とか吸っちゃってさー」
「でもたつは昔から慎重派だし、計画性あるから失敗も少ないタイプだよ。きっとたつなりに、何か思うところがあってサッカー辞めたんじゃないかな。光樹も理由はっきり教えてくれないって、心配してた」
「それは……私も思うけど。たつ、サッカー命だったし」
「まあでも、勉強もできるからあの子は。新央大受けるって聞いた?」
「うん、なんとなくは……けどそれって本気なのかな」
「光樹にも言ってたみたいだから本気なんじゃない? お父さんも部活辞めてから心配してたから、喜んでたみたい」
「ふうん」
「最近ユキの勉強にも付き合ってくれてるのも助かるじゃん。きっと落ち続けるユキの成績見かねたんだねえ……」
「付き合ってくれるってゆーか、たつが強制的に……」
「さすがたつ。誰かに尻叩かれなきゃ動けないあんたの性質を、よく理解してるよ」
サヤカの言葉に、ユキナは憮然として黙り込んだ。
この会話はどう転んでも樹が正義になる。これ以上口を開いても不毛だと悟った。
「あ、時間」
時計を見たサヤカは、弁当包みを二つ、小さな手提げバッグに入れた。
「じゃあ私もう出るから、それ食べたら洗い物して洗濯物干して。ジョンの散歩も。帰ったらジョンの足は必ず拭いて。あと午後指定の宅配が――」
休みなく続く言葉を遮って、ユキナが言う。
「わかったから! 遅れるよ。行ってらっしゃい」
サヤカは慌ただしく出て行った。
ユキナは大きく伸びをし、目の前でおすわりをして見上げてくる愛犬――ゴールデンレトリバーのジョンの頭を撫でた。
ふと窓に目をやると、隣家から出てきたスーツ姿の光樹に、サヤカがお弁当を手渡しているところだった。
光樹はそれを受け取り、自分の鞄にしまう。
光樹は樹と、顔立ちも背丈もよく似ていた。
すらりと背の高いモデル体型のサヤカと並ぶと、とても絵になり、よく似合っている。
並んで歩いていく二人を、ユキナは見えなくなるまで見つめていた。




