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第24章

 校庭脇の古い倉庫は、昼間でも薄暗かった。

 紗江は手元のチェックリストを見ながら、折りたたみ椅子の数を数えている。


「……28、29……30」


 ペン先で軽く紙を叩いたところで、背後の引き戸が軋んだ。


 振り向くと、樹が中を覗いていた。


「大杉くん」


「あ、有森か。誰かと思った。何してんの?」


 言いながら、中に入って来た。


「備品チェックしてるの」


「備品?」


「体育祭の備品係に、くじで当たっちゃって」


「ああ。そういや、うちのクラスは得点係選んでたな」


 話しながらも、樹の視線はすでに奥の棚を確認している。


「なんか探してる?」


「ネット取りに来た。緑のやつ」


「あ、障害物競争の?」


「そう。俺のクラス、体育祭ガチ勢しかいねえの。全種目優勝狙ってるから、練習しろって言われた」


 樹のクラスは強豪認定部の生徒がほとんどなので、紗江は納得した。


「でも、昼休みに障害物競争の練習してるやつなんかいねえよなあ?」


 樹は口の端で笑う。


「いないかも」


 紗江も笑った。


「数人でやるから、さっさと備品取って来いって言われて。マジで面倒くせえ」


「さっき、奥の棚に緑のネットあったよ」


 紗江は倉庫の奥を指さした。


「お、悪い」


 樹は示された方へ向かい、通路に積まれた三角コーンを移動させる。

 しばらく、プラスチックの擦れる音だけが響いた。


「あと一つ、何に出るの?」


 ペンを走らせていた紗江が、ふと口を開く。


「リレー」


「大杉くん、足速いよね」


「ん、普通かな」


「多分、私と普通の基準が違うよ」


 樹はネットを畳み、持ち上げる。


「有森は? 何に出んの?」


「私は裏方の仕事あるから、競技参加はクラス競技の騎馬戦だけなんだ」


「騎馬戦か。上? 下?」


「ふふ、私、大将馬の騎手なんだ」


 少しだけ得意げに、紗江が笑う。


「マジ、有森が大将? 意外だな」


「弱そう?」


「弱そうっつーか、そういうのやらなそう」


「私、結構力持ちなんだよ」


 紗江は力こぶを作るポーズをする。


「おー、強そう」


「それ、プラスに受け取るよ?」


「もちろん、褒めてる」


 たつきの返答に、紗江はおかしそうに笑った。


「これ、結構重いな」


 樹は畳まれたネットを抱え直し、呟くように言った。


「鍵、あとから先生が締めにくるの。予鈴鳴る前に来るって言ってたから、片付け気をつけて」


「わかった。ありがとう」


 樹は出入り口までそれを抱えて歩いていく。


「怪我すんなよ、騎馬戦」


 引き戸に手をかけながら振り向いて言った。

 紗江の笑みがぱっと広がる。


「うん! がんばる」


 その笑顔を受けた樹の表情は、ふっとやわらかくなった。

 その一瞬、熱いものが紗江の体を滑っていくのを感じた。

 樹の表情はすぐに戻り、軽く片手を上げる。


「じゃ」


 それだけ言って、倉庫を出ていった。

 引き戸が閉まると、倉庫の中はまた静けさが戻る。

 

 紗江はその場で小さく息を吐く。

 無意識の中で、樹の表情が反芻される。

 ぶっきらぼうな空気はそのままだったが、こぼれるような優しさだけが、隠しきれずに滲んでいた。


「あっつ……」


 熱を逃がすように手で顔をあおぐ。


 気を取り直してチェックリストに視線を戻したところで、紗江は「あ」と声を漏らした。


「……全部、書くとこズレてるし」


 紗江は、さっき一生懸命数えた数字を書き直しはじめた。


* * *


「おい、おせえぞ樹」


 樹が校庭に戻った時、待ち構えていた柔道部の金澤が言った。


「うるせえな、重いんだよこれ」


「まず最初にハードルを超えて、その持って来たネットを潜る。その先の平均台超えて、50m走り切ったらゴール」


 コースを指差しながら、女子バレー部の円山が説明した。


「リレーの練習やってる隣で全力でこれやるとか、罰ゲームだろ」


「黙れ、全種目優勝だ」


 金澤はホイッスルを口に咥えた。


「その笛どっから持って来たんだよ」


 樹は吹き出した。


「自前だ。さっさと位置につけ」


 ホイッスルと同時にスタートし、ハードルを越えネットを潜り抜けた瞬間、隣のコースから歓声が湧く。


「東ー! いけ!」


「すごい、和人ごぼう抜き!」


 樹は反射的に振り向く。


 見知らぬ男子生徒が、スピードとは裏腹に、息も乱さず、涼しい表情のまま颯爽と駆け抜けていった。

 樹は足を止めたまま、その背中を見つめていた。


「くぉら! 樹、集中しろ!」


 金澤の怒号が飛ぶ。


「あ、やべ」


 樹は再び、走り出した。

 50mを走り抜け、スタート地点に引き返そうとした時、歩く先に、男女数名に囲まれた、先ほどの男子生徒が目に入った。


「東をアンカーに選んで良かったよ」


「中等部の頃も独走してたんだよ、和人」


 仲間たちに声をかけられた生徒は、体育着のTシャツの首元を引いて仰ぎながら笑った。


「久々に全力で走った。きついな」


「本番も頼む!」


 そう言った仲間に肩を強く掴まれた男子生徒が一歩下がった拍子に、樹の靴を軽く踏んだ。


「あ、ごめん」


 男子生徒はそう言うと、すぐに避けた。

 樹は男子生徒を黙ったまま睨む。


「……いてえな」


 樹は低い声で言った。


「は? お前感じ悪いな。2年か?」


 隣にいた仲間が、身を乗り出す。


「やめろって。どう考えても道塞いでた俺らが悪いだろ」


 男子生徒は仲間を制した。


「ごめんな」


 しっかり目を見て謝ってきた彼は、友人に押されただけで、何の非もないと見てわかる。


「……別に」


 樹はそう言うと、歩き出した。


「ニューモデル、履きやすいよな」


 後ろから声をかけられる。

 振り向くと、男子生徒は自分の靴を指差していた。視線を下に向けると、樹と同じモデルの色違いのスニーカーを履いている。


 視線を彼に戻すと、爽やかに笑っていた。樹は軽く会釈をして、その場を去った。

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