第20章
昼休みの校庭では、体育祭を目前にした生徒たちが自主的に練習をしていた。
和人は生徒会の友人から、その練習風景の撮影を頼まれていた。校内誌に載せるための写真が必要らしい。
構えたカメラの、黒と銀の無骨なボディには細かな擦り傷が走り、使い込まれた革巻きのグリップが手のひらに馴染む。
ファインダーを覗けば、レンズ越しの風景が静かに立ち上がる。
シャッターを切ったあと、巻き上げレバーを親指で引く。ギアの擦れが伝わり、それが確かな「物」としてここにあることを教えてくれる。
走る姿や、笑い合う瞬間を、和人は黙々と切り取っていった。
構図を決め、光を読み、背景の抜けを確かめ、呼吸するようにシャッターを押す――そうしている間だけは、時間の感覚が遠のいていく。
気づけば、フィルムカウンターの数字は進み、残りはあと数枚になっていた。
「和人。いいの撮れたか」
様子を見に来た生徒会長の倉本政宗が尋ねる。
振り向くと、漆を流したような黒髪が風に揺れていた。
「多分ね。現像してみないとわかんないけど」
和人はカメラをわずかに持ち上げて見せた。
「そうか。お前のカメラ、フィルムのやつなんだっけ」
「一応デジタルもあるけど、俺はこっちの方が好きなんだ」
「生徒会の会費からフィルム代と用紙代は出せるから、あとで金額教えてくれ」
「いらない。デジタルで撮ればかからない費用だからな。俺が勝手にこっちで撮ってるだけ」
「出るんだから貰っとけばいい」
「じゃあ、バイト代も出してよ。俺アンカーなのに今日のリレーの練習出ないから、ジュース奢れって言われてるんだぞ」
「はは」
笑い声だけが乾いて響く。表情はほとんど動かない。
「ははじゃないよ、お前は。毎回急なんだよ。校内誌は写真部の仕事だから、やるけどさ。当日言うのはなしだろ」
「予算審議会で写真部の予算増額申請を受理してやった恩を忘れているな」
眼鏡の奥で、切れ長の目がこちらを捉えていた。
「政宗は相変わらず良い性格してるよ」
「よく言われる、性格良いって」
「それは残念ながら一度も聞いたことねえよ」
中等部からの付き合いで、今さら言葉を選ぶような間柄でもなかった。
「まだ申請却下できるけどな?」
「本当、お前だけは……」
和人は半ば呆れたようにため息をついた。
その日の放課後。写真部の部室を訪れたユキナは、和人に促されて、空いていた椅子に腰を下ろした。
「普段、どんな感じで活動してるの?」
「撮って、現像して、焼いて。黙々と」
「自分だけの作業部屋って感じで、なんかいいね」
「おかげで、好きなだけ没頭できてる」
「私、邪魔じゃない?」
「まさか。来てくれて嬉しいよ」
和人はメタルラックに置いてあったカメラを手に取り、フィルムカウンターに目を落とした。
「……残り一枚」
「何が?」
ユキナは首をかしげる。
「昼休み、生徒会の友達に頼まれて校内誌の撮影してたんだ。で、そのフィルムが余ってる」
「そういう活動もするんだね」
「たまには部活動してますって顔も見せとかないとな。趣味部屋ってバレたらまずいし」
和人はそう言って笑ってから、カメラをユキナに差し出す。
「ラスト一枚、何も考えずに、撮ってみて」
「え、私が?」
ユキナは戸惑いながらも、それを受け取る。
両手にずしりと重みが伝わり、無意識に力が入った。
「あ、結構重たい」
「だろ。こういうフィルムタイプは全部機械で、バッテリー使わないから」
構え方が分からず、スマホのように腕を伸ばして掲げようとしたところで、和人が小さく笑った。
「……ちがうちがう。これは覗くやつ」
和人はカメラを持つ彼女の指先に、そっと手を添えた。
ただ必要な位置に優しく誘導するような触れ方だった。
「ここ覗いてみて。ディスプレイじゃないから、全部覗いて合わせる感じ」
「あ、すごい狭い」
視界の奥に小さな四角い世界が広がる。
「枠の中が、写る範囲。慣れると逆にこの狭さが集中できる」
さっきまで日常だったはずの景色が、レンズの向こうではどこか特別なもののように思えた。
「シャッター半押しでピント合わせて、最後までぐっと押せば撮れるよ」
「なんか一枚撮るのも勇気がいる。フィルムカメラって結構ギャンブル……」
そう言ってカメラを構えたまま被写体を探しているユキナを見て、和人はおかしそうに笑った。
「わからないのが面白いんだよ」
ユキナは軽く息をのんで、シャッターを押し込む。どこか温かみのある音が指先から伝わってきた。
その直後。
ジー……
両手に重たく響く、低い巻き上げ音。
けれど、その音は途中で空回るように途切れた。
「……え。なに?」
ユキナが目を丸くして和人を見やると、彼は少し肩をすくめて笑った。
「フィルムが終わった合図」
「良かった……。和人の大切なカメラ、壊しちゃったかと思った」
「すごい顔してた」
「言わないでよ、恥ずかしい」
ふたりの笑い声が、狭い部屋に小さく弾む。




