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二人は少し打ち明けあうようです

アドリアは、しばらく天井の木目を眺めていた。

言葉にするのは、どこか恥ずかしい。自分でも整理しきれていない“入り方”を、他人に渡すのは怖い。けれど、イツキの前で曖昧に誤魔化すのは、もっと危険だ。


横では、相変わらずペンが走っている。紙を擦る乾いた音が、呼吸みたいに一定だ。


「……イツキ」


「ん」


返事は短い。視線はノートのまま。続きを促すだけの温度。


アドリアは息を吸って、吐いて、言った。


「僕、ここに元からいたわけじゃない」


ペン先が止まる。ほんの一拍。

イツキはようやく顔を上げて、こちらを見た。表情は乏しいが、目だけが“距離”を測っている。


「現実世界から迷い込んだ」


「……現実?」


「うん。“覚醒の世界”。僕がいたのは、そこ。日本。……僕は、吸血鬼としてそこで暮らしてた」


イツキの視線が、僅かに揺れる。驚きではない。確認だ。

その目は、嘘の匂いを嗅いでいる。


アドリアは続ける。逃げない。


「夢を見てた。いつもの夜みたいに。……だけど、途中から風景が変わって、階段を下りていく感覚があった。長い、長い階段。目が覚めたら、ここだった」


「……門番に会ったか」


「会ってない。気づいたら、森の中で……追われてた」


「なるほどな」


イツキはノートを閉じ、机の端へ滑らせた。

椅子の背にもたれず、前傾のまま。尋問じゃない。ただ“聞く姿勢”が戦闘態勢に近い男だ。


「お前、想像力が強いタイプか」


「どうだろう。……でも、長い時間を生きてきた分、記憶は多い。夢も、たぶん」


「十分だ」


イツキは短く言い切った。


「ドリームランドは、夢の世界だ。現実の常識に縛られてる奴は辿り着けねぇ。逆に、想像や記憶が濃い奴は、引っ張られる」


アドリアは小さく頷く。

自分の中にある空白の年代、棺の闇、失った時代への未練――それらが、夢の深みに落ちる鉤になったのかもしれない。


「入口はいくつかある。いちばん有名なのは“長い階段を下りる”。お前の話はそれに近い」


イツキは窓の外へ視線を投げた。

夜の濃さを確かめるように。


「ただ、普通は門番に引っ掛かる。ナシュトとカマン=ターだ。許可がなけりゃ奥へは進めねぇ。……なのにお前は、引っ掛からずに入ってきた」


「それって……おかしい?」


「おかしいってより、厄介だ」


イツキは言葉を選ばずに言う。

厄介――つまり、例外。例外は、悪夢と同じくらい危険になり得る。


「ドリームランドは牧歌的に見えるが、夢が生むのは綺麗な幻想だけじゃねぇ。悪夢も形を持つ。お前を追ってたのも、その類だ」


アドリアは肩の傷を思い出し、息を吐いた。


イツキは頷く。


「この世界には“現実を修正する力”が強く働く。銃も懐中電灯も、時間が経てば別物に成り替わる。現実の理屈を、夢の理屈に合わせて矯正する」


彼の言い方は淡々としているのに、どこか実感がある。

矯正――それは優しい言葉じゃない。無理矢理に曲げるという意味だ。


「だから、現実から来た奴は注意しろ。自分の“当たり前”がズレる。ズレた瞬間、死ぬ」


「……君は、どうやってここに?」


質問が口をついて出て、アドリアはすぐに後悔した。

イツキは詮索を嫌う。線を踏んだかもしれない。


だが、イツキは意外にも、すぐに切り捨てなかった。


「俺は……最初からここにいたわけじゃねぇ」


言葉が少し硬くなる。

目の奥が遠くなる。


「死んで、こっちに投げ込まれた。事情はある」


それ以上は言わない。

アドリアも追わない。ただ、静かに「うん」とだけ返した。


イツキは話を戻すように、指先で自分のこめかみを軽く叩いた。


「で。お前が聞きたいのは、ここから出る方法か?」


「……帰れるなら帰りたい。でも、今すぐじゃなくてもいい。僕はただ、自分が何に巻き込まれたのか知りたい」


「賢い」


褒め言葉ではない。評価だ。

イツキは立ち上がり、棚から小さな布袋を取ってきた。桜色――淡い色の、お守り袋。彼はそれを掌の上で一度だけ確かめるように握り、また戻した。


それから、自分の掌をアドリアに見せる。


「俺の魔術は、夢・記憶・眠り・変化に関わる。……ただし万能じゃねぇ。届く範囲も狭いし、消耗も激しい」


「君が昨日、黒いものを退けたのも?」


「半分は魔術。半分は……この拠点の“環境”だ。俺が手を入れて、悪夢が入りにくいようにしてる」


イツキは机の上の紙束を指で弾く。


「夢の世界は、語りと印象で形が決まる。だから、ここに“静けさ”と“帰属”を積み上げておく。すると、外の悪夢が入り込む余地が減る」


アドリアはその説明に、妙に納得した。

夢の中で、何かを強く信じたら現実みたいに固まる。あの感覚に近い。


「君はこの場所を……物語みたいに固定してるんだ」


「言い方は好きじゃねぇが、まあ近い」


イツキは淡々と続ける。


「眠りに干渉するのもできる。意識を沈めたり、覚醒を促したり、見せる夢を多少いじったりな。記憶はもっと厄介だ。深く触ると、本人が壊れる」


その言葉に、アドリアの背筋が少しだけ冷える。

記憶に触れる――それは救いにも拷問にもなる。


「変化は……応急処置程度だ。傷の治りを“夢の速度”に寄せるとか、そういう方向」


「だから僕の包帯、治りが少し早いんだね」


「勘がいいな」


イツキは椅子に座り直し、視線を鋭くする。


「ただし、俺の魔術は安定してねぇ。感覚頼りだ。調子に乗ると反動が来る。お前にやるなら、最低限にする」


「……君は僕を実験台にする気はない?」


アドリアがそう言うと、イツキは鼻で笑った。


「実験台にするなら、お前を起こさず縛ってる。俺はそういう“壊し方”も知ってる」


淡々とした声なのに、背筋が凍るほどリアルだった。

言葉の裏に、過去がある。


「でも、そうしないのは――」


アドリアが言いかけると、イツキが遮った。


「面倒が嫌いなだけだ。壊したら、次に困る」


いつもの言い訳。

けれど、その“合理性”の中に、彼なりの筋があるのだとアドリアは理解している。


イツキは少しだけ声を落とした。


「現実から来たなら、覚えとけ。ここでの怪我は、現実の怪我と同じだけ重い。夢だからって軽く見たら死ぬ」


「うん」


「あと、帰り道を探すなら――階段を意識しすぎるな。焦ると、悪夢の階段に繋がる」


「悪夢の……?」


「ある。下りた先が“出口”じゃなく“底”のやつだ」


イツキの言葉には、実体験の匂いがした。

アドリアは黙って、息を整える。


「……僕は、帰れると思う?」


「可能性はある」


イツキは即答しない。

その代わり、確かな言葉を選ぶ。


「だが、今のお前は弱ってる。判断も鈍ってる。動くなら回復してからだ。ここにいる間は、俺のルールに従え」


「分かった。……ありがとう、イツキ」


「礼は要らねぇ」


そう言いながら、イツキはペンを取り、ノートを開く。

また黙々と文字を書き始めた。


――現実世界からの迷入者。

――侵入経路:長い階段(門番経由なし)。

――悪夢に追跡される理由、要調査。

――帰還条件:本人の精神安定、階段の“質”の選別。


アドリアは、その筆跡を眺めながら、目を閉じた。

この人は冷たい。けれど、冷たさの形が“守るため”に研がれている。


そして今、少なくともこの拠点の中では、悪夢より先に――

イツキの現実が、彼を包んでいた。

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