表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

吸血鬼くんは夢魔さんと話してみるようです

薄い意識の膜を、誰かが指で叩いたような感覚だった。


アドリアは、ゆっくりと目を開ける。

天井の梁。揺れないランプの灯り。木の匂い。――昨日と同じ。悪夢の続きではないと分かって、胸の奥が僅かに緩む。


身体を動かそうとして、痛みに気づく。

肩。脇腹。深くはないが、確かに傷は残っている。包帯は新しい。取り替えられたばかりだ。


視線を横へ向けると、そこに人影があった。


机に向かい、黙々と紙へ文字を書き連ねている男。

白い髪に、茶色のメッシュ。背筋は伸び、無駄な動きが一切ない。呼吸のリズムすら、意識的に整えられているように見える。


イツキだった。


机の上には、ノートが何冊も開かれている。

文字は几帳面で、ところどころに簡潔な図。魔術式のようでもあり、解剖図の走り書きのようでもある。観察対象を「理解する」ための記録だと、アドリアには直感で分かった。


(……僕、研究されてるね)


嫌な感じはしなかった。

無遠慮に覗き込まれているのではない。距離を測り、線を越えないまま、必要な情報だけを拾おうとしている。そういう慎重さが、紙の上に現れている。


「……起きたか」


視線を上げず、イツキが言った。

声は低く、淡々としている。だが、アドリアが目を覚ましたことを、ちゃんと把握していた声だ。


「うん。おはよう、イツキ」


「朝じゃねぇ」


「じゃあ……目覚めの挨拶、かな」


少しだけ笑って言うと、ペン先が一瞬止まった。

イツキは小さく息を吐き、ようやくこちらを見る。


「調子は」


「悪くない。……君の処置が丁寧だから」


「当然だ。中途半端に治すと、後で面倒が増える」


昨日と同じ返し。

だが、机の端に置かれた薬草の束は、きちんと選別されている。血の匂いを抑える種類と、夢酔いを防ぐ種類。専門的だ。


アドリアは上体を少し起こした。

イツキは止めない。無理をしない範囲だと判断したのだろう。


「……さっきから、僕のことを書いてる?」


「記録だ。お前の性質は、この世界じゃ少し珍しい」


「やっぱり」


アドリアは視線を天井へ向け、言葉を選ぶ。

どう話すべきかは、もう決めていた。曖昧なままにすると、この男は警戒を強める。利害と危険性を、はっきりさせる必要がある。


「僕は吸血鬼だよ」


イツキの反応は、驚きでも拒絶でもなかった。

ただ、ペンを置き、腕を組む。


「だろうな。血の匂いと、生命反応が合わねぇ」


「人間みたいに見えるでしょ」


「見えるだけだ」


即答だった。

見た目に惑わされない。観察と結果だけを見る人間だ。


アドリアは小さく頷いた。


「僕は血を糧に生きる存在だけど、無差別に奪う気はない。……というより、できない。心が拒むんだ」


「拒む?」


「うん。血を吸う時、相手を“物”として見ると、僕の中で何かが壊れる気がする」


静かな声だった。

過去を誇るでも、悲劇を演じるでもない。ただの事実として語っている。


「だから、必要な時だけ。必要な相手から、合意の上で。……そうじゃないと、僕はたぶん、怪物になる」


イツキはじっと聞いている。

相槌は打たないが、途中で遮りもしない。評価する前に、全てを出させるタイプだ。


「不死に近い身体を持ってる。傷も、時間があれば塞がる。……でも完全じゃない。魔術や、特定の条件下では、普通に死ぬ」


「杭とかか」


「詳しいね」


「夢の世界にも、似た連中はいる」


アドリアは少し息を吐いた。


「飢えは、常にある。でも、それに従うかどうかは選べる。……選び続けないと、簡単に崩れる」


イツキの視線が、ほんの僅かに鋭くなった。

“選び続ける”。その言葉に、彼自身が引っかかったのだろう。


「……面倒な生き方だな」


「そうだね。でも、僕はそれを選んでる」


アドリアは、イツキを見る。

真正面から。媚びず、怯えず、隠さず。


「君の拠点で血を奪うことはしない。君や、君の大切なものに危害を加える気もない。……必要なら、監視されてもいい」


「条件提示が早ぇな」


「長く生きると、無駄な誤解が命取りになるって分かるから」


イツキはしばらく黙っていた。

ノートに視線を落とし、何行か書き足す。


――吸血性存在。

――強い自制。

――倫理観あり。

――利害関係:現状、衝突なし。


書き終えると、ノートを閉じた。


「分かった。少なくとも今は、危険度は低い」


「“今は”なんだね」


「状況は変わる」


正直な答えだった。

アドリアはそれが嬉しくて、少しだけ目を細める。


「うん。それでいい」


沈黙が落ちる。

だが、昨日ほど重くはない。空気が、少しだけ柔らいでいる。


「……イツキ」


「何だ」


「君が僕を拾った理由、合理性だけじゃない気がする」


一瞬、部屋の温度が下がった。

イツキの目が、ほんの僅かに鋭利になる。


「詮索すんなって言ったはずだ」


「ごめん。……でも一つだけ」


アドリアは、声を低くする。


「君は、守る側の人だ。だから、僕はここで眠れた」


イツキは何も言わなかった。

ただ、視線を逸らし、ランプの灯りを見つめる。


「……寝てろ。回復が優先だ」


それが、会話の終わりだった。


アドリアは素直に横になり、目を閉じる。

微睡みが、またゆっくりと降りてくる。


横で、ペンの音が再び動き出した。

黙々と。だが、もうそこには、昨日よりも僅かに――

“人”として扱う筆致が混じっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ