第15話 体育③ 私は構いませんが……。
「貴方様。沢渡先生がいらっしゃいます。お喋りはこの辺で──」
「え、先生が……!?」
メリーゼは俺を見つめたまま、体育教師である沢渡の接近を察知し、教えてくれた。
俺はつい周囲を見渡してしまって、顔を顰めた沢渡と目が合ってしまった。
「やばっ──」
目を逸らしたのも束の間、近くまでやって来た沢渡が俺を見下ろす。
「篠宮。お前、遅刻した上にずっと喋っているようだが──」
しかしその時、メリーゼの介入で彼は言葉を詰まらせた。
「沢渡先生。私とナフィーリエがナキト様にお声掛け致しました」
「……っ。そ、そうか」
学校の先生はロボットに強く出れない。それは、やや強面の体育教師でも同じらしい。
「ナキト様が七段の跳び箱に挑戦されるので、アドバイスをしていたのですわ」
「そ、そうだったか。うーむ、でもあまり喋り過ぎないようにな」
メリーゼの言葉を信じたのかは定かじゃないが、沢渡は俺の肩をポンと叩いてから歩き去っていく。
俺は、ニコニコのメリーゼに文句を付ける。
「メリーゼ、お前勝手に……俺、七段なんて飛べないからな。六段ですら怪しいのに」
起点を利かせてくれたのは有難いが、ちょっと話を盛り過ぎだ。仮にテストの採点者が沢渡先生だったら、七段を飛ぶと言ってしまった手前、低い段数の跳び箱を選択し辛いじゃないか。
遅刻も根に持っているようだし……。
「ご安心下さい。貴方様の身長と体重であれば、飛べる可能性は十分にありますわ」
「俺の体重をどうして知ってるんだよ」
「先程、測らせて頂きました」
「先程……?」
あー。俺をおぶった時か。
「つかお前、また性懲りも無く勝手に──」
プライバシーの侵害だろ、と言えば、彼女は「私はロボットですわ」と返されてしまった。
更に、
「くすす。貴方様の情報は全て、記憶領域内でしっかり保存しております。それはまるでパズルのように──貴方様の情報が埋まっていく度、私は満たされていくのですわ」
両手を頬に当てたメリーゼは、上を見上げてウットリしていた。
そんな狂気的な彼女に、若干身慄いする。
「……」
ナフィーリエは黙りのままだが、姉のことを見たり見なかったりして、何だか忙しそうにしてるる。
「それに、貴方様の筋肉量であれば問題無く飛べると思いますわ」
「ちょっ──」
ウットリ顔を一変させて、俺の脚を鷲掴む彼女。確信したように首を縦に振った。
「筋肉量は平均よりも僅かに多いです。やはり、貴方様なら跳べる筈です」
「だから、勝手に触るなってば。びっくりするじゃないか」
「申し訳御座いません。次からは一言、お声掛け致しますわ」
そういう問題ではなく、気安く触って来ないで欲しいのだが……嫌って訳じゃないけど、何だろう。ちょっと怖いというか。
「では、もう少し確認してみましょう。くすす」
それからメリーゼは、俺の太腿から腹、胸筋に至るまで、何だかちょっとイヤラしい手付きで触れてくる。
多分これも、記憶領域とやらに刻み込まれているのだろう。
「も、もういいだろ……メリーゼ」
「静かに。筋肉が硬直してしまいます」
「……お前」
まるで身体検査をするみたいに、舌舐めずりしたメリーゼに触れらる。
身体を押し付けるように、ねっとりと触ってくる……。
そして、漸く満足したのか彼女は微笑む。
「さぁ貴方様。沢渡先生から注意されないよう、準備をお願い致します」
何て自分勝手な奴……。
ナフィーリエも何か言ってやってくれ。
そう思ってナフィーリエに目を向けると、顔を強張らせた彼女に外方を向かれてしまった。
「……つか、メリーゼ。俺は安定の五段辺りでいいんだが──」
「ダメです」
「え」
「貴方様がマット運動を苦手としているのは存じ上げております。ですので、得点を加算するには跳び箱しかありません」
何故俺がマット運動が苦手なことを知っているんだよ。というのは未だ察しがつく。時々メリーゼは体育の手伝いに来てたし、きっとその時に見たのだろう。
「なら適当に点数盛ってくれよ。お前達が採点者なんだろ」
「ズルはいけませんわ」
ああ、そうだった。メリーゼはそういうズルを嫌う性格だった。
ぐうの音も出ない……。
「挑戦しなければ成功しませんわ」
「……それはまぁそうだけど」
七段の跳び箱は身長百七十三センチの俺より少し低い。だけど、ここまで言われて引ける男が居るだろうか。
「分かったよ。やればいいんだろ、やれば」
「くすす。流石は私の貴方様ですわ」
俺達に関わり合いになりたくないのか、ナフィーリエは一歩引いた場所で静観していた。彼女の表情は、まるで馬鹿ップルのやり取りを見せられているかのように、死んでいる。
そんなナフィーリエをメリーゼが笑顔で呼び付ける。
「ナフィーリエも手伝って下さい。万が一落下した場合は必ず受け止めて下さい」
「は、はい。お姉様」
静かに了承したナフィーリエとメリーゼは、七段の跳び箱の左右に陣取った。
「貴方様。恐怖を打ち消す方法はご存知ですか?」
「え?」
渋々助走位置まで移動をし始めた俺に、背後からやって来たメリーゼが顔を出し、そっと言ってきた。
「いや、知らないな」
「これは以前、視聴覚室で映画を視聴した時に学んだことなのですが──」
両手を揃えたメリーゼの赤い瞳が煌めく。頬がピンク色に染まり、優しく微笑み掛けてくる。
息を呑むほど美しい容姿とその振る舞いに、やはり目を釘付けにされた。
彼女はやや言葉を溜めた後、告げる。
「好きな人を想い浮かべるのですわ」
「す、好きな人……?」
「はい。愛している方のことです」
「愛……」
「愛には心を落ち着ける効果があるそうです。恐怖すら入り込む余地は無いといいます」
好きな人──
愛している人──
それは一ノ瀬ムスビだ。
以前までは確信してそう言えた。しかし、今はどうだろうか。
確信しているだろうか。
つい意識が向いてしまうのだ。
この美しいロボットに。
彼女は自分の胸に手を置いてやや下向きに、「貴方様」と俺の服を摘んでくる。
そのあざとさに、思わず心臓が鳴る。
「例えばですが、そうですね──」
「私を想い浮かべてみる、とか……」
彼女はロボットだが、意外と誇り高い側面がある。長女であることや、優秀であることを俺に自慢するのがその証拠だ。
悪く言えば自意識過剰気味。だけど、そういう彼女は嫌いじゃない。
ただ、彼女は少し自信無さげに告げてきた。
「例えばの話だよな……?」
「はい。例えばの話になります」
「そ、そうだよな……」
メリーゼは俺に微笑み掛けた後、跳び箱の方へ戻っていく。その時、彼女は呟いた。
「無論、私は構いませんが……」
と。




