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33.天使になって

「ごめんなさい、アタシで」

「ふふっ、そんなことない。とっても嬉しいわ」


ミラの瞼は腫れぼったくなっていた。

濃緑の瞳からは、絶えずぽとりぽとりと涙が零れ落ちている。


「エレノア様……本当にご立派でした。ちゃんと、ちゃんと伝えますから」

「ありがとう……」


いよいよ抗えなくなってきた。

眠くて堪らない。

意識が(かす)んでいく。

もう時間がない。


「……っ、ユーリのバカ。とっとと戻って来なさいよ……っ」

「ユーリ……」


そうね。叶うことなら最期にもう一度だけ。

幻でもいいわ。貴方に会いたい。


握られた方の手はそのままに、もう片方の手で強くハンカチを握り締める。


「エラ!!!!」


この声は……?

霞む意識の中でその姿を探す。

いた。ユーリがこちらに向かって駆けてくる。

所々破れて血に染まった、ボロボロの軍服姿で。


「まぼ、ろし……?」

「いいえ。本物ですよ」


ミラは椅子ごとずれて、わたくしの顔の横に。

ユーリはわたくしの腕のあたりで膝立ちになった。


「すみません。遅くなりました」

「魔物は?」

「クリストフ様が加勢してくださったんです。それで何とか」

「流石ね」

「ええ。ははっ、やっぱあの人には敵わないな」


ユーリは気恥ずかしそうに、それでいてどこか誇らしげな表情で語った。

慕っているのが見て取れる。

クリストフ様のことを、心の底から。


「そうかなぁ~? アンタと()()()だったら、どっこいどっこいなんじゃない?」

「全然違いますよ。何言ってんですか」


ユーリとミラがじゃれつき始める。

姉弟のようなやり取りは相変わらずで、見ていて心が和む。


「っ! 傷……が……」


ユーリの額に傷が付いている。

右側の眉尻のあたり。

幅一センチ以下、長さ五センチ程度の切り傷であるようだ。

それなりに深い。

ちゃんと処置しないと痕になってしまうわ。


せめて……これだけでも。

重たい腕を持ち上げて、傷口に向かって伸ばしていく。


「…………」


ユーリと目が合う。

彼はほんの一瞬だけ表情を硬くしたけど、結局何も言わずに目を閉じた。

大人しく治療を受けるつもりでいるようだ。


「そのまま楽に……していて……」

「……はい」


魔法陣を展開していく。

手元には緑色の光が灯った。だけど――。


「……っ」


ここにきて迷いが生じる。

惜しくて堪らない。

ユーリと過ごす、この最期のひと時が。


「……ごめんなさい」


逡巡(しゅんじゅん)した末に、治療の手を止めた。

緑色の光がふっと消える。


「あとで別の方に治してもらって――っ!」


下げかけた手をぎゅっと握られる。

ユーリだ。


「どうして止めたんですか?」

「……いやね。野暮なこと聞かないで」

「教えて」


強請(ねだ)ってくる。

わたくしの顔を覗き込むようにして。


向けてくるのは――あの目。

挑発的でもあり、悪戯っぽくもある目。

そう。わたくしが魅せられて止まないあの目だ。


ああ、もう……。

やっぱり貴方には敵わない。

観念して苦笑混じりに白状する。


「貴方と少しでも長くいたいからよ」

「ははっ!」

「まぁ? 酷いわ。笑うだなんて」

「ごめんなさい。()()


握った手はそのままに額を撫でてくる。

目にかかる髪を避けてくれているようだ。

あまりの心地よさに、ふっと口元を緩める。


「くどいようですが、もう一度誓わせていただいても?」

「ええ。喜んで」


わたくしがそう言うと、ユーリが咳払いをした。

それを受けてミラが両手で顔を覆う。

……フリをして、指の隙間からバッチリこっちを見ている。


お茶目な彼女をおかしく思っていると、ユーリがそっと顔を寄せてきた。

目を伏せて彼の愛を受け止める。

温かくてやわらかい。

吐息を混ぜ合わせながら額を擦り合わせて、至近距離でじっと見つめ合う。


「俺の心は永遠に貴方のものです」


その時、栗色の瞳が揺らめいた。

目尻にこっぽりと雫が浮かぶ。

だけど、決して零さない。

彼は変わらず笑顔のままだ。


「必ず貴方を見つけ出します。だから……っ、待っていてください」


眩い希望と強い覚悟を感じる。

わたくしは気持ちの赴くまま静かに頷き返した。


でも、安心してね。

遺した言葉は決して撤回しない。

ちゃんと祝福するわ。

貴方と新しいお相手の未来を。

だから、お願い……どうか幸せになってね。


視界が白くぼやけていく。

ユーリの顔も――もう見えない。


「……っ、……エラ――」


遂には視界が真っ白に。

何も感じなくなった。

体温も、声も、何もかも。

まさに無だ。これが死。

……っ!


不意に浮遊感を覚えた。

恐る恐る目を開けてみれば、眼下にはユーリとミラの姿が。

その二人の視線の先には、安らかに眠るわたくしの姿があった。


意識だけが抜け落ちてしまったのかしら?

わたくしは死んでしまった……のよね?


今度は視界を何かが掠めた。

淡く輝くそれは羽であるようだ。

そういえば背中に違和感がある。


『っ! これは……翼? それにカソックまで……』


どうやらわたくしは、聖女の装いに翼を生やした状態で浮いているみたい。

おまけに左手薬指にはプラチナの結婚指輪が。

ポケットには『Y』の刺繍入りのブライダルハンカチが入っていた。

これは一体……?


「……っ、……」

「ユーリ……いいんだよ、泣いて」

「……っ、……くっ……」

「もう……いいんだよ」


ミラに促されたことで、ユーリが(ようや)く泣き出した。

わたくしの手を握ったまま、(せき)を切ったように。


『ユーリ……』


涙を拭ってあげたい。

そう思って近付いてみるけど――。


『あっ……』


通り抜けてしまう。

ユーリの体も、ミラの体も。


いえ。それどころじゃないわね。

二人はわたくしの存在にまったく気付いていない。

姿も見えず、声も届いていないみたい。


『ほんとうに……死んでしまったのね』


思えば、随分前にこんな夢を抱いたことがあった。

――翼が欲しい。

翼があればユーリのもとに飛んでいけるのに、と。


神はわたくしの願いを叶えてくださった。

けれど、ちょっと考えなしだったわね。

こんなにも辛いものだったなんて。


肩を竦めつつ、首を左右に振る。

嘆いていたって始まらないわ。

ミラを見習って前向きに捉えるとしましょう。


『もしかしたら、これは褒美ではなく新たな天命なのかも……?』


生前、わたくしはあらゆるところに種を蒔いた。

故に神は、『投げっぱなしにせず、その結果をきちんと見届けなさい』と……そう仰せなのかもしれない。


『かしこまりました。謹んで励んでまいりますわ』


ひとまず涙するユーリとミラの間に佇んでみる。

気付いてもらえないのはやっぱり悲しい。

けど、やり遂げてみせるわ。

愛するみんなのために。




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