11.繋がる想い
頬に冷たい感触がした。
それを皮切りに、意識がハッキリとしたものになっていく。
瞼の隙間から覗いたのは宵色の天蓋。
金糸の刺繍が星屑のように瞬いている。
ここは……お屋敷の中?
視界を傾けると、白く眩い壁が。
重ね塗りされた漆喰の上には、蔦や花々を模した美しいレリーフが連なっていた。
「エレノア様!」
「み、ら……?」
横になったままの状態で勢いよく抱き着かれる。
今日の彼女は深緑色の軍服姿。
治癒術師の正装に身を包んでいるようだった。
薬剤と……これはライラックの香りかしら?
香水もつけるようになったのね。
「会いたかった。ずっと、ずっと会いたかった……っ」
ネグリジェの肩あたりがミラの涙で濡れていく。
変わらず素直であるようだ。
この十年、さぞ色々なことがあったでしょうに。
尊く、それでいて愛おしい。
わたくしは胸を熱くしながらそっと抱き返す。
「お加減はいかがですか?」
話しかけてきたのはレイだった。
服装は相変わらずの革製の黒のジャケット、パンツ、ブーツスタイルだ。
おまけに坊主頭で険しい顔つきで。
ふふっ、変わらないわね。
――そう思いかけて改める。
よくよく見てみれば、彼の下瞼は僅かながら確かにたるみ、額には薄くしわが走っていた。
彼も今年で三十九歳。十年という時の重さを痛感した。
それと同時に、肉体と精神の年齢が乖離してしまった自身の異様さも。
「ありがとう。少し怠いけど、それ以外におかしなところはないわ」
「では、ご容体について少しお話をさせていただいても?」
「お願い出来るかしら。そちらを踏まえて、相談に乗っていただきたいこともあるから」
「承知致しました。それでは」
レイは返事をするなり、褐色の手を白い扉に向けた。「一体何を?」と、わたくしが首を傾げている間に、扉が勢いよく開く。
「お゛わっ!?」
扉の向こうから紅髪の青年が現れる。ユーリだ。
どうやら聞き耳を立てていたみたい。
バランスを崩してつんのめっている。
「~~にすんだよ、師匠!!」
「しゃんとしろ」
「……っ」
レイに一喝されて唇を噛み締める。
その姿を見て、わたくしは思わず笑ってしまった。
今日の彼も上下白の軍服姿。
先日のものとは違って汚れも破れもない。
服装はこの上なく立派だけど、言動からはまだ幼さが見て取れて。
ユーリには悪いけどほっとする。
皆に置いていかれてしまったと、そう思っているからだろう。
バカね、エレノア。過去ばかり見ていないで、きちんと現在に目を向けなさい。
いくら足掻いたところで、もう取り戻すことは出来ないのだから。
自嘲気味に笑って手元のシーツを握り締める。
「何してんだ。さっさと来い」
「いいえ。その必要はないわ」
三人が揃って瞠目する。
驚き、戸惑い……。
そんな彼らの感情を、枢機卿仕込みの隙のない笑顔で躱す。
「ユーリ。悪いけど、出直してもらえるかしら?」
貴方には関係のないことだから。
言葉にはせずに、笑顔を深めることでそれを伝えた。
ユーリは顎に力を込める。
悩んでいる。わたくしの目にはそう映った。
なぜそんな顔を? 擡げかけた浅ましい期待を力任せに捻じ込む。
彼は優しいのよ。
父君を身を挺して守ったあの日から、何ら変わらず。
「聖女様は、命を焚べられた」
「っ! レイ」
レイは構わず続けていく。
ユーリに「残れ」と、そう命じるかのように。
「体力、魔力共に著しく低下している。過去の症例にもある通り、このまま衰弱されていくものと考えられます」
「余命は……」
ミラが説明を引き継いだ。
彼女もまたレイと同意見。
ユーリにもきちんと明かすべきだと考えているようだ。
沈痛な面持ちで続けていく。
「静養されるのなら二年。一日でも長く生きることを望まれるのなら、魔法は……っ、程度を問わず、使用をお控えいただかなければなりません」
「っ! それじゃ、癒し手は?」
「辞めざるを得ないだろうな」
「…………くそっ……」
ユーリは顔を俯かせた。
白い二つの拳が小刻みに震えている。
十中八九、自責の念に駆られているのだろう。
やはり、こうなってしまうのね。
いくら言葉を尽くしたところで結果は同じ。
大なり小なり背負わせてしまう。
死の真相は伏せるべきね。
予定通り、以降はごく限られた方にだけお伝えすることにしましょう。
「申し訳ございません。俺がもっと早く――」
「貴方が気に病むことではないわ」
「しかし――」
「これは報いなのです。あの日、わたくしは降伏した。皆の忠義を無下にしたのですから」
「違います! あれは、~~っ、あれはアタシやみんなを守るために――」
「戦意を喪失したに過ぎません」
「~~っ、違う!!」
ミラの濃緑の瞳が波打つ。
あの日の自分を恥じているのだろう。
何も出来なかった、ただ翻弄されるばかりだった過去の自分を。
「…………」
レイは無言のまま眉間にしわを寄せている。
真面目な彼のことだ、ミラ同様にあの日の自分を恥じているのだろう。
「変わらず、お優しいのですね」
口火を切ったのはユーリだった。
目を伏せて、口元には少し困ったような笑みを浮かべている。
「それだけに……掴めない……」
「どういう意味?」
ユーリが顔を上げる。
その目には強い意思が宿っていた。
覚悟と言ってもいいのかもしれない。
わたくしは激しく後悔した。
問い返したのは悪手であったと。
「あの日のように『結婚してくれ』と言ったら、貴方は俺の手を取ってくれますか?」
「……っ」
ユーリが一歩一歩と近付いてくる。
レイとミラが下がって、ユーリに道を譲った。
いいえ。わたくしは貴方の妻にはならない。
下を向くことで訴える。
これが今、わたくしに出来る精一杯。
ユーリが近付くたびに喉が乾上がっていく。
「お嫌なら、その時はキッパリ諦めます。ただ、もしも……変わらず、俺に夢を見てくれるというのなら」
ユーリの足が止まった。
彼は今ベッドの横に。
手を伸ばせば触れられるほど近くにいる。
「未来永劫、貴方だけを愛すると誓います」
その物言いには一片の曇りもなかった。
改めて思う。どこまでも眩しく、真っ直ぐな方であると。
叶うことなら、このままその胸に飛び込んでしまいたい。
だけど、それは決して赦されない。
これ以上、貴方を不幸にするわけには……っ。
「っ!」
衣擦れの音がした。
次の瞬間――栗色の瞳と目が合う。
しゃがみ込み、ベッドに肘を突くような格好で覗き込んでくる。
その瞳は挑発的でもあり、悪戯っぽくもあって。
ああ、……何ってこと……。
力強くも温かな光が、わたくしの心を照らしていく。
固く閉ざされていたはずの扉は次々と開かれていって。
「貴方と……共に在りたい……」
気付けば口にしていた。
心の奥底に封じ込めたはずの、その思いを。
「……どうしよう。すっげー嬉しい」
ユーリの口元から笑みが零れた。
爽やかで甘酸っぱい笑みが。
受け止めてくれた。
身勝手なありのままの思いを。
こんなにも……こんなにも嬉しそうに。だけど……。
衝撃は喜びに、喜びは悲しみに変わっていく。
残された時間はあまりにも短い。
二年なんて、そんなのあんまりだわ。
「及第点ってとこだな」
茶化してきたのはレイだった。
彼らしい皮肉の効いた祝福の言葉を、ユーリは擽ったそうに受けている。
「いつものことだろ」
足掻きに足掻いて辛勝する。
ユーリの歩みはそういった類のものなのかもしれない。
だからこそ、皆は貴方に夢を見る。
御多分に漏れずわたくしも。
「……よし」
ミラがぼそっと呟いた。
次の瞬間、床を踏み鳴らすようにして駆け出す。
どこに向かうのかと思えばベッドの反対側へ。
白いナイトテーブルの上に置かれた花瓶に、ぐっと手を伸ばす。
カットが無数に施されたミルクグラスの花瓶には、一輪の花が生けられていた。
ハルジオンだ。あれは間違いなく、わたくしと十年の時を過ごした花。
「ユーリ! もう一回!!」
ミラが花を突き出す。
それを見て意図を察したのだろう、ユーリは罰が悪そうに顔を歪める。




