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10.大人になった貴方とは

「んっ……」


何かに顔が埋まった。

血と灰のにおい。硬く、それでいて温かい。

ドクドクと脈打つ音がする。

これは……鼓動ね。


見上げれば、栗色の瞳と目が合う。

あら? よく見たら少し金色がかってる。

成長して、瞳の色が変わったのね。

力強くもなめらかで……心地のいい色。


「その花……」

「っ、……ええ。貴方からいただいたものです」


逸る鼓動に悩まされながらも辛々返事をした。

緊張の一瞬だ。この問いである程度は分かってしまう。

失恋か。得恋か。


「……そうですか」


苦虫を噛み潰したような顔をしている。

ユーリにとって、あの日の出来事は【 恥 】になってしまったようだ。

これは紛うことなき失恋ね。


あまりにも無様で思わず笑ってしまった。

悲しいけれど、一方でほっとしている。

わたくしにはもう時間がないから。


「すみません。気が利かなくて。横になりましょうか」


支えてもらいながら横になる。

石造りの床は硬く、それでいて埃っぽい。

ヴェールを被っているから幾らかマシだけど。


「何か敷くもの……。これじゃ流石にマズいか――」 

「エレノア様!!!」


甲冑姿の女性が駆け寄ってくる。

横結びにされた淡い茶色の髪に、大きな濃緑の瞳……見れば見るほど似ている。


「あちらの女性はミラ……なのよね?」

「ええ。今や王国一の治癒術師です」

「まぁ!」


一度は挫折して道を諦めた彼女が。

一体どれだけの努力を……。

素晴らしい。素晴らしいわ、ミラ。


力いっぱい抱き締めて褒めてあげたい。

けれど、彼女も今や二十七歳の立派な大人だ。

いくらなんでも失礼よね。自重しましょう。


「ちょっ!? ユーリ! 何やってんの! 上着! さっさと脱いで枕にしてっ!」

「いや……これめっちゃ汚いですよ? 血とか汗とか――」

「ないよかマシでしょ!!」

「~~っ、分かりましたよ。もう……」


ユーリは半ばミラに押し切られるような形で上着を脱ぎ始める。

その傍で、わたくしは大いに戸惑っていた。


勇者は『正義の象徴』とされ、古来より身分を問わず畏れ敬われてきた。

常に皆の中心にありながら、孤高であることを求められる。

わたくしの元婚約者であるクリストフ様は、そのせいで悩み苦しんでいたのだけれど。


「なぁ、ルイ。やっぱ臭いよな……?」

「えっ? あ、いや……」

「先生の上着貸してくれよ! あ、師匠のでもいいや――」

「「「さっさと」しろ」しなさい!!」


レイとミラに叱られて、ユーリはますます小さくなった。

そんなユーリを皆がおかしそうに笑う。


なるほど。

皆に愛され、支えられる。

これが貴方が成した新しい勇者の形なのね。


「ふふっ」


安心したのか、わたくしの口からも笑みが零れる。


「ははっ! エレノア様からも笑われてやんの~」

「……()()()()()、失礼致します。お嫌でしたら、遠慮せずに仰ってくださいね」

「……様……」


ユーリは畳んだ上着をわたくしの頭の下に敷いた。

不意の密着よりも、様付けで呼ばれたことの方がずっと衝撃で。

ああ、もう……。しばらくは引きずりそうね。


()()()()()()に包まれながら、案じてくれている方々に目を向ける。

先ほどの重騎士の青年をはじめ、何人か見覚えのある顔が並んでいた。

貴族家出身の戦士……なのでしょうね。

でも、お名前は……思い出せない。

ああ、ダメ。頭がまるで働かないわ。


「では、治療を開始します」


緑色の光がわたくしの体を包み込んでいく。治癒術だ。

ミラ自身も手を動かしつつ、他の治癒術師の方々にも指示を出している。

本当に立派になって……あらっ?


緑色のオーラに混じって、霧がかった虹色のオーラが降り注ぐ。

これは『祈り』だ。その光はユーリの手から湧き出ている。


なぜ……? 貴方は勇者でしょう?


勇者は所謂『攻め手』だ。

その魔力は非常に鋭利で、人に作用するような魔法――祈り、治癒術、付与魔法は扱えないはず……なのだけれど。

疑問は尽きない。折を見て訊ねたら、教えてもらえるかしら。


「…………」


何だか眠くなってきた。

入眠の魔法をかけられたのかもしれない。

まだろくにお礼も言えていないけれど、ここはご厚意に甘えることにしましょう。


そうして、まどろみながら身の振り方を考えていく。

残された時間は二年。

生き延びるために焚べた命は、もう元には戻らない。


限られた時間の中でわたくしが成すべきことは、この勝利に影を落とさぬようきちんと後始末をすること。

それから……そうね。子をなさなければ。


相手はユーリではない。

だけど、文句なんて言っていられない。

わたくしの中には、先祖代々受け継がれてきた聖者・聖女の血が流れているのだから。


わたくしが把握している限り、現存している聖者・聖女は五名。

その内、現役であるのはクリストフ様の現婚約者であるシャロン様、わたくしの兄セオドア、そしてわたくしの三名のみ。


王都の守護者として、救命の最後の砦として、聖者・聖女は欠かすことの出来ない存在だ。

しかしながら、継承率は非常に低く、生まれてくる子供が必ずしも聖者・聖女の才を開花させるわけではない。

だからこそ、一人でも多く子供を産まなければならない。

ですよね? お父様。


小さく息をついて新しい生活に思いを馳せる。

この胸の痛みを忘れさせてくれるものになると信じて。




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