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検査を重ね、6月も終わりが近づいていた。
ステファンは、時間と精神を削られながら結果を待ち望んでいたが、内容に全く納得できなかった。
他の医師達も首を捻るばかりだった。今のところ、歪な銀の液体を見たのはステファンだけだ。
またステファンも、あの夜から一切目にしていない。それにもまた、彼は腹を立てていた。
「気持ちは分かる。けど壊死してる訳じゃないし、炎症もない。膿んでもない。むしろ回復が早くて驚くぜ。ドクター・ウィルソンが立ち会っただけあるな」
クリスは言いながら、検査結果をステファンに渡した。ステファンは、腑に落ちないまま、溜め息混じりに書類を受け取る。
「やっと悩ましい微熱も引いて、外来診察はできるようになったんだし、ここからまた変わるんじゃない?」
隣のデスクのジニーは、診察を終えた患者のデータを、タブレット上で整理しながら続ける。
「やっと働きながらの生活になるし、身体も調子を取り戻すって。それに、現地のレンジャー達にも症状の情報共有はできたんだし。何も、あんたは相手にされてない訳じゃないよ」
しかしステファンは、どこか一点を見つめたまま、指先でデスクを叩くばかりだった。
「松葉杖ともおさらばできたんだ。お前は回復してる、確実に。でも、ここからの良薬は働くこと以外にあるんじゃないか」
クリスの声に、ステファンは指先を止め、彼を振り返った。
「小児病棟へ顔出してやれ。お前は、そこでこそ、多くを学んだんじゃないのか。今の面、笑われて来いよ」
「……最後は余計だ」
ステファンは鼻で笑うと、クリスの肩を叩き、椅子の白衣を取ってワークルームを出た。
ゾーイは、今日は調子がよく、車椅子は要らなかった。少しでも汗をかこうと、蒸し暑い外を敢えて歩いていた。日光浴の心地よさに瞼を閉じ、手を翳して日陰も堪能する。そうして過ごすことで、生きている実感を得てきた。とはいえ、長く立っているとすぐに疲れてしまう。
癌に侵された身体とは長い付き合いだ。憎らしく思うことはあっても、自分らしさを見つけ、いい所を大切にするようになった。それは、この病院に来て、夢を追いかける気さくな医師に出会ってからだった。といっても、その医師はもう、立派な名医になっている。
「ん? ラッセル先生、何その歩き方!」
真っ直ぐな声に、ステファンは立ち止まる。ゾーイに足の状態をあっさり見抜かれ、肩を落とした。彼女は、久しぶりと言いながら、その足にぐんぐん引き寄せられていく。
「悪いな。ちょっと下手こいて、しばらく休んでたよ。でもよくなって、殆ど分からないだろう?」
「何言ってるの? すぐに分かったわ。全然スマートに歩けてない。風が吹かないもの」
そいつは不格好なものだと、ステファンは苦笑いする。
ゾーイは怪我のことを深追いせず、手にしていたタブレットを揺らして見せた。
「グラフィックの勉強よ。ウェブデザイナーになりたいの。この身体だからこそ、やりやすい仕事なんじゃないかと思って」
もうじき中学に上がる彼女には、高校生の姉がいる。姉が受けるグラフィックデザインの授業に、いつしか興味を持っていた。
「これからプログラミングも覚えるところ。ゆっくりになっちゃうけど、だからって、別に何のためにもならない訳じゃないわ。これを続けている内に、どこかで誰かのためになると思うの。何より今、自分のためになってるんだから」
ゾーイは言いながら、懸命な表情で画面と向き合う。その時、ステファンの頭の中に、先ほどの同僚達の言葉が過ぎった。
彼女は長い闘病生活を送りながら、何食わぬ顔で未来を見ていた。初めて出会ったのは去年だが、病状に大きな変化はない。けれども、緩やかであれ、確かに進行していた。なのに、歩くのも辛い時がありながら、己を奮い立たせて1日1日を生きている。
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