表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
*完結* Dearest  作者: terra.
Flower Showers ~花吹雪~
131/133

3




 銀色と灰色が入り混じる視界の先に、ボートの底が見える。横揺れするそこから、ぼやけた子どもの泣き声がした。


 乱れる視界が、色を取り戻していく。と言っても、赤色をした煙のような何かが、何色とも呼べない(くす)んだ水中に立ち込め、艶のない気泡が遠ざかっては消えるだけの、不愛想な景色だ。


 延々と遠ざかるボートが、更に大きく揺れたかと思うと、それ以上の動きを見せなくなった。




 もう誰も、この身体に手を伸ばそうとはしない。もう誰も、自分が息をしているかを気にしない。




 覇気を失った思考が、やがて水に溶けだし、消えてしまいかけた時――柔らかい何かが、首に巻きついてきた。不意に立ち込める、強い、甘い香りが、鼻の奥から脳、胸、全身へと巡っていく。


 ステファンは瞬きすると、口から気泡が零れた。何かが絡みつく傍ら、容赦なく遠ざかっていくものに胸が締めつけられていく。掴もうにも、掴めない。それでも手繰り寄せたく、夢中で水を掻いた。




 そこに置いてきてしまったものがある。それを守らねばならない。それこそが、自分が唯一するべきことのはずだった。




 広がる赤色の先で、気泡が弾けていく。それらはだんだん、甘い香りをより一層引き立てながら、あの陥没地に寝そべる華の微笑みを――愛しい人を、呼び寄せた。



「ホリー……君じゃないか……」



 ふと、“妻”という存在が、脳いっぱいに満ちると、懐かしさがそのまま声になった。声は、自分自身であることを掻き立てるように、あらゆる記憶を引き出し、みるみる繋ぎ合わせてくる。

 首周りに、厚い温もりを感じた時、水を搔き回す手が、柔らかくて細い何かに、そっと掴まれた。妻の波打つ黒髪が、頬や鼻、瞼に触れてくるせいで、目を閉じてしまう。



「貴方は、誰も殺さないでいてくれた……私の無茶な願いを、そんなになってでも守ってくれた……」



 それはどうだろうかと、ステファンは、久しぶりの感触を全身に受け止めながら、首を横に振る。だが、妻は全身で包み込んできた。愛おしい香り欲しさに、彼女の首元に顔を埋めてしまう。



「だけど、世界は壊れた……俺はやっぱり――」



 ホリーは顔を上げると、夫の唇を指で押さえた。



「貴方は守れる……この先も……今度は、私と一緒に……」 



 広がる赤色は、小さく千切れ、別れ、やがて溶けて失くなってしまう。

 それと入れ替わるように、妻の髪が水中に揺れ、遥か彼方から射し込む陽光で、濁る空間を煌めかせた。


 光を浴び、静かに包まれていく妻の姿こそ、懐かしかった。木漏れ日になっていくようで、その柔らかな頬に、何度も触れてしまう。

 手も、爪も、もう誰も傷つけることをしなくなっていた。それを感じた途端、ステファンに、溢れんばかりの想いが込み上げてくる。



「綺麗だ……会いたかった……」



 ホリーは満面の笑みで頷くと、再び夫を抱き締めた。ステファンは、しがみつく妻の腰から背中へ腕を回し、引き寄せる。ところが、彼女の軽さに首を傾げた。それに気づいたホリーは、夫の耳元で静かに笑う。



「あの子は、あそこ……」



 微笑みに、寂しさが滲んでいく。どこまでも深い水中に、濃い日陰を落とすようだった。




 間もなく消えてしまいそうなそこを、ステファンは、妻の髪の隙間から眺める。

 酷い細胞を得たまま、あの子は産まれてしまった。それに顔を曇らせた時、まるでお見通しだとでも言わんばかりに、妻が目元を微かに光らせたまま、口を開く。



「大丈夫。私達の子だから」



 貴方と私の、2つの血が流れているのだから――と、ホリーは夫の胸に手を当てがう。

 ステファンはその手を握り返すと、互いの力が失われていくのを感じた。そして、ボートの底を弱々しく見上げた。その周りに、波が陽光を集めていく。眩しくて温かい、数々の光が包んでいく様子は、毛布の中で眠るようだった。



「俺は人だった……あの子と君を愛し続けた、れっきとした……」



 薄れていく夫の声に、ホリーは頷く。そして、泡になりかける身体から、声を絞り出した。



「私達は“自然”になる。だから守れる。あの子が、どこにいようとも」



 (みち)が違ってしまった――だけどそれが、自分達家族の、長い長い幸せの形。そう信じて、夫婦はやっと心から抱き合うと、唇を重ねた。





Fin.




*完結公開済み「大海の冒険者~不死の伝説~」に繋がる

*未公開新シリーズ「TIME SHIELDER」に繋がる








Instagram・Threds・Xにて公開済み作品宣伝中

インスタではプライベート投稿もしています

インスタサブアカウントでは

短編限定の「インスタ小説」も実施中


その他作品も含め 気が向きましたら是非



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ