私は純粋でしたので
楽しんでいただけると幸いです
冷たい檻の中、私は走馬灯のようにこれまでの出来事がフラッシュバックしていた。
冤罪をかけられてこうして投獄されるまでは、私は伯爵家に嫁入りした、田舎貴族の令嬢だったのだ。
田舎貴族といっても、何代か前の祖先に王位継承権を破棄した王族がいたために、経済的にはかなり裕福な方だ。祖先がただ穏やかに暮らしたいと願ったことから、今は全く王族とは関わらないようになっている。
比較的現在の王位に近い旦那様ーーアイク・アージリー伯爵家嫡男から婚約の打診があったのも、我がマーグレイブ家の経済的な豊かさと、アージリー家の貿易の伝手を互いに提供し合うような提案がその裏にはあり、明確な政略結婚だった。お父様は嫌なら結婚しなくても良いと言ってくれたけれど…。結婚適齢期でもあったし、元より貴族の令嬢とは家の為に嫁ぐものなのだから、拒否する理由もない、と了承した。
アイク様は、快活でおしゃべりな人だった。楽しかったことも、嫌だったことも、全てを率直に表現するタイプの方で、私はほとんど聴き役に徹していた。ちょっと…いや…かなり、20代半ばにしては幼さがある方だとは感じていたけれど、それも素直な彼の魅力だろうと思って、妻である私が支えてあげればそれで良いだろうと思っていた。
また、彼は毎日のように私に愚痴をこぼしていた。
「ジャスミン、今日はあの暗くて気持ち悪い男にはめられたんだ!」
「まあ…はめられた、といいますと?」
「俺が本来得るはずだった椅子を、やつに盗まれたんだ!ユリウス・フォークロイに!」
「またフォークロイ公爵家の方ですか…」
「そうだ!またあいつだ!あいつはずるい男なんだ、俺を目の敵にしていると思ってしまうほどに、執拗に俺の功績に粘着してくるんだ…!今日だって本当は俺が国王陛下に賞賛されるはずだった。誰もが思いついている政策を、たまたまあいつが提案しただけ、ただそれだけで、こうやって俺が苦渋を飲まされている…!腹立たしい!!」
ガシャン!と大きな音を立てて、彼が机を蹴飛ばす。上に載っているグラスが倒れてぐちゃぐちゃになるが、私は動じないことにしている。夫は何故かフォークロイ公爵を目の敵にしていて、何かと彼の愚痴をばらまいて発散している。最初は本当にフォークロイ公爵が夫に意地悪をしてきているのかと思っていたが、徐々に夫の方がフォークロイ公爵に一方的に劣等感を抱いているのだと気がついた。
内心、やれやれ…と呆れながらも、その内に落ち着くので共感しながら話を聴く。
ちなみにこの素行の悪さを何度かやんわりと注意したことがあるが、「家の中だから良いだろう!外ではちゃんとしている。俺の実家は使用人が沢山いたから、これくらいのことは何でもない…。ああ、そうか、田舎育ちのお前は知らなくて当然だな。いいか、この家では俺が家長でこれが普通だ!いちいち諫めるな!」と怒鳴られて以降、何も言わないことにしていた。
彼は決まって、自分の怒りを吐き出し終わったら私に言うのだ。
「こんな話は君にしかできない。君だけが僕の信頼出来る人だよ」と。
そうやって愛情を感じる言葉をかけてくれるのは嬉しかったし、私も妻としてうまくやれているのだと信じていた。
夫は幼いが嫌いではない。歳を重ねれば落ち着くだろう、と。
しかし、結婚3年目を過ぎた頃から、夫はどんどん私の扱いが雑になっていった。
元々名前で呼ばれる頻度は少なかったが、ほとんど全くと言って良いほど、名前で呼ばれることはなくなった。
また、帰りが遅く泥酔している日も増えた。
「君だけだから」という優しい言葉をかけながら、仕事の手伝いを頼んだり、本来夫がやるはずの領地の経営まで私が負担するようになっていった。それでも私はさほど苦には感じていなかったし、まあそういうものかと思って黙っていたら、どんどん要求が増えていき、仕事量の多さに出来ないことがあると嫌みを言われることもあった。
さすがにそろそろもの申したいな、と考えていたある日、夫は私にこともなげにこう言ったのだ。
「国王陛下に近しい貴族である我らアージリー伯爵家には、他の貴族諸侯と同等に振る舞う義務がある。そこで、この家にも俺の愛人を迎え入れることにした」
ーーあの時、ピシッと、私の心に一つの亀裂が入った音がした。
夫はそんな私の様子に気がつかなかったようで、ペラペラと自分を正当化するような御託を並べていた。
一応、「あなたの言った私だけという言葉、私は大切にしていたのですけれど…」と伝えてみたものの、相手にされなかった。
(ああ、あの時はただ私を思うように動かしたかっただけで、そのための甘い言葉だったんだな…)と理解した。
私はこの時、怒って実家に帰るべきだったのだ。全ての仕事を投げ出して、自分の仕事も自分で出来ない男に愛人など必要ない、と主張すうべきだったのだと思う。でも、当時の私はそうしなかった。実際、愛人がいる貴族は少なくないし、と自分を自分で説得していたのだ。
あとから、愛人のいる貴族は少なくないといっても、高齢で子宝に恵まれなかった家、妻が病死した家、魔法や魔力の血統を守る為に再婚している夫婦ばかりだったことに気がついた時は、愕然としたものだが。その時にはもう遅かった。
愛人と称され住むことになったのは、リリー・ヴィオラ男爵令嬢。愛人になる直前に養子にされた平民上がりの19歳のお嬢様で、マナーも言葉使いもとても貴族とは思えなかった。彼女は夫に甘えること、会話で楽しませる能力に長けており、おそらく娼館のようなお店で夫と知り合ったのだと思う。推測にすぎないが…館に来て最初の方に、夫が「リンリンちゃん」、リリーが「マスター」と呼び合っており、恐らく源氏名と、そのお店の客の呼び方だと感じられた。2人がしまった、という顔をするのが少し面白くて、むなしくなった。
最も私の心を傷つけたのは、「こんなに甘えられるのは君だけだよ」と、夫がリリーに言っていたことだった。利用されているのかな、と薄々感じてはいたが、私以外にもこの言葉をかけていることに、私の心はズタズタに引き裂かれた。
リリーは、正妻である私が領地や家の采配を握っていることを邪魔に思ったらしく、小さな嫌がらせをしてきては被害者ぶることが増えた。そのたびに夫は、「貴族としての矜持がないのか!」と私を怒鳴り、何もしていない私を憎たらしげに睨むようになった。正直、この頃には家を出たいと考えるようになっていたが、実家への手紙は握りつぶされているらしかった。そしてその手紙が見つかると、さらに仕事が増えたり、リリーが仕事の邪魔をしてくるようにもなっていて、疲弊した私はいつか抜けだそうと思いつつも、外にでる気力がなくなってしまっていたのだ。
…それでも、こうして投獄される前は、来年には、こっそり私物を売って溜めたお金を使って、この家を出ようと考えてはいたけれど。こうして投獄されて1週間、私は今囚われているはずなのに、自由をさえ感じてしまうほど、あの家での生活が苦痛であったことを実感している。牢獄の中でさせ、仕事に追われた日々のせいかずっと何かをしなければならない気持ちがあるけれど……何もすることがない現実に違和感を覚えつつ、溢れるようによみがえる記憶に目を閉じる。
冤罪は、夫が最も得意な被害者的に振る舞うことが功を奏したらしかった。
私が領地経営をさせられていたことを逆手に取って、夫の領地の税金の横領を私のせいにされた。私が忙しくしている間、あの愛人と夫はのんびりと2人の時間を過していたのだから、いくらでも資料を改ざんする時間があったのだろう。気がつけば国家警察が私の前に逮捕状を突き出し、あれよあれよという間に偽物の証拠を押さえられ、こうして投獄されているのであった。
明確な証拠がある以上、私に逃れる術はない。いや…本当は冤罪だと主張することはできたのかもしれないけれど。疲れ切った私の心は、もう人生からの解放を望んでいた。そういえば、いつの間にか愛人を虐待し、殺人未遂まで犯した悪女にされていた気もする。よくもまあ次から次へと、悪知恵がつきないものだとため息が出た。
月明かりが牢屋に一筋の光を落とす。
…もし、もしも来世があるのなら。自分を省みずに破滅に追いやった愚かなこの女の魂と引き換えに、誰よりも自分を大切に出来るたくましい人間になりたい。そうすればきっと、幼稚な策に溺れることもなく、自分の気持ちをないがしろにして流されてしまうこともないだろうから。
ぎぃぃぃ、と檻の扉が開けられる。
空想に浸り過ぎていたのか、誰かが来ていたことにも気がつかなかった。
床に寝転がったままでは失礼かと思い、のそのそと上半身を起こす。まだぼんやりしているせいで、あまり視界が定まらない。空腹も影響していそうだ。
「…ジャスミン・マーグレイブ辺境伯令嬢、貴殿に質問がある」
固くて低い声が響く。不思議と心地よさを感じるのは、やいやいと騒ぐ男性の声に聞き慣れすぎてしまったせいだろうか。
無言でいる私に構わず、彼は言葉を続ける。
「何故食事を摂らない。我々は貴殿を死に追いやりたいのではなく、しかるべき刑を受けて更生することを望んでいる」
まるでマニュアルを読み上げているような言葉ではあるものの、彼の声色からはこちらをそっと伺うような、心が垣間見られた。
でも、私に返事をする気は無い。刑を受けたところで待っているのはあの夫と愛人の家。実家に帰ろうにもお金はないし、歳もとってしまった。不名誉な罪人の称号を掲げて、最近結婚したらしい弟と、そのお嫁さんのいる幸せな家庭に帰るのは、後ろめたかった。
「…死にたいのか」
私の無言の音から、彼は私の気持ちをうまく察したようだった。
「………理由を教えてくれないか…これは聴取とは関係ない、ただの興味本位だ」
ぼーっと眺めている内に、視界が定まってきた。紺色の髪に、紫色の瞳が月夜に光を受けている、壮麗な男性だった。
警察官のようには見えなかったが、ここに来たということは、何らかの警察に関わる人物だろうか。田舎とはいえ王家の子孫である辺境伯の娘だから、死なれたら困るのかもしれない。でも、そんなことはもうどうでも良かった。
「…来世では」
「来世?」
「来世では、自分を大切にしてあげることにしたの。消耗品の人生は今世で終わり」
じっと見つめてくる彼にそう返すと、怒号と誰かが走り寄ってくる足音が聞こえてきた。
「どけ!どけ、どけ!!!全員殺してやる!!!俺は自由になるんだ!!!」
地下に入れられていた受刑者が、折れた檻を武器の代わりにして凄まじい勢いでやってきている。
「…生け捕りが最優先か」
ぼそっと呟いた男性は近くにあった捕縛用の警棒を構えるが、先の尖った鉄格子はリーチが長く、決死の覚悟で来ている受刑者を無傷で止めることは至難の業であることは明白だった。隙のなさからは、恐らくこの男性は相当強いのだと考えられるが…。牢屋の間の廊下はかなり狭く、生け捕りをするには骨が折れるだろう。
受刑者が近づいて来たとき、私は立ち上がる。
魔力の使い切りも厭わないくらいの、何重にもかけた筋力と鋭敏さを上げる魔法。
植物系が得意な家系のため、魔法の具現化には植物が現われる。
腕と足に植物のつるが巻きつき、自分の体を操り人形のように素早く動かせる。
魔法を使うのはいつ以来だろうか。
アイク様は過去に魔法で誰かに負けたトラウマがあるらしく、私が魔法を使う姿を好まなかったし、自分でも使おうとしなかった。
王族に近い血統だと言うのなら、それこそ魔力の多い方だろうに。
一体何があったのか、もはや知ることもあるまい。
「どけえええええ!!」
そして私は壮麗の男性の腰に刺さっていた剣を勝手に引き抜くや否や、受刑者と男性の間に立った。
「これは消耗品からの最後のサービスね」
ドンッと鈍い衝撃が腹部に加わる。
不思議と痛みはなかった。
私はボタボタと落ちる鮮血に構わず、私から抜けない鉄格子に同様している受刑者の首に剣を当て、そのまま膝をつかせた。
「あ……あ……やめてくれ!殺さないでくれ!!」
そう言って泣きわめく受刑者を見ていると、心も冷めていく。人間なんて、こんなものかもしれない。
自分のことばかり考えて、人を傷つけても気にしないもの。
口から血が出て、生きていたことを再認識する。
「やっと…終われる…」
わずか数年の間で、ここまで私の心は生きる気力を失ってしまうものなのか、と今更ながらに考える。元々貴族の娘の役割を全うしようとする以外に、自分のやりたいことなど分からない人生だったから、こんな風になってしまったのかもしれない。
来世はもっとやりたいことを探していこう、そう決めて何とか立っていた体の力を抜いた。
床に落ちると思っていたが、思っていたよりも暖かい手に抱き留められた。
植物は枯れゆき、痛みもあまり感じない。
「…何故、君は…」
ひどく悲しい顔をしているように見えた。おかしな人だ。私が死んだところで、あなたの人生にはなんの影響もないだろうに。
でも、人生の最後にこうして誰かに悲しんで貰えることは嬉しかった。
意識を手放した自覚もなく、ただ暗闇の中で揺られてる感覚がした。
お読みいただきありがとうございます!
拙い文章ではありますが次話も呼んでいただけると嬉しいです