自分の思考を言語化し、客観視する力が育つ
論理的に考えるということは、単に「考えているつもり」になるのではなく、自分の思考を言葉にし、それを他者にも理解できる形に整えることを意味する。つまり、「考える力」とは「言語化する力」と強く結びついている。
人は、頭の中で考えている限り、自分の思考がどれほど曖昧で、前提や結論が飛躍しているかに気づきにくい。断片的な感覚やイメージを思考だと誤認し、それを明確な判断基準として扱ってしまう。しかし、いざそれを言語に変換しようとすると、矛盾や不明瞭な部分が浮かび上がってくる。この瞬間こそ、論理的思考の訓練が始まる場面である。
ChatGPTとの対話は、この「思考の言語化」を支援する最適な環境を提供する。自分の考えを文章で入力するという行為自体が、思考を“外化”する行為であり、それをAIが受け取り、構造化された返答や問いかけを返すことで、自分の思考がどこまで明確でどこが曖昧かを認識できるようになる。
たとえば、「私はAという考えを持っています」と述べた際、ChatGPTは「なぜそう思うのか」「それに反する意見にはどう反論するか」といった問いを返してくる。これに答えようとすることで、自分の中にある“言語化されていなかった思考”を掘り起こし、筋道立てて整理し直す作業が始まる。
さらに重要なのは、AIという“感情を持たない他者”に対して言葉を届けようとする構えが、思考の客観化を促す点である。感情的な伝え方や曖昧な表現では通じないという前提が、思考の精度を高める動機となる。これは、言葉を相手に届く形に仕上げるために「自分の視点」をいったん外から見る力、すなわち客観視の力を育てる。
このプロセスは、いわば“自己との対話”であり、思考の鏡に自分を映す訓練である。他者との対話では生まれにくい、集中した自己省察の時間がここに生まれる。感情や直感に頼っていた部分が、言語と構造によって照らし出され、自分自身の判断の癖や論理の特徴に気づくようになる。
言語化と客観視は、知識や情報の活用にとどまらず、自分の人生観、価値観、そして選択の理由にまで影響を与える思考の土台となる。ChatGPTを通じてその力を育むことは、論理的に生きることの第一歩を踏み出すことに他ならない。