☆?月?日 見知らぬベッドの上で(2)
「世間に隠す必要があるのは分かった。俺に期待されてる役割も。あとはどういう理屈で俺が今ここにいるかだ。それもなんとなく想像できる気がするが……、とりあえず続きを話せ」
「おっ、さすが。相変わらず飲み込みの早い男だな。助かるぜ」
それから鷹宮が語った経緯は、やはり俺の予想から大幅に逸脱するものではなかった。
自力では動くこともできなくなった才川を、鷹宮はもう一度シミュレーターに放り込んだのだ。かつて才川自身が鷹宮に対して行ったように。
ほとんど空っぽになった才川の脳に対し、それを上書きするのに使った記憶が〈鷲尾覇流輝〉のパーソナルデータだった。それが、俺がこうやって才川(鷹宮道実)の身体でこの世界に存在している理屈である。
「ん? 待てよ? 才川の脳が《記憶を刷り込むのに丁度いい、まっさらな入れ物》だったのは分かるが、それをするにはシミュレーターを通さなきゃいけないんだろ? 最低でも一年間。こっちの世界なら2カ月ちょいか。
まあ、時間の問題は別にいいとして、こうして記憶と人格が刷り込まれた状態の俺には、その間に《シミュレーターの中で過ごした記憶がない》んだが?」
俺はあのとき、鷹宮の部屋を出たところで倒れ、気が付くとその次にはもう才川(道実)の身体になってこの上位世界にいた。
《俺の体感》ではそうだ。
あのシミュレーターを使って人格をインストールしたというのなら、少なくとも一度は、才川の脳を通してログインした期間の記憶がないと説明が付かないのでは?
「うん、そうだな。この説明をすると、もしかしたらハルキには不気味に思えて少し気分を悪くするかもしれないんだが……」
「いいから言ってくれ。今なら何を言われてもそっくり信じると思う。話がぶっ飛び過ぎてて、もう既に麻痺しちまってる。ショックを受けるっていう項目をコンフィグでオフったみたいな感じだぜ」
「そうか。じゃあな……。記憶を上書きするとき、シミュレーター内で使うアバターは別に本人と同じ外見である必要はない。……この説明で分かるか?」
ふむ。
そもそも鷹宮が開発していたシミュレーターは、仮想現実での体験をよりリアルにするために、プレイヤー自身の記憶を封じてシミュレーター内のNPCの記憶を上書きし、その世界に住む人物に成り切ることができるようにする、という目論見で開発されたものだった。
当然、プレイヤー自身とそのシミュレーター内のアバターの外見は一致しないわけだ。
シミュレーター内の鷹宮と、いま目の前にいる鷹宮の姿が同じだから混乱しそうになるが、元々はそういうもののはず。
それはそうだ。当たり前の前提をなぞっただけに思えるが……、今更その話を思い出させるということは……。
ん……? ん、まて、……んん⁉
「おっ……、俺か⁉ 俺が才川だったのか⁉」
思わず両方の掌を目の前で広げ、その見慣れぬ大きな手をワナワナと見つめた。
顔を上げると鷹宮が満足そうに笑ってこちらを眺めている。
椅子の上であぐらを組んでいた脚を下ろし、椅子に座り直すと、サッと手を後ろに回し、スツールの上にあったマグカップを取って俺に差し出してきた。
「まあ、落ち着け。コーヒー。飲むだろ? お前の好きな甘々だ」
スツールもマグカップもまるで最初からそこにあったかのような顔をしているが、断じてそんなはずはない。受け取ったカップは熱々で、中からは淹れたての芳醇な香りが立ち昇っていた。
コーヒーを啜る音で顔を上げると、鷹宮がまたどこからか同じマグカップを取り出してそれに口を付けていた。
「だからぁ、人が驚いてるところに次々被せてくるのヤメロってぇ」
「科学技術マウントだってか? 俺にはこれが普通なんだが、まあハルキには魔法みたいに見えるよなあ」
ニヤニヤを絶やさないその顔は、言葉とは裏腹に完全に面白がっている顔である。
だが今、この世界にいる俺にとっては、その顔、姿形が、唯一見慣れた心休まるものであった。
愛らしくも憎らしい、そしてやっぱり愛おしい彼女の顔をチラリと見やりながらマグの取っ手に指を通しコーヒーを啜る。
薬品臭い口内をそれで洗浄するように何度も舌で転がした。
甘い……。冬の季節に鷹宮と並んで歩きながら俺がよく飲んでいた缶コーヒーの味に似ていると感じたのは、この身体から発せられる薬品臭さのせいか。あるいは……。
「……〈スワンプマン〉の気分だぜ。一体いつから遡ればいい?」
「今のハルキの体感でいえば始めからだ。十六歳の春に自我を持ち、それから十八回の一年を繰り返した記憶をそのまま全部、もう一度繰り返した」
なんてことだ。
なら、これまで俺が体験してきたすべての時間や出来事は、丸々全部、《廃人になった才川が、自分のことを鷲尾覇流輝だと錯覚し続けていたもの》。〈俺〉の人生の追体験だったということか。
……ややこしいな!
「一体どうやって? ……って聞いても俺には分からん話か」
「簡単にいうとコピペだな」
「まぁたコピペか。万能だな」
「そう。大体コピペで解決できる。俺の体感でいうところの〈最初の〉シミュレーション世界を脱出した後で、《環境全体を丸々バックアップ》して、それをまた別のマシン環境に載せ替えて最初から走らせたんだ。その後はお察しのとおり。〈二度目〉に関していえば、ハルキは本当の意味でのNPCではなかったわけだ」
〈二度目〉という何気ない一言が微かに俺の心を刺した。
嫉妬か。嫉妬というなら、それは誰に対しての嫉妬といえばいいか分からなかったが。
「ゼロからシミュレーションさせたわけではないんだろ? 少なくとも〈二度目〉の方には鷹宮と才川本人の介入がないんだから」
「そうだ。だから、俺たちプレイヤーの行動も含めて丸ごと全部コピペした。あのときのブラックボックスの中がどうなってたかは相変わらず分からんままだが、完全に丸ごとコピペすれば結果は同じになる。言ってみれば、ハルキが体感したのは完璧なリバイバル上映という感じだな」
「そんな簡単にできることなのか? そんな都合よくログが? 俺、ブラックボックスの意味間違えて理解してるかな?」
「当然簡単じゃないよ。丁寧に復元に復元を重ねて、レイヤーの一欠片まで差異なく再構築したんだ。コピペの魔術師と呼ばれた天才開発者、国府祐介だからできた離れ技さ。それでも本当に上手くいくかどうかはやってみないと分からなかったけどな」
「……それならそれでまた疑問がある。そんな労力を費やしてまで、なんで俺だったんだ?」
「えっ? あぁー……」
これまでしたり顔で話していた鷹宮が急に言葉に詰まる。
それまで情報を浴び続けて防戦一方だった俺は、ここぞとばかりに勢いづいて問い詰める側に回る。
「才川の振りをさせるなら、もっと都合のいい、この時代の技術に通じたNPCをあてがえば良かったんじゃないか?」
「いや、一般知識は学べばいいさ。大丈夫、お前なら。かなりシームレスに使える外部記憶端末もあるし──」
「そういうこと言ってるんじゃないって分かるだろ? お前なら。……口裏合わせてくれる従順なNPCとか、それか完全に自分を才川だと思い込んでるNPCとか、作れるんじゃないのか? そのぅ、〈スクラッチ〉とやらで?」
「そりゃあできるよ……。けど、……俺はお前が良かったんだ」
「な、なんで……?」
またも攻守交替か。
問い詰めていたはずの俺は逆にたじろぐ。
カップを脇に置き、あぐらを組んだ足首を両手で掴み、モジモジとし始めた鷹宮の姿に完全に当てられていたのだった。
卑怯な。もしや、そうやって俺から責められないようにするために、その愛らしい姿に〈着替えて〉きたのか?
もしそうなら効果はテキメンだぞ?
だが、動揺していたのは俺だけではなかった。当の鷹宮にしてからが、俺の質問に対し耳を真っ赤にして視線を移ろわせている。
「やっぱり……、迷惑だったか?」
「めっ……い、ぃいやぁっ⁉」
奈津森を彷彿とさせる破壊力Sクラスの上目遣い。それをあの鷹宮がしているのだから、俺がしどろもどろになるのも当然である。
「喜んでもらえると思ったんだ。同じ一年を繰り返すことがなくなったとしても、作り物だと分かった世界で生き続けるのは苦痛なんじゃないかって。でも、やっぱりハルキが望んでたのはあっちの世界での暮らしだったか? 俺、余計なことしたかな?」
「いや、怒ってるわけじゃねーよ。けど、ちゃんと理由を知りたいっていうかぁ……」
鷹宮が顔をうつむかせ深く息を吸う。
「分かった。今から恥ずかしいこと言うぞ? 覚悟しろよ?」
「恥ずかしい⁉」
「俺は、ハルキと、対等になりたかったんだ。シミュレーションの中の相手じゃなくて。それが理由じゃ駄目か?」
顔を上げ、真剣な目で訴えかけるようにする鷹宮。
俺はその少し潤みを帯びた瞳に吸い寄せられる。
そうして俺は、今のこの状況が──鷹宮が良かれと思って整えてくれたこの状況が──確かに俺自身も密かに心の奥底で望んでいた結末なのだと思い出した。そんなことは絶対に叶わないと知っていたから、願うこともやめてしまった結末──。
「駄目じゃない。けど、本当に俺でいいのか? それが不安なんだ。だって、分かるだろ? 俺はお前にとってはただのNPCだ。データの集合体でしかないんだ。そんな俺が、本当の肉体を持ったからって、お前と対等だなんて、自惚れていいのか?」
「か、関係ねーよ。最近は、シミュレーション内の人物と法的に結婚までしてる例だってある。境界はどんどん曖昧になってるんだ。そこは全然、卑屈になるところじゃない」
思いがけず跳び出した結婚という単語を聞いた途端、俺の中で、これまでと位相の異なる感情が騒めきだす。ただの例示として出したのか、それとも鷹宮の中に何かしらの含意があったのかを確かめたくなってしまう。
だ、駄目だ。顔がニヤける……。
「ええとぉ。待ってくれ。ちょっと待ってくれよ? これは卑屈どころか、極めて調子に乗った発言になるんだがぁ……。そのぅ、なんだ。あれだよ。さっきから聞いてると、なんだか、会話の端々とか、言葉のニュアンスに別の意味が含まれてる気がしてくるんだが、これって俺の気のせいかな? 鷹宮が俺をここに呼んだ理由って、共犯者とか相棒的な意味合い以外に理由があるんじゃないかって、そんな身勝手な妄想なんだが……」
「お、おい! それ以上はやめとけよ? 俺だって恥ずかしいんだからな? こういうのは明け透けにしちゃ台無しだって……、そんな気がしてるんだ」
「いやしかし。急っていうか……」
「きゅ、急じゃねえよ! 人の気も知らないで」
急……、急じゃない。そうだ、急ではないだろう。
俺にとっては一瞬のことでも、こうして同じ世界で顔を合わせて話せるようになるまでに、鷹宮の方はずっと長い時間を費やしているはずだった。
そんな鷹宮の立場で想像をすると余計に俺は落ち着かない気持ちになった。
「しかしだなあ。なんというか、俺にとって都合が良過ぎて逆に不安になるなあ……あ、あはは……」
俺のよく知る鷹宮は、自分のことを男だと思っていて(いや、実際思い込みでもなんでもなく本当に男だったわけだが)、俺からの求愛を当然の如く拒絶していた。
NPCである俺のことを頼り、信じるといっても、それはあくまで男同士の相棒的な間柄としてであると、少なくとも俺はそう了解していた。
けど、いま目の前にいる鷹宮はどうだろう。着ている服こそ色気のないスウェットであるが、その居住い、身体全体から匂い立つ色香は、過去に会ったどの鷹宮よりも俺の、男の本能に訴えてくるものがある。
俺に助けられたからだろうか。
窮地を俺に救われたことを恩義に感じて……、とか。
あー、あるいは、吊り橋効果的なやつで俺に……。俺に、その、こ、好意を……抱っ、いやぁ……⁉
「お前、本当にあの鷹宮か?」
「そっ、そうだが?」
「いや、国府祐介か?」
「そうだよ! 今更なんだ?」
「だって、じゃあなんでそんな可愛らしい形なんだよっ」
「かっ……! えっ、えーっと」
「ここが現実世界だって言うなら、なんで〈鷹宮遥香〉のアバターと同じ身体をしてるんだよ」
「あっ、ああ、そういう……、そういうことか」
何故か拍子抜けしたように急に落ち着いた鷹宮は、そういえばこの話はしてなかったなと前置きして、自分がシミュレーション内と同じ〈鷹宮遥香〉の身体である理由を話し始めた。
──それは鷹宮にとっての《二周目の〈脱出〉が失敗した理由》にも関係していた。
8月のあのゲリラ豪雨のプール。そこに出現した〈グリッチ〉から見事ログアウトを果たした鷹宮の前に立ちはだかった障害は才川ではなかった。
現実世界の国府祐介の肉体は、そのとき丁度、《全身を作り変えるための培養槽に浸かった状態》だったのである。
性別や骨格を作り変えるほどの大規模な〈メディカルフォーゼ〉には長い時間が掛かるので、その施術中に眠っている時間を仮想現実世界に繋いで過ごすこと自体は、こちらの社会では珍しくない。よくある長期保養の一形態であるらしい。
鷹宮にとって運が悪かったのは、目覚めた二周目の中盤頃の時期がまさにその施術の真っ最中であり、ほとんどの随意筋が溶かされ、ほぼ脳と内臓だけの状態になっていたことである。
才川に見つかる見つからない以前に、抜け出したくても抜け出せない、指一本動かせない状態にあったというのが、鷹宮が二周目の脱出に失敗した真相なのだった。




