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▲4月23日 再びグリッチの二人(2)

「暑っつ!」


 顔面を火で(あぶ)られたような熱気が襲う。

 目を開けると俺は見慣れた教室の中に立っていた。


 真昼の、蒸し暑い夏の教室だ。

 陽射しの感じや、教室の外から聞こえる生徒たちの喧騒、匂いまでもが()()()のままそこにあった。

 湿ったパーカーとジーンズ姿だったはずの俺は、いつの間にか高校の夏服に着替えている。

 ハッとして振り向いた先には、同じく学校の制服姿となった鷹宮が立っていた。


 二人して(しば)し呆然と見つめ合うが、やがて鷹宮の視線が窓の方へと流れていった。

 鷹宮は、まるで何かに引き寄せられるように迷わずそちらへ歩いていく。


 真っ直ぐ向かった先は、あの日、鷹宮が座っていた窓際の席だった。後ろから三列目。始めからそこだと分かっていたように鷹宮が椅子を引いて席に着く。

 その後から俺もそれに続く。いつも鷹宮が座っていた席の前に。あのときと同じように向かい合って座る。


 椅子の背に手を掛けるまでは恐る恐るしていたのだが、椅子も机も、それを引き摺る床の摩擦の感じも、何もかも現実の教室と変わりなかった。

 いや、このとき俺には、すでに何をもって〈現実〉と言い張ればよいのか自信が持てなくなっていたのだが。


「思い出したのか?」


 期待を込めてそう訊いたが、鷹宮の反応はまだ夢見心地といった様子。

 鷹宮は不思議そうな顔をしたまま俺の顔を見つめている。

 そんなにマジマジと見つめられると照れてしまうが、記憶を手繰り寄せる邪魔になってはまずいので黙ってそれに耐えて見つめ返す。


「……分からないけど……、凄く懐かしい感じ……です」

「思い出せそうってことか?」


「この教室、私は来たことがあるの? 貴方も」

「ああ。大事な……思い出の場所だ」


 鷹宮はさっきコンソールを操作するとき、〈メモリー〉だと言った。

 鷹宮がこの仮想現実で過ごした時間や場所は無数にあるはずなのに、真っ先にこの場所が選ばれたのは、それがかつての鷹宮にとって、特に印象に残る思い出深い場所だったということだろうか。

 俺といたこの場所が……。なんて、(おご)った考えかもしれないが。


「まだ教えてもらってなかったわ。どうして私の記憶を思い出させようと?」

「まあ、そうだな……。この世界を救うため……とか?」


 さすがに素面(しらふ)(のたま)うには気恥ずかしい台詞である。

 それにこれは俺の本心ではない。ただの誤魔化しだ。


 俺は目線を窓の外に向けたまま。鷹宮の方を見られない。

 眩しくて目がしょぼしょぼする。

 あれ? なんだ。

 やっべー。なんか俺、いま泣きそうになってないか?

 泣く要素あったか? あーこれ、感情バグってるわ、これ。

 もしもしクジラさん。間違ってます。今ってそういう場面じゃないです。鷹宮が記憶を取り戻せたら、そのときは幾らでも泣いてやるから。今はさあ……ちょっと待ってよ。


「私とはどういう関係だったのですか? その……、もしかするとですが、恋人……同士、だったり……」


 俺は目だけを動かし鷹宮の表情を窺う。

 鷹宮は俺と目が合うと、気まずそうに顔を逸らした。忙しなく目を泳がせながらもチラチラとこちらの反応を窺っている。


 お互いに様子を探り合っているが、どう考えてもこれはフェアじゃない。

 今は俺の方が一方的に相手のことを知っている状況だ。


「恋人同士か……。俺はそうなりたかったんだが、さすがに障害がデカ過ぎたな。だって、本物の、生身の人間と、それを模倣したただのデータの集合体なんだから」

「…………」


 それに中身の性別に至っては男同士でもある。

 あ、そうだ。まだこれを話していなかった。


「国府祐介だ」

「え?」


「鷹宮の本当の名前。俺的にはテンション爆下がりだから、あんまりその名前で呼びたくないんだが、現実の世界でお前は国府祐介っていう男の技術者なんだよ」

「お、男⁉ 私がですか? 冗談はやめてください。真面目にっ……、え……本当に?」


 始めは勢い込んで抗議しようとしていた鷹宮の声が途中で急に(しお)れたように小さくなる。

 自分のことを女性だと思い込み、疑うこともしていない今の鷹宮には酷な話だったかもしれない。事実を列挙して教え込んでも記憶を取り戻す役には立たないというのも、前の周回の〈奈津森≒鷹宮〉で散々試したことだった。


 しかし、どうにかしないと。

 仮に今の鷹宮と一緒にコンソールの扱い方を習得し、ログアウトさせることができたとしても、それでは意味がないのだ。

 むしろそうしてしまうと、国府祐介の生身の脳に、今の記憶喪失状態の記憶と人格が定着して取り返しが付かなくなる可能性もある。

 前々回、水族館でジンベイザメを見たときのような、唐突に、何か思いも寄らない方向から衝撃を与えた方が……。その方が、思い出す可能性が高い気はするのだが……。


「ああ、ええと……」

「なんでしょう?」


「……よし。ショック療法だ。キスッ……でもしてみるか」

「キ、キス⁉」


 俺は肘から先を机の上にのせ、グイと身体を前に寄せた。

 鷹宮の方は逆に、身体を反らせて俺から顔を遠ざける。が、そこで踏みとどまり、おそるおそる元の体勢に戻す。

 当然そうすることで二人の距離は縮まった。互いの息が顔に掛かるほどに。


「い、いや、冗談だよ冗談。さすがに」

「いえ、た、試してみましょう。それが貴方が良いと思う方法なら」


 鷹宮の表情は硬く、口調は至って真面目だった。

 何か思い詰めたふうでもある。

 これもあの昭島の思い込みの激しい性格が影響しているのだろうか。


「いやいや、ごめん。嘘だから。ただの思い付きっ」

「私は過去の自分を信じることにします。貴方は信用に足る人だと……、貴方の指示に従えという私からのメッセージを、信じることに決めました」


 きっぱりと言い切るその言葉を聞いて、俺は先ほど鷹宮が俺の顔の左上辺りへ目をやり、気にしていたことを思い出す。


 そういえば前回の別れ際、水着姿の鷹宮が、俺の背後で(しき)りにコンソールを触っている気配があった。

 俺がこの日のために、前の周回から色々な準備をしてきたのと同じように、鷹宮もこうなる可能性を見越して予め備えていたということか。


 俺がそうやって懸命に頭を働かせている(かたわ)ら、今現在の鷹宮は、きゅっと目をつぶり何かを待ち構える顔になっていた。

 ……いや、()()などと、今さらもって回った言い方はやめよう。

 鷹宮は俺からのキスを待っているのだ。


 俺は思わず喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 ここがその現場であったからでもあるが、自然と二周前のあのときのことを思い出してしまう。

 あのとき、渋々ながらも、俺にハグすることを許可して身構えていた鷹宮のことを今の彼女の姿に重ねてしまう。


 俺の中には、今度こそあのとき成し遂げられなかったことを成すべき機会が巡ってきたのだと奮い立つものが確かにあった。

 目と鼻の先にある据え膳だ。

 衝動のままやってしまうのは簡単だったが──、俺はすんでで思いとどまる。


 俺が今ここで、何も知らない鷹宮を相手にキスをする正当性が何もないと気付いたからだった。

 思い込みの激しい〈昭島≒鷹宮〉は、もしかしたらかつて二人はキスぐらいしている間柄だったのでは? などと妄想を(たくま)しくしているのかもしれないが、実際は何周遡っても俺たちの間にそんな事実はないのだ。脈絡もなくショックだけを与えたところで、存在しない記憶が蘇るはずもない。


 ……大体、キスで何もかも上手くいくだなんて何世紀前の脚本だよ。

 俺の記憶の中にいる鷹宮が呆れ顔でそんな悪態をついていた。


「……テイッ!」

「アタッ!」


 俺は瞳を閉じた鷹宮の額に向かって、手加減なしのデコピンを食らわせる。

 鷹宮は両手を額に当て、ビックリ顔で目を見開いた。


「言ったろ? そういうことは渋々じゃなくて好き合ってる相手同士でやるもんだって」


 そうだ。弱り目の鷹宮に付け込んで、(だま)し討ちのようにすることではない。

 俺はフンフンと中指と薬指を使ったデコピンの素振りをしながら鷹宮に笑ってみせる。


 鷹宮は額に両手を載せたまま顔を赤くし、そして視線を机の上に落としてうつむいた。お嬢様にあるまじき慎みのない振る舞いをしたことに気付いて我に返ったのかもしれない。

 俺はションボリとしたようにも映るその様子を見て、ひょっとしたら、鷹宮の女性としてのプライドを傷付けてしまっただろうかと慌てる羽目になる。


「いや、本音ではしたいよ? 当然。キスどころか、今すぐにでも押し倒したいくらい、鷹宮は魅力的だって。超かわいい。無茶苦茶かわいい。最初に会ったときから、今でもずっと夢中なんだ。本当は男だとか、生きてる次元が違うとか、そんなこと関係なく、理屈じゃなくてマジ惚れしてる! ……でも、こういうのはフェアじゃないっていうか、好きだからこそ大事にしたいっていうかさあ──」

「……した」


 うつむいて両手を額に当てたままの鷹宮の顏を、下から覗き込もうとして俺は首を傾ける。


「ん? なんだって?」

「ぉおぉ思い出したってぇ……言ったんだよおっ。お前のその変なデコピンでぇ!」


 突然椅子から立ち上がり大声を上げる鷹宮。

 俺を見下ろすその顔は、先ほどよりさらに真っ赤に染まっている。


「あ、ああぁ~……」


 なるほどね~……。

 剣幕に押された俺は、鷹宮の記憶を戻ったことを喜ぶことも忘れ、恥ずかしそうにする鷹宮を見上げながら、キツネスタイルのデコピンの素振りを意味もなく繰り返すのだった。

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