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▲4月23日 再びグリッチの二人(1)

 時間や場所が違っても〈グリッチ〉が出現することは確認済みだったが、周回を超えて持ち込んだゲームディスクでも成功するかどうかはある意味この作戦における最大の賭けであった。

 その賭けに俺は勝ったのだ。


 この寒々しい真っ白な空間に身を置き、俺はかつてない安らぎを感じていた。

 病室での奈津森とは違い、鷹宮も無事に〈グリッチ〉への移行を果たしていた。

 一つ溜息をついて視線を移すと、鷹宮に手を握られた道実もベッドの上で眠ったまま、同じく〈グリッチ〉内に運び込まれているのが見えた。

 だが寝ている道実のことはとりあえずいい。

 ここに来た俺の最初の仕事は、〈グリッチ〉を目にした鷹宮をなだめることだった。


「これは⁉ なんです? 何が起こったんです? これっ、ゲームの世界⁉」


 前の周回の〈奈津森≒鷹宮〉は〈グリッチ〉に入るだけで勝手に元の自分を思い出したが、今回はなかなかそうはならなかった。

 記憶の上書きを重ねるほどに、国府祐介としての記憶を取り戻すのは困難になるようだから、予め覚悟はしていたつもりだったが、いざ目の前にすると、記憶を失くした鷹宮に対し何もしてやることができない自分を改めて思い知る。


「せっ、説明をしてください! これは一体なんなのか。貴方は何者なの⁉」

「落ち着け。落ち着け鷹宮。落ち着いてくれ」


 ヒステリックに叫び身体を暴れさせる鷹宮を俺は懸命に背中から抱き締めた。


 いや、待てよ。これが悪いのか。

 今の鷹宮にとって俺は見ず知らずの不審な男に過ぎないから。

 そんな男に抱き付かれた状態で、怖がるな、落ち着け、と言っても無理な相談だろう。


「わ、分かった。一旦離れる。離すから暴れるなよ? ここでうっかりお前に投げ飛ばされて気絶でもしたら目も当てられないからな」

「えっ……?」


 俺はそう言って、鷹宮を押さえ込んでいた力を緩める。

 腰を浮かし、ベッドの上で立ち上がり掛けたとき、逆に鷹宮から腕を掴まれた。


「ま、待って。離れないで。こんな場所に一人にしないで」


 鷹宮は眉をハの字に曲げ、俺の方を見上げていた。

 手首を握り締める力が強い。指の痕がくっきり付きそうなほどの力で鷹宮は俺を離すまいとしていた。

 よく見ると反対の手では同じように道実の手を握り締めている。


「こっ、怖いのよ! 悪い? いいから(そば)で座ったまま説明して」

「……あ、ああ……」


 怖がっている鷹宮には申し訳ないがその様子は無茶苦茶可愛かった。

 下衆(げす)(そし)りは甘んじて受けねばならないだろうが、ぶっちゃけ無性に庇護欲をそそられる。

 俺はもう一度彼女を思い切り抱き締めたいという衝動に駆られていたが、そんな(よこし)まな感情を気取られないよう、精一杯真面目な顔を取り繕い、身体を寄せて彼女の真横に座り直す。


「目の前に何か見えてないか? たぶん手で操作するタッチパネルみたいなものだと思うんだけど」

「……あるわ。さっきからずっと見えてる。これは何?」


「悪いがそれは説明してやれない。俺には見えてないんだ。だが、それが見えてるってことは、鷹宮が俺みたいなNPCじゃなく、このシミュレーターにログインしているプレイヤーだっていう証拠だ。これまでお前が見てた世界……、鷹宮家の屋敷とか女学院は現実の世界じゃない。虚構の、作り物の世界なんだ。どうだ? 何か思い出さないか? ここじゃない、外の世界のことを」

「そんな……! そんなこと、突然言われても。……信じられない。信じたく、ありません」


 明らかな困惑。鷹宮は顔を斜めにうつむかせ、自分が腰掛けるベッドで寝ている道実の方を振り返った。

 その様子に胸の奥がチクリと痛む。少なくとも今の鷹宮にとって、道実との鷹宮邸での生活は執着に値するものなのだろう。


「とりあえずいろいろ試してみよう。何が見えてるのか俺にも教えてくれ」

「本当に貴方には見えていないのですか?」


「ああ、俺はただのNPCだからな」

「えぬぴーしー、とはなんでしょう?」


「ノン・プレイヤー・キャラ。要はゲームを構成するモブだ。人間じゃない。この世界を作り出してるコンピューターの中で動いてる、ただのプログラムコードの集合体だ」


 自分で説明しながら落ち込んでくる。

 そこまで卑下しなくてもよいのでは、と自分で自分にツッコミを入れたくなる。

 しかし俺の告白を聞いた鷹宮はそれ以上に、こちらの方が申し訳ない気持ちになるくらい悲しげな表情になっていた。


「もしかして私、貴方にお辛い話をさせていますか?」

「い、いいよ。俺のことは。嘆いてどうなる訳でもないし。所詮生身の人間も……、他の動植物だって、DNAの塩基コードでプログラムされた生体モジュールみたいなもんだろ? それより今はお前の方が一大事なんだ。ちゃんと思い出せ。触ってみて、操作を試してみたら何か思い出すんじゃないか?」


 俺は鷹宮がしっかり握ってくる手を引っぺがし、両方の手を自由にしてやった。

 そのうえで彼女の手首を掴んで後ろから操り、コンソールがありそうな場所に促してやる。


「いやっ、ちょっと待ってください。確かに触れそうには見えますが、分からないままに操作するのは怖いです。それよりまず、説明していただけませんか?」

「説明って……言ってもなあ。外の世界のインターフェイスなんて俺に分かるはずが……」


「そうではなく、貴方のことです」

「俺?」


「何故、私をその……、助けようとしてくれるのですか?」

「え?」


「大事なことです」


 鷹宮は一時の混乱状態を脱し、随分落ち着いてきたように見える。真っ直ぐ、真剣な表情で俺の顔を見つめてくる。


 いや待て。

 真っ直ぐ、じゃあないな、これは。

 チラチラと、俺の顔の左上辺りに視線を向ける素振りが気になった。


「もしかして、このへんに何か見えてたりするのか?」

「あ! いえ、何もありません。み、見ないでください!」


 鷹宮の見ている先を当てずっぽうで指差しながら訊いてみると、鷹宮は急に慌てて立ち上がり、その場所にある何かを払い除けるように手を伸ばしてきた。


「ああ、ちょっと! 大丈夫だから。どうせ俺には見えてないんだから!」


 鷹宮が覆いかぶさってきて、危うく押し倒されそうになるのを腹筋を張ってどうにか押し戻す。

 一体何が表示されているんだ?

 俺自身に何か識別タグのようなものが付いてるのか?


「あ……」


 体勢を立て直すと、俺と向き合った鷹宮が視線を下げて、今度は俺の胸の辺りを熱心に見入るようにする。


「どうした?」

「あっ、あの、何かに触ってしまったようです。今ので……」


 ああそうか。向かい合ってるから、てっきり俺のことを見ているのかと思ったが。

 鷹宮はいま自分のコンソールを見つめているらしい。


「ん? 操作できるのか?」

「えっとー……」


 鷹宮は俺と向かい合ったまま、おそるおそる、といった感じで手を伸ばしてきた。

 俺の腹の上辺りを真ん中の三本指でなぞるようにチョチョイと動かす。

 俺の身体に用があるわけではないと、それは分かるのだが、真剣な表情でそのようにされると非常にこそばゆいというか、落ち着かない気持ちにさせられる。


「そもそも、書いてある文字は読める?」

「よ、読めますよお」


 上位世界のインターフェイスで使われている言語が日本語や英語とは限らないなと思って訊いたのだが、鷹宮はそれを馬鹿にされたと感じたようだ。

 丁寧語で怒ってみせる鷹宮も新鮮で可愛らしい。


「メモリーって……、書いてあって、ちょっとこれ押してみますね」


 メモリー? 記憶か?

 履歴(ログ)ではなく……。


「んー! ちょっと待て。他の表示も教えてくれ」


 もっと他のメニューも調べて、当たり障りのなさそうなやつから試してはどうかと提案したかったのだが、何故急にそんな積極的に?

 俺は慌てて鷹宮の手を押さえようとしたが遅かった。

 〈グリッチ〉内の光量が突然増し、俺は思わず目をつぶる──。


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