▽8月19日 グリッチの二人(2)
「…………」
「どうした? この周回の記憶があるなら鷹宮だって気付いてるだろ? 奈津森がいないこと。休んでるとかじゃなくて、最初からいなかったことにされてるんだ」
「うん。いや……、そうだよな。まあ、それもしっかり確認して共有しておいた方がいい話だよな……」
どうも鷹宮の反応が鈍くなった気がする。
ゲーム機やスマホに重い処理をさせたときのような遅延を感じる。
心配になり振り向こうとしたら、また頭を両手でガッシとつかまれ前を向かされた。
「分ぁかったよっ。見ないって」
この体勢、話し難くていい加減つらいのだが……。
「奈津森は、転校か何かで、始業式から姿が見えないって感じか?」
「あ、そう。そうなんだ。それだけじゃない。前の周回から持ってきた俺のスマホから連絡しても繋がらないし、みんなの持ってるスマホだと連絡先からも消えてる。どう考えてもおかしいのに、周りの連中、それを全然変だと思ってないみたいで話が噛み合わないんだ。ありゃあ相当ホラーだった」
これまでも俺の行動の結果、その後の人間関係に思わぬ大きな変化を及ぼしたことはあったが、4月のはじめからそこまで大きな変化が起きることはかつてなかった。
だが、自分がこの世界におけるイレギュラーだという自覚のある俺は、不気味に思いながらも、目立つことを恐れ、その問題をそれ以上深くは追及できずにいたのだ。
「なるほど。いかにもらしい杜撰な辻褄合わせだな」
鷹宮の物言いは、いかにも何かを知っていますという感じである。
始めから自分の中で立てていた仮説があって、その答え合わせをしているような。
「知ってるなら教えてくれよ。俺、もしかしたら自分のせいで奈津森の存在が消されてしまったのかもって、ずっと悩んでたんだ」
俺は前の周回の最後に、危うく死に掛けた挙句、辛うじて〈マハ・アムリタ〉にアクセスできたことや、そのとき同じ部屋にいた奈津森が目の前で消え失せてしまったことを付け加えて話す。
もしかしたら、あれのせいで奈津森がこの仮想現実の世界から弾き出される結果になったのではないかと、俺は案じていたのだ。
思い出しながら話すうち不安を募らせていた俺に対し、鷹宮は途中で話を遮り、俺の念頭にあった仮説をあっさりと否定した。
「──ああ、それはない。ハルキのせいじゃないから、そこは気に病まなくていい。前にも少し話しただろ? 《このシミュレーターは多少想定外のバグが起きても勝手に整合性を取るようにできてるんだ》。
例えば目の前で誰かが〈グリッチ〉に吸い込まれたとしても、そんな事実なんてなかったみたいに〈世界〉がそう振舞おうとする。……まあ、かなり強引で杜撰なやり方ではあるんだが、そういう場合、普通は中にいる人間全員に対し改変が働くから、そんな杜撰なやり方でも認識できないはずなんだけどな」
鷹宮の話を、俺はあのときの奈津森目線で解釈していた。
病室でゲームのコントローラーを持ったまま消えてしまった俺を見たとしても、何も見なかったように、別のもっともらしい記憶で改変されているのだろうということだ。
同時に、その説明は俺がこの周回で体験した奇妙な現象についても当てはまる。奈津森がいないという不自然な状況にどうにか説明を付けるため、この世界は矢部や澤井たちの記憶を改変したのだ。
そうすると俺は、その改変のタイミングでシステムの外にいたから奈津森の不在を異常だと認識できているというわけか……。
「ん。だが待ってくれ。今の話は奈津森が不在である理由の説明にはなってないぞ?
俺が始業式で体験したホラーな現象は、奈津森がいないことを誤魔化すために、シミュレーターが適当な辻褄合わせをしたからだって話でもあるんだろ?」
「あ、相変わらず飲み込みが早いな、君は……」
そこで鷹宮が一呼吸。
いや、俺にはどうもいま一つ飲み込めていなかった。鷹宮が先ほどから、やけに言いづらそうにしている理由が。
「これはあくまで俺の推論だ。だが、今ハルキから聞いた話と、俺自身の主観を繋ぎ合わせると、ほとんど確信に近い推論になる。……あの、なぁ、えぇっと……。
杜撰なのはこの仮想現実のシステムだけじゃないって話だよ。俺たちの社会の基盤になっている技術は、ほとんどが人間の理解の及ばないブラックボックスの集合体だって話、憶えてるか?」
「ああ、技術者と呼ばれる人間も、ほぼ10割近く既存コードのコピペで開発してるって話だったよな」
「あ、ああ、そうそう。だから……、たぶん、そういうことなんだ」
「え? いや、さすがに分からねぇ。謎解きゲームやってるわけじゃないんだから、もったいぶらずに教えてくれよ」
「いや、肝心なところだけ鈍いな君は。だから、俺の記憶を上書きするときに使われたパーソナルデータのことだよ。人間一人の記憶と人格を一から全部、スクラッチで作るなんて大変だろ? だから、普通は〈在りもの〉を流用するんだ。
……今回の俺のケースでいえば、一回目に適用されたモデルは〈鷹宮遥香〉のものだし、そのぅ……、二回目は……」
「はあっ⁉ 奈津森のだっていうのか?」
「……そう。たぶん、な」
「記憶とか性格とかのパーソナルデータなんだろ? 上書きに使うのは。なんで肉体も含めた存在全てが消えることになるんだよ? っていうか、それ、コピペじゃなくてカット&ペーストじゃねーか」
「俺に怒るなよ。この仮想現実世界における人格は肉体とセットになっていて個別に運用できるものじゃないんだ。部分適用とか、切り出しなんて器用な真似はできない。
だから、俺が最初に開発したときから、プレイヤーの記憶の上に被せるパーソナルデータは、《ダイブする仮想世界に用意された特定の誰かのものを丸々使う仕組み》になってるんだ。
コマンド実行者が対象を指定して、ゴチャッと混ぜたら、あとの調整はAI様が上手い具合にやってくれる。それだけの仕組みだ」
「ちょっと待て。急に情報が増えたな。……なんでその話、今まで俺に教えてくれなかったんだよ?」
「別に必要だと思わなかったからな。俺も才川がそんな方法を使うなんて思ってなかった。理屈として、複数の人格をブレンドするなんてこともできそうだなって、軽く喋っただけだったのに。……クソッ、同意もなしに俺をモルモットみたいに扱いやがって」
「……じゃあ、どうなるんだ? 奈津森は? もうこの世界に戻って来られないのか? 次の周回でも?」
「少なくとも〈俺〉がこの世界で構築されている間は無理だろう。今の俺という存在を実現するための情報と、〈奈津森未悠〉を構築するための情報が競合してるんだから」
「なんだよそれ……」
あまりに理不尽過ぎる。
俺たちにとって鷹宮や才川は創造主のような存在とはいえ、あまりに勝手じゃないか。
いや、本来この世界の住人は、そんな神々の身勝手さすら認識できない。この憤りは、俺が本来知るはずのなかったことを知ってしまったというイレギュラーが故なのだが、しかし……。
「いや、言葉を間違えた。競合より融合の方がいいな。複雑に一体化してて、もう切り離せないはずだ。今の俺は、乱暴にいえば、〈国府祐介〉と〈鷹宮遥香〉と〈奈津森未悠〉の三人を継ぎ接ぎしたような存在というわけだ。フッ、精神版のフランケンシュタイン……て、喩え分かるか?」
鷹宮が笑いを誘うように自虐してみせる。
「なんだよそれ。笑えねーよ。お前よくそんなことを冷静に──」
言い掛けた俺の言葉が途中で止まる。
当然冷静でいられるわけがない。その事実に打ちのめされ狼狽えていた鷹宮の様子を、俺はついさっき目にしたばかりだった(いや背中を向けていたので、目にしたというのは言葉の綾だが)。
「……奈津森に関しての話であれば手はある。あくまで、ハルキの主観を満足させるだけの方法だが……」
俺は藁にもすがる思いで鷹宮の言葉に耳を傾けジッと待つ。
〈在りもの〉を使って人格を上書きするという方法論は分かった。あのクソイカれ野郎の才川が、鷹宮の人格をこねくり回すのにその実験的な方法を使ったということも。
問題は、何故よりにもよって、今回の上書きに使われたのが奈津森のデータだったのかという話だ。
その疑問が兆すのと同時に、俺の脳裏にはあの暴行劇の最後で聞かされた才川の高笑いが鮮明に蘇る。そして愕然とする。
やはり、奈津森が消えたのは俺のせいだった。
そうだとも言えるのだ。
俺の存在が、才川にその選択を促したに違いない。
自分の大事なお人形にちょっかいを掛けてきた、分を弁えないNPCに対するサディスティックな意趣返し。
あのクソ野郎……!
自分に対するやり場のない憤りと、それに倍して余りある才川への怒りが心の奥底でぐつぐつと滾るようにこみ上げる。
「俺がこれから才川を出し抜いて、このシミュレーターのマスター権限を取り返せたらっていう前提あっての話だがな。《〈俺〉がいない状態で、すべてを初期値に戻してから再開させればいいんだ》。そうすれば、奈津森未悠も、鷹宮遥香も、元々の状態で存在する世界として再構築される」
「それは……、最初の目標のままだよな? 鷹宮が無事に脱出できれば、それで丸く収まる……。そうしてくれると、信じていいんだよな……」
俺はそう口に出して自分を納得させようとする。
所詮箱庭の住人に過ぎない俺たちは、上位世界の住人である鷹宮(国府祐介)の力を借りて生かしてもらうほかにないのだ。研究開発のために用意された、同じ一年間を繰り返すだけの窮屈な世界を脱し、たとえ仮初であっても、自由な一生を全うするためにはそうするほかない。
だが、心のどこかで俺はこうも考えていた。
仮に鷹宮の言うとおり、すべてが上手くいき、この世界の在りようが正されたとして、俺は……、俺の主観は果たしてその結末を喜ばしいと感じられるのだろうかと。
俺のために用意されたその真っ新な世界では、奈津森がいて、鷹宮も元通り、自分の性別や奇異な記憶に思い悩むこともない普通のお嬢様として存在しているはず。それが正しいことだと理屈では分かるはずなのだが……。




