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▽8月19日 グリッチの二人(1)

「なー。意識してもらえるのは正直嬉し……いや、複雑なぁ? 心境だけどさぁ。そんな状態じゃ落ち着いて話せないだろ? ここはひとつ、お前にとって俺はただのNPC。情報の集合体に過ぎないって、割り切ってみたらどうだ」


 横から見るとほぼ裸と表現しても差し支えない無防備な姿でうずくまる鷹宮に向かい、俺は慎重に呼び掛ける。

 気持ちを整理する時間も必要だろうと思い、かなり辛抱強く待ったのだが、鷹宮は未だに今の自分の外見(スキン)を恨めしく思っているようだった。


 確かにプールに誘ったのは俺だが、〈グリッチ〉を見つけるための現実的な手段はここに来るくらいしか残されていなかったわけだし、その──大胆に肌を露出させる水着を選んだのは、言ってみれば鷹宮自身なわけだから、俺が責められる筋合いのものではないはずなのだが。


「この体勢が一番落ち着くんだ。気にするな」


 ()ねたように喋る鷹宮の様子を見て俺の中の良からぬ悪戯心が首をもたげる。


「気にするなって言われてもなー。見方によってはその格好、そうやって用を足してるように見えて余計にエロいんだが」

「なっ!?」


 鷹宮は急に立ち上がり、胡坐(あぐら)と体育座りの中間のような体勢で座り込んでいた俺につかみ掛かってきた。

 その勢いのせいで一瞬押し倒されるのかと思ったが違った。


「ん、なんだよ。どうしたいんだよ?」


 鷹宮からの急なスキンシップにドギマギする俺。

 鷹宮は何をしたいのか、俺の身体をあちこち触って押したり引いたりしていたが、やがて自分の小さな身体では俺の身体を思い通りにできないと知ると、俺の真後ろに移動してしゃがみ込んでしまう。


「エ、エロいとか言うなっ」


 なるほど?

 ……なるほどなるほど。フフッ、そうか。


 今のは、俺の目から自分の姿を隠すため、俺の身体の向きを反対に回そうとして四苦八苦していたのか。

 なんと幼児の如き愚かさかと驚かされるが、それだけ動揺している証拠かと考えると今の一連の動きすべてが(いと)おしく思えて堪らなくなった。いろいろなことが嬉しくて、顔のニヤケが収まらない。


「なあ折角半年ぶりに会えたんだ。ちゃんと顔見て話そうぜ?」

「駄目だ。こっち見んなっ」


「釣れないなー」

「人の気も知らないで。記憶が上書きされる感覚がどんなだか分かるか⁉」


「分からん。教えてくれ」

「…………」


「どうした……? 安心しろ。今のは揶揄(からか)ってるんじゃなくて、普通に心配だから訊いたんだ。記憶は全部完璧に蘇ってるか? 今のお前が本当に俺の知ってる鷹宮なのかどうか確信が欲しい」

「……、…………」


 鷹宮は何かボソボソと呟いていたが、やはり背中越しでは聴き取りづらい。


「アイッテ」


 振り返って訊き直そうとすると両手で頭を掴まれグイと前向きに戻された。


「元の記憶はある。俺は国府祐介だ。同僚の才川大の罠にハメられて人格改造を受けてる最中だ。どうだ? 合ってるだろ?」

「それは大丈夫そうだけど……。上書きされた記憶の影響はどうなんだ? 今回は記憶を取り戻すのに大分苦労したぞ? 嫌な想像だが、3回目があったとしたらとても同じように思い出させる自信はない」


「まあ、強固には……なってるんだろう。それは最初に予想してたとおりだ。……違和感も、薄くなってた」

「それは自分が女だということの違和感が? ……アイッ」


 何故だか背中を小突かれた。


「ついさっきまで、ただの記憶喪失なんだと思い込んでた。疑いもなく、この世界の住人だと……」


 肩に何かが()し掛かる感触がある。声の振動が伝わる感覚からして、額を俺の肩にのせて喋っているのだろうと思われた。


 精神的に相当まいっていることが窺わされる。

 もしもあのまま自分が国府祐介であることを思い出すことがなかったら、鷹宮は才川の思惑どおり、奴の望むような人格に矯正(きょうせい)される結末を避けられなかっただろう。上位世界で生きた記憶や、この世界で俺と語り合った記憶も全部なくしてしまうのだ。

 鷹宮の身になってそう考えると、恐怖や心細さを感じるのも無理はないだろうと思う。自分が自分でなくなるかもしれないという、差し迫った生々しい恐怖は、俺だって共感できるつもりだった。


「今の俺が、本当にハルキの知っている俺かどうかって話だったよな」

「あ? ああ」


「正確にいうと、完全に同じじゃない。上書きされてる分、違う人間になってる」

「ま、まあそうか。でも、鷹宮は鷹宮だろ? 俺には鷹宮らしく見えるぞ?」


 生き続け、経験を蓄積していく以上、人は誰しも昔と同じままではいられない。

 俺は鷹宮の話をそういうふうに解釈し、勇気づけようとする。


「記憶はあるんだ。全部な。その……全部ってのが問題だ。今回の世界で鷹宮遥香として過ごした時間も含めて全部だ。この意味が分かるか?」


 俺は、ついさっきまでのネアカでツンデレな鷹宮の様子を想い起こす。

 自分がそうだったときの記憶が完璧に残っているのならと考え、「お前、やっぱり俺のこと好きだった?」という野暮(ヤボ)い質問をぶつけてみたい衝動に駆られたが……。いや、さすがにそれはデリカシーがなさ過ぎるだろう。自重だ自重。自重しろ俺。


「う、うん。たぶんな」


 別のことに気を取られていたこともあり、俺はなんとなくの流れで深く考えずに肯定してしまう。だが、その杜撰(ずさん)な相槌が鷹宮の繊細な部分を逆撫(さかな)でしてしまったらしかった。 


「い、いいぃや、分かってないね。絶対!」


 鷹宮は急に興奮を強め、一気に()くし立て始める。

 少なくとも俺が先程おどけて口にしかけた質問を自重した判断は正しかったらしい。実際のところ、当の鷹宮はそれどころではないようだった。


「これはなあ、実際に経験しないと分かりっこない。分かって堪るか。このムズムズする感じ。精神というか、感情がっ、記憶に……引っ張られるんだ。自分がっ……、自分の境界が、溶けて混ざって分からなくなる。

 上書きされてた記憶を思い出せさえすれば、それ以前の人格に戻るなんて単純なものじゃない。付け加えられた記憶が、無理矢理思考に入り込んできて自分の居場所を主張し始めるんだ。不可逆なんだよ。やっぱりこれは、この世にあっちゃいけない技術だ。ヤバ過ぎる。非人道的過ぎる。絶対ダメだ」

「う、うん……」


 俺は一周前の鷹宮のことを思い出す。自分のことを他人の脳を繋ぎ合わせた存在ではないかという妄想を抱き、青褪(あおざ)めていた、あのときのことを。

 今にして思えば、あれも(あなが)ち的外れな妄執とも言い切れなかったのだなと思う。

 あのときの鷹宮は記憶を失くしながらも、自分というものが作り変えられていく恐怖を潜在的に嗅ぎ取っていたということなのかもしれない。


「分かったよ。もう絶対に失敗できないミッションだってことは。だから落ち着いて、どうやって才川の野郎を出し抜くかって話をしようぜ?」


 俺は鷹宮に背中を向けたままの姿勢でどうにかなだめすかそうと努めた。


「さっき手を振ったり、足踏みみたいにしてたのはコンソールをいじってたってことでいいんだよな?」

「あ、ああ……」


「ログアウトも? できそうなのか?」

「それはたぶん問題ない。問題は……」


「《出た直後に上位世界にいる才川と鉢合わせしないこと》か」

「ああ」


 それは以前にも二人で話し合ったことのある問題だった。

 才川がこの世界に終始ログインし続けているわけではないことは、これまでの鷹宮の観察によって明らかにされている。才川も才川で上位世界での社会生活があるからだ。

 問題は、才川がログアウトしているときに、どこで何をしているのか、仮想世界(ここ)からでは調べるすべが何もないということだった。


 現実世界の日付はおろか、今が昼なのか夜なのかさえ分からない。

 上位世界の話なのでその点に関して俺はどうにもしてやれないし、今の鷹宮にとってもそれは同じである。だが、可能な限り情報を収集し、備えをしておけば、多少なりとも才川を出し抜く確率は高められるはずだった。

 まあ、それ以外に有効な手立てがないのを無理矢理ポジティブに言い換えただけとも言えるが。


「前回の最後は覚えてるか? 3月30日の話だ」


 即時二周目が始まったとすると、今日はあの日から141日後にあたる。

 五分の一の速さで動いている現実世界では28日と4.8時間後ということになるが、果たしてこんな計算に意味はあるのだろうか。


「ああ。しくじったな、あれは。才川の奴、意外と抜け目がなかった。いや、考えてみりゃ当然なんだ。次の周回に入る前にどれぐらい人格が定着してるかを評価するために直接確認しに来たんだろう。

 アイツ、突然部屋に入ってきたと思ったらヤケに激昂してた。たぶん昭島から入手したんだろうが。例のあれだ。俺が、《お前に卵焼き食わせてるのを隠し撮りしたあの動画》を持って、訳の分からんことを散々(わめ)いてた」

「は……、はあっ⁉」


 まさか、あの動画が嫉妬の引き金だったと?

 情けないやら恥ずかしいやら。あるいはそこに、あの才川に対する一抹の優越感めいた感情も混じっているようでもあり、俺としては実に複雑な心境である。


「うん。まあ、しくじったといえば俺もそうだ。鷹宮から連絡をもらったあと、一人で鷹宮邸に乗り込もうとしたんだが知ってるか? 待ち構えてた才川と奴のボディガードみたいな連中にこっぴどくボコられてなあ」


「会ったのか? 奴と」

「ああ、聞いてたとおり、粘着質の気持ち悪い奴だった」


 それからしばし、俺たちは情報を交換しながら才川に対するムカつきと嫌悪感についてしばし意気投合する。



「──すまん。お前に電話したのは軽率だったな。なんとか携帯を見つけて操作してたんだが、途中で見つかっちまった。携帯を取り上げられた後のことは全く記憶がない。それからずっとタイムアップまで薬か何かで眠らされてたらしい」


 その辺は大体俺の想像していたとおりだった。


「寝ている間にこの身体を使って何をされたか想像すると酷く気が滅入るが……」


 俺だってその辺は想像したくない。


「しかしそうか……。その様子ならやはりまだ、あいつは俺が記憶を取り戻したことに気付いてないと考えてよさそうだな」

「それに、俺が記憶を保ったままこの世界を周回してることもな」


 その一点だけが、俺たちが才川に対して持つアドバンテージだった。

 無力を装い、死ぬほど痛い思いをしてまで守り抜いた甲斐もあろうというものだ。

 まあ実際、俺は無力で、危うく死にかけたのも本当で、才川は単なる嫉妬心で俺を痛めつけていただけだったのだが……。


 二人で情報をやり取りをしている間に、鷹宮はすっかり冷静さを取り戻したようだった。先ほどから俺の背中に向かって何やらしきりに手をヒラヒラと動かす気配がする。きっと、そうやってコンソールを操作し、調べものでもしているのだろう。


「他にはどうだ? どんなことでも気付いたことがあれば教えてくれ」

「ん、うん……。そうだな。あるぞ。才川の動きと関係あるかは分からないんだが、鷹宮が記憶を取り戻したら、絶対に訊こうと思ってたことがある」


「ほう?」

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