▽8月19日 プールデート(1)
「おっ、来たぜぇハルキィ」
熱のこもった矢部の声で振り向くと、プールサイドの人混みを縫いながら水着姿の鷹宮がこちらに歩いて来るのが見えた。
澤井と吉野の二人に挟まれて歩く姿はどことなく奈津森とダブるものがある。
《まだ記憶を取り戻せていない鷹宮》をこのプールに誘うのは相当難儀するだろうと覚悟していたのだが、意外なことに彼女はそれほど抵抗することなく今日の誘いに乗ってきた。正確には俺が直接鷹宮を誘ったのではなく、澤井を通じて打診し、今日という日をお膳立てしてもらったのだが。
《二周目の鷹宮》は、一周目と同じく国府祐介としての記憶を失っているという状況にありながら、一周目で俺が最初に接触したときの鷹宮とは明らかに様子が違っていた。
転校してきたばかりの頃は緊張していたせいもあり多少分かりづらい面もあったが、澤井たちクラスメイトと打ち解けてからはその傾向がハッキリした。
今回の鷹宮は、自分が転校してきた理由を周囲にすんなり話し、すっかりクラスに溶け込んでいる。元いた学校でガラスを叩き割るようなこともしていない。転校の理由は、鷹宮女学院の校風を息苦しく感じ、養父に頼み込んで敢えて遠くにある男女共学の高校に転校させてもらったからだと説明されていた。
なんともあの鷹宮らしからぬ社交性ではないか。
驚くべきことではあるが、この変わりようは以前鷹宮自身が話していた予想とも合致していた。
もともと男である国府祐介の人格をいきなり女性である鷹宮遥香の人格で〈上書き〉しても乖離が大き過ぎるため馴染みにくいが、〈上書き〉を複数回施すことで、より自然に、より女性らしい人格が形成されるようになっていくのではないかと予想されていたのである。
「おい、あんま露骨にジロジロ見んなし。金取んぞー」
「揉ましてくれんなら金払ってもいいぜ俺」
「うぅわ最っ悪」
周囲では満を持して登場した水着姿の女性陣に対し、男連中が異様なテンションで盛り上がりを見せていた。特にミノ先輩から昭島へのモーションが激しく、それに釣られて他の野郎どもも盛んに女子の水着やプロポーションを褒めそやす流れになっている。
ちなみに、《この周回では例の3対3の水族館デートイベントは発生していない》ので、前回ミノ先輩が頑張って上げた昭島の好感度はきれいにリセットされている。
俺の目の前では、塩対応の昭島に対し、ミノ先輩がめげずにアタックしまくるという図式が再び繰り返されていた。
同じ一年間を周回している身としてはそういった人間関係の把握がややこしく、心情的にも複雑であった。望むと望まざるとに関わらず、身の回りの人間が何を考え、どんな言動をみせるのかが分かるようになってくる。他人の心を勝手に覗き見しているような後ろめたい気分にさせられるのだ。
俺が何を言うか、あるいは言わないかによって、覗き見どころか、それぞれのその後の行動や考え方をコントロールできるようにすらなってしまう。
かつての俺が周回を繰り返すうち、矢部たちと意図的に疎遠になろうと努めた理由がそれだった。
「ほらほら、ハルキはなんかないの? せっかく遥香がカワイイの選んできたんだよ?」
「ホントだよ。ハルキのリクエストでプールなのに」
ニマニマと笑う澤井と吉野の二人に押されて鷹宮が俺の目の前に立った。
「別にぃ? あんたに見せるために着てきたわけじゃないんだけど」
結んだ髪の付け根を指で弄りながら、あらぬ方向に視線を泳がせる鷹宮。
本人は否定しているが、どうやらこの流れは俺が何かしらの感想を言わねば収まらない感じだ。
しかし念願の鷹宮の水着姿が目の前にあるというのに、俺はそれを直視できずに、チラチラと盗み見るようにするのがやっとだった。
《あれだけ水着になるのを嫌がっていたはずの鷹宮が》、今日身に着けているのは肌の露出が激しいビキニタイプの水着なのである。
上下ともに蛍光オレンジの素材が目に眩しい。バストのボリュームこそ澤井に及ばないものの、細い腕や小さな肩幅との対比で、小振りながらも形の良い胸の隆起は十二分の破壊力を秘めていた。惜しげもなく大胆に晒されたウエストは、完璧に加工されたグラビアアイドルの写真のように真っ白で瑞々しく、それが惚れ惚れするような流麗な曲線を形作っている。キュッと上がったヒップラインへと至る腰のくびれ。股下に広がる魅惑的な太腿の隙間も実に艶めかしい。
これは、自分のスタイルに絶対的な自信のある者にしか着られない水着だ。
男に見られることを前提とし、着用する女子としての気概を感じさせるチョイスである。会話のノリとか関係なしに、これを目の前にして褒めずにいるのは失礼というものだろう。
だが、そのことを了解しながらも俺は、それを着ているのがあの鷹宮であるという違和感と申し訳なさによって、気の利いた返しがまるで言えないでいた。
俺の中で鷹宮とは、美少女の形に男の精神という二律背反を内包し、それが分かち難い無二の個性として確立された存在なのである。
そういう前提で、曲がりなりにも半年以上気心を通わせた相手であるのだから、その彼が嫌がっていた姿を無断で拝見することには、ある種の裏切りのような後ろめたさを抱いてしまうのだった。
「な、何か言いなさいよ」
沈黙に耐えかねて鷹宮が俺に迫る。
そうだ。そうだった。
鷹宮のその言葉で俺は再び気付かされる。
目の前にいるこの少女は俺がよく知る鷹宮ではない。俺が以前の鷹宮に対し、どのような想いを抱いていたかなど何ら知る由のない別の鷹宮だ。俺の中の葛藤はさておき、そのせいで邪険にしては今の彼女に申し訳ないではないか。
「……綺麗だ」
口に出した途端、自分の顏がカッと赤らむのを感じた。まるで昭和映画の二枚目俳優が口にしそうな無骨な台詞である。
周囲ではすかさずヒューッと野郎連中の囃し声が飛び交う。
ちなみに、仲間うちで認識される今の俺たち二人の間柄は『ほぼ恋人同士』。
俺が鷹宮に惚れているのは完全に確定で、言い寄られている鷹宮の方もまんざらではなく、両想いがみえみえの二人。なのに鷹宮のツンデレが祟り、付き合い始める寸前の初々しい関係が続いているという見立てであった。
彼らにとって、これほどいじり甲斐のある玩具もないだろう。
「て、適当に言ってるんじゃない? ちゃんと見てから褒めなさいよ」
「いや、んなことないって」
本当は気が咎めるほどにチラチラ見まくっているのだが、鷹宮の方も俺と目を合わせようとしないので、俺がそうやって盗み見ていることはあまり分かっていないようだ。
中坊同士のようなウブウブしいやり取り。
冷静に考えると、男同士で一体何をモジモジやってるんだという気持ちになる。
周囲のニヤニヤ笑いや囃し声が絶えないことも俺の羞恥心を余計に煽っていた。
「じゃ、じゃあっ、どこが、どういいのか詳しく言ってみてよ。ほら、もっとちゃんと見ていいから」
周囲の雰囲気に乗せられたのか、鷹宮がムキになって俺に詰め寄る。目を横に逸らすのをやめ、真っ直ぐ俺の方に詰め寄ってくるので、俺も鷹宮と正面を張って向かい合う羽目になる。
「ち、近いって。あんま近付くなよ。勃つだろ?」
「タツ? ……なに?」
「あ、ハルキ馬鹿。お嬢相手にぃ」
「勃つっつったらなー。ナニだよなあぁ?」
「あー実は俺もさっきからずっとやべーぜ。ハルキ良くぞ言ってくれたわ」
鷹宮は最初、本当に何も分かっていないようなキョトンとした顔つきだったが、周囲の反応を聞くにつれ、視線が徐々に下がり、俺の下腹部の辺りでそれが止まった。そして見る間に顔が赤らんでいく。
「ばっ、馬鹿! 変態!」
自分からちゃんと見ろと迫っておきながら、正直な感想を述べた途端変態呼ばわりとはなかなかの理不尽。
鷹宮はお手本のようなツンデレの流儀で言い捨てると、さっと向きを変えて遠くへ走り去ってしまった。
「あっ、待ちなって遥香。今日は頑張るって言ったじゃーん」
澤井と吉野、それに昭島も一緒になってそれを追いかける。
テテテと小股で走る鷹宮の後ろ姿を見送る俺。
あーあ、という落胆の声を上げる矢部たちを、俺は片っ端からどついたり、蹴飛ばしたりしてプールへと叩き込んだ。
そうして一人残った俺は手をかざしながら視線を空に向ける。
今日で間違いなかったよなあ、と心配になるほど、日光がギンギンに射す真夏の青空である。
時折ゴウと吹き過ぎる強風が予兆といえば予兆か。
本当にこれから豪雨となってこの場所に〈グリッチ〉が出現するかどうかも不安であるが、今の俺にとってもっと不安なのは、あの状態の鷹宮を〈グリッチ〉に連れ込んだとして、果たして首尾よく記憶を取り戻させ、外の世界に送り出せるのだろうかという問題だった。




