◆7月27日 水族館デート(2)
ミノ先輩は当初の俺の見立てに反し、かなり善戦しているように見えた。
最初取り付く島もなかった昭島の態度は明らかに軟化し、今ではミノ先輩からの問い掛けに対してちゃんと応答する。会話になっている。そればかりか、テンポよく相槌さえ打っているようだ。
「じゃあ、もっかい確認しまーす。由里亜ちゃん、来週は俺と二人でデートしてくれますか?」
調子付き、頃合いと見たのか、ミノ先輩が落としに掛かる言葉を繰り出した。
だが、それまで和やかに見えた昭島の態度はその言葉で一変する。
「いえ。それはお断りします」
淡泊で事務的な、会社の受付嬢か社長秘書などをイメージさせる彼女の口調。片手でクイッと眼鏡を上げる仕草を加えて駄目押しまでする徹底ぶりである。
「あちゃー、まだ駄目かー」
間を置かずに返されるおどけた台詞。断られてもまだまだチャンスはあると見ているミノ先輩の意気は衰えない。
きっと今のようなフリを今日一日かけて何度も繰り返していくつもりなのだろう。漫才のように、型にはまった二人のお約束のような会話の流れを作って距離感を詰める。ある程度の好感度がないと成立しないだろうが、そういう手管のナンパは以前にも見たことがあった。
「どしても駄目ー? 俺たち結構気ぃ合うと思うんだけど?」
「そうですね。このようにお話をすることは、楽しいです」
「おっ? おお、よっしゃあ! じゃあじゃあ、何が問題? 恋愛抜きでいく? 最初はそれでもいいよ? 俺」
「……いえ。お付き合いする気もないのに、気をもたせるようにするのは誠実ではないと、私はそう考えておりますので」
昭島はそう言ったあと、何故か俺に向かって意味深に目線を上げた。
今のは何かの当て付けだろうか。俺に対してのものであれば全く思い当たる節はない。あるいは単にミノ先輩と目を合わせづらくて視線を泳がせただけかもしれないが。
「手厳しー。でもさあ、分かんないじゃん。最初は友達同士でも、長く付き合ってる間に異性として意識するかもしれないじゃん?」
そうだそうだと俺は内心大きく頷く。
「あり得ません。絶対に」
「は~弱ったなあ。でもなんか、今ので由里亜ちゃんの根っ子つかんだ気ぃするわ」
ミノ先輩の言うとおりだ。俺も昭島の今の一連の物言いには何か引っ掛かるものを感じていた。根っ子というか、彼女が明確に交際を断る、あり得ないと言い切るだけの理由を、きっと彼女は持っている。むしろ、その先を訊いて欲しいと思っている。彼女の口振りや表情からはそんな雰囲気が感じ取れた。
まさか昭島まで、自分は本当は男なんだと言い出したりはしないだろうなと身構えながら、俺はいっそう二人の会話に集中する。
「詳しいわけ話せる? まずは、お互いの問題を分かったうえでさぁ。そっからじゃない?」
「そうですね。誠実に参りましょう」
昭島がうつむき気味だった首を再びもたげさせた。
……なんだ? 明らかにこっちを見たぞ?
「私には以前からずっとお慕いしている人がいるのです」
「それ……、俺の知ってる人? 同じ学校にいる?」
ミノ先輩までもが俺の方を見た。細められたミノ先輩の目はかなり据わって見えて、正直怖い。
まさか俺のことじゃないでしょ?
と、とぼけるつもりで後ろを振り返った途端、俺は驚いて声を上げそうになる。
長椅子に座る俺の真後ろに、いつの間にか鷹宮がひっそりと佇んでいたのだ。
その鷹宮と昭島の視線が交錯しているのを見て、ああ、そういうことだったのかと合点がいった。さっきから昭島は、俺ではなく、後ろの鷹宮を意識して話していたのだ。
だがそれでも、次に昭島の口から告げられた、彼女が慕っているという相手の名前は、さらに意外過ぎて、とても俺の予想が及ぶところではなかった。
「ご存知でしょうか? 鷹宮道実様とおっしゃいます。わたくしどもがお仕えする、鷹宮家のご当主様です」
昭島の重々しく、しかし少々芝居がかった口振りによってミノ先輩も状況を察したようだった。隣に座る昭島と、長椅子を挟んで向かいに立つ鷹宮の顔を交互に見比べる。
「はぁ、参ったな。鷹宮って……、へぇー。確かに俺なんかじゃ敵わなさそうな相手だけど。……いや、でもさ。結構な歳の差なんじゃないの? いくら由里亜ちゃんが本気だったとしてもさ。普通は相手にしてもらえないっつーか」
とっさに出た言い返しにしてもなかなかに遠慮のない指摘だ。だが、脅威の粘り腰というか、本当にめげない、ひた向きな人だな……、このミノ先輩って人は。
「ご心配なく。すでに内々にお約束をいただいておりますから。私が高校を卒業した暁にはすぐにでも籍を入れる運びです。……ですから、貴方とのお付き合いはあり得ないと申し上げたのです」
自分で切り出した話題だというのに昭島は、話している途中からみるみる顔を紅潮させてソワソワしだす。
なんと傍迷惑なことか。俺は持ち前の鋭敏な観察眼と洞察力のせいで共感性羞恥というものをたっぷり味わう羽目になった。
もともとこんな場所で告白するつもりのなかった話を、勢いに任せて語り始めたのはいいが、口に出している途中で思いのほか居た堪れなくなった……。そんなところだろう。
まあしかし、考えてみれば、しっかりしているように見えても中身はたかだか高校二年の女子である。
鷹宮家に存在するらしい複雑な家庭事情について、完全な部外者を自認する俺はすぐに落ち着きを取り戻し、こんな年頃の女子相手に道理に適った振る舞いを期待するのは酷だよなあなどと、すこぶる冷静に分析し始めていた。
そして次に、鷹宮は昭島のこのカミングアウトをどんな気持ちで聞いたのだろうかと気になって振り返る。
果たして、鷹宮はまったくの無表情でそこに立ち尽くしていた。
驚きで身動ぎできなくなっている……という感じではないな。と俺はそれを見た瞬間に感じ取る。
驚きとか、憤りとか、その種の感情の揺らぎがまるで見られない。俺の知る、いつもどおりの鷹宮だった。より正確にいうなら、俺と二人きりでいるとき以外の鷹宮である。
鷹宮は、俺が見ていることに気付くとすぐにこちらへ視線を投げ返した。
いや俺に構ってる場合じゃないだろ、昭島に何か言ってやれよと思うが、鷹宮はそんな俺に向けて軽く首をひねってみせるだけ。
これは何も贔屓で擁護するわけではないのだが、俺が思うに、そのときの鷹宮には決して煽る意図や、そう受け取られる自覚などはなかったと思う。
だが昭島はそんな鷹宮を見て、一方的に傷付けられたとでも言わんばかりに表情を崩す。顔を赤くしたまま、すっくと立ち上がり足早に歩き去ってしまう。監視や護衛の対象であるはずの鷹宮を置いて。
「あー、ちょっと由里亜ちゃん?」
すぐにミノ先輩が後を追ったが、真っ直ぐ女性用の手洗いに逃げ込まれては成すすべがない。
ミノ先輩は入口の手前で立ち止まり俺たちの方を振り返った。
「……行けよ。たぶん顔合わせづらいだろうし。俺ぁここで由里亜ちゃん待ってるわ」
「すんません。よろしくお願いします」
俺はミノ先輩に対する好感度を幾倍にも上げながら頭を下げ、鷹宮と一緒にその場を離れることとなった。