第三話 Mさん
俺は鴻悠真。大学3年の医大生だ。
黒いバケモノと化した患者の男の子に襲われかけた所、「Mさん」と名乗る謎の男が現れ、そして助けられた。
風の如く現れたその男は、肩に羽織った黒い羽織をなびかせて和服と軍服を掛け合わせたような異様な服装をしている。まるで絵から飛び出てきたような色男だった。
ニヤッと微笑むMさんとバケモノは隙を見せ不覚を取られないよう距離を取りつつ、睨み合っている。
この最悪の状況下でもなお、Mさんという男は楽しそうにニコニコと笑っていて余裕すら感じられる。
一瞬ギラリと男の左手に持っている槍が鈍く輝いたように見えた。
「ハァハァハァ…………………。いいね、いいねぇ………………………!最高だよ……………………………………………………!!
その牙で噛み千切られたら、一体どんな光景が待っているのだろうね……………………………。
はぁ……………………。想像しただけで興奮してきたよ。」
(「は!?この人何言ってんの!馬鹿じゃないの!?」)
蛇のようにねっとりと絡みつくような口調でそう言った。
俺の背筋にゾワァッと、とてつもなく気持ちの悪い悪寒が走る。
変態発言にゾッとしたのか。それともこの人の圧倒的なオーラに腰が抜けてしまったのか。
初めて味わった悪寒だった。
(「いや。もしかしたら、相手を挑発して隙が出来たところで攻撃を仕掛けるのかもしれない。」)
冷静になって考えたいことが山ほどあるが、とりあえず目の前の事に集中しよう。と呼吸を改める。
しかし、今日は一体何なんだ。災難続きにも程がある。現実的にあり得ないことが起き過ぎだ。
これは悪夢なのではと思い頬をつねってみたが、痛かった。間違いなく現実だ。残念なことに。
信じたくはないけれど。夢であってほしいと思うけれど。
「さあ、ワンちゃん。おいで……………………。僕を食らって、君の血肉とするがいい……………………………………!」
両腕を大きく広げ、僕の胸の中に飛び込んでおいで。と言わんばかりに頬を赤らめ嬉しそうにバケモノがこちらに来るのを待ちわびている。
(「何やってんだよ!あの人は……………………………………!!癇に障るような真似をしてどうするんだよ!!」)
『…………………!!ドイツモコイツモボクヲ馬鹿ニシヤガッテ…………………………!!!!ゼンイン殺シテヤル…………………………………………………………………!!!!!!』
「!!!!」
怒り狂ったバケモノがこっちに襲い掛かってきた。
鋭い爪でMさんを引き裂こうとする動作を見せる。
だが避けるような素振りは一切しないで、ただただニッコリと笑っているだけ。
(「あの人、このままだと確実に死ぬぞ………………!!」)
「馬鹿!!避けろ!!!」
「フフッ」
俺がそう叫ぶとMさんの周りから銀色に輝く風が発生し、バケモノを高く舞い上げ地面にたたき落とした。
尚且つ俺やMさんを守るように、銀色の風が俺たちを包み込む。
「月華戀 【無常の風】 」
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!!!!!!!』
全身にビリビリと伝わってくる程の、痛みと苦しみの混ざったような哀しい咆哮が響き渡った。
だがそのバケモノの咆哮は何となく、子供が駄々をこねているような気がした。
そして「助けて」と言っているような。
さっきの攻撃はどうやらMさんが仕掛けたらしい。
槍を使って攻撃したわけではなさそうなのに、いつの間にかバケモノが吹き飛んで行ったのだ。
(「魔法使いなのか、この人は………………………」)
俺が驚いてただ唖然と立ち尽くす間に、Mさんいつの間にかバケモノの懐に入り込み、
槍でもう一撃加え、バケモノの胴を貫く。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!!!!!!!!!』
すると突き刺した所から、黒い霧が漏れ出している。
少し弱体化したように見えた。
『ボクハ…………ボクハボクハボクハボクハ!!絶対二許サナイ!!!アイツラヲ………………………………。
アノ医者モ、コンナ体二産ンダ親モ、幸セソウニシテル奴モ、ボクノ邪魔ヲスル奴モ……………………………………!!!!復讐シテヤル………復讐シテヤル…………………復讐シテヤル……………………………………!!!!!!!』
「うーん。中々しぶとい子だね。恨みの力は相変わらず凄いなぁ。」
うんうん、と腕を組んで感心しているMさん。
「感心してる場合じゃないだろ!早く逃げろ!!」
「おや。自分の身よりも他人の僕を心配するとは。流石は医者の卵だね。だが少年、僕は大丈夫だ。
どんな痛みも罵詈雑言も、僕にとってはご褒美でしかないのだから!」
「……………………………………………………。」
「うわっ」と心の中で絶叫した俺がいた。
そして、こいつは別の意味でもヤバい奴だとよく分かった。
結論、正真正銘の【変態】。
俺はつい一歩引き下がってしまった。バケモノより怖いかもしれない。
「あ、でもやっぱり、痛めつけられたり罵られたりするなら、断然女性の方がいいなぁ~。女性ならどんな年齢層でもウェルカムだよ!あぁ、滾る……………………!」
「何がっ!!てか滾るな!!」
「少年、中々キレの良いツッコミをするね!聞いててこっちも気持ちが良いよ。」
「そんな名誉はいらん!!」
俺と変態野郎はやいやいとツッコミとボケを繰り広げる。
勝手に放っておかれたバケモノは苛ついたようで、
『ボクヲ無視スルナーーーーーーー!!!!!!!!』と奇声を上げた。
「落ち着き給え、怨魂君!僕はこれからこのムッツリ少年に急ぎあの快楽の素晴らしさを教えねばならなくなった。だからちょっと待ってておくれ。」
「知りたくないわっ!!!!」
『ブッ殺ス!!!!』
バケモノと同時に反感した。
こんなしょうもないボロをそれ以上出さないでくれ………………!
しかもよりによってこんな残念な話に限って、どうしてそんなに今までかつてない真剣な顔してるんだよ……………………………………!!
聞いてるこっちが恥ずかしいから、もうやめてくれ……………………………………!!
(「ちょっとこの変態を黙らせてやることはできないかな…………………。」)
俺はそう頭を悩ませていると、またバケモノが攻撃に転じようとしてきている。
今度は爪ではなく、バケモノの口からビームみたいなものを発射しようとしている。
『怨呼牙砲!!!!!!!!』
攻撃が発射された。
(「ああ。これは死んだな。確実に。」)
俺は攻撃が当たる瞬間まで目を見開き、体にグッと力を入れ、死ぬ覚悟をした。
「言葉ノ兼守 【言斬論】 」
俺たちの目の前で、攻撃と共にバケモノがバッサリと真っ二つに斬れた。
そして斬ったところから、白く輝く氷がバケモノを凍てつき氷漬けになる。
すると白く輝く氷は溶け崩れ、そこから元の姿に戻った男の子が出てきた。
彼は気を失っているようだ。
そしてその傍らに、Mさんと似たようなデザインの戦闘服を纏い黒の眼帯を付け、二振りの刀を持った女が立っていた。
とどめを刺したのは、あの女の人みたいだ。
しかしあの女の人、何処かで見たことある顔をしている。
するとMさんが彼女に呼びかけ、
「沙織ちゃーん!お疲れ様。君の刀捌きは相変わらず美しいねぇ。美しい女性に美しい刀……………………。
はぁ………こんな最高の組み合わせで斬り殺されたら、どんなに幸せなのだろう……………………………………。」
うっとりと頬を赤らめながら、また変態発言するMさん。
「…………………………………………。」
俺は「うわっ」とついつい心の声が漏れて声に出してしまったが、彼女は軽く会釈をして華麗にスルーした
。
しかしMさんは嬉しかったようで、ご満悦の顔で「最高…………沙織ちゃん…………………。」とグッドして言った。
彼女はMさんをスルーした後、男の子の元に駆け寄る。
そして俺も男の子の元に駆け寄った。
男の子はすっかり元の姿に戻り、彼に纏っていた黒い霧も何処かへ消えていた。
事態がひと段落してほっとしたのも束の間、男の子が苦しみ始めた。
呼吸は浅く、体温は冷たく青白い肌、光のない瞳。
医学勉強中の俺にさえ分かる。
この状態はかなりまずいと断言できるほどに。
しかももう一つ違和感があった。
「左足が…………………ない…………………………………!?」
体の隅々を確認しても、男の子から出血が見られるわけでも骨や内臓に損傷がある訳でもなさそうなのに、
どうしてこんな状態になってるんだ………………………!?
「どうしてこんな状態になってるのか。と思っているのだろう?少年。」
「!」
「あれはね、【代償】なのだよ。」
「代償……………………?」
「怨魂というさっきのバケモノになってしまう根源が、人間に神にも等しい強大な力を与える代わりに、その人の【何か】を代償として貰うのだよ。そして、その契約した人間の負の感情を怨魂たちの糧とし成長し、人間達に最悪の終焉を来たすのさ。」
「てことは、この子の【代償】は…………………。」
「【片足】ということになるね。」
「じゃあ、なんでこの子はこんなに衰弱してるんだよ?!」
「怨魂は、代償だけ得るのではないんだ。その人間の生命力………………つまりは【寿命】なんだ。」
「なっ!?そんな……………漫画みたいな話があってたまるかよ!」
「そんな御伽噺のようなことが、実際にあるのだよ。君も見ただろう。先程までの事柄を。」
「……………………………っ。」
俺はこの目であのバケモノやMさんたちの人間技じゃない攻撃を見てしまったから、否定をためらった。
これは本当は夢なのでは?悪夢でも見ているのではないのか?
信じざるを得ない状況下にいたが、信じたくはない自分もいる。
とにかく、今はそんなことはどうでもいい。
早くこの子を救急へ運ばなければ。手遅れになる前に。
一方女は男の子を抱き抱え、何とか意識を取り留めている男の子と何か話している。
「ハァ………、ハァ……………ッ、ハァ…………………………ヒュー、ヒュー……………………………………………、ねぇ、お姉、さん………………………………お姉さんが僕、を斬ってくれ、たんだよ、ね…………………………………………………?」
少し間を置いて女はコクリと頷いた。
「ぼく………………………………、何の、ために、産まれてきた、のか………………………………何のため、に生きて、るのか…………ね……、もう………………………………分から、なくなっちゃったん、だ………………………………………………………………。」
女は男の子の一言一言に、コクリ。コクリ。とゆっくり相槌をうつ。
「こん、な弱い体、でも………………………………ぼくにでき、ることが、ぼく、にしかできない、ことが……………………、きっとあるはず、だって…………………………………………。
でも、ね……………………分かってたんだ………………………ぼくの体じゃ、できないことが多すぎるって…………………………。
試してみても体が思い通りに動かなくて………………………。周りの人を見れば見るほど、自分が惨めで、かっこ悪くて、情けなくて……………………………………。何も、かも……………………、嫌になって…………………………………。」
「………………………………………………………うん。」
「あの医者、の言ってたこと、は、その通りだって…………………分かって、た。でも…………………、それを認めたくな、かった自分、も、いて…………………………。頭の、中が、グチャグチャに、なって………………………………。」
一度スウッと大きく息を吸って男の子は言った。
「もう………………生きてるのが………………………………………つらい、よ………………………………………。」
涙をポロポロと流し、心に留めていた感情がプツリと何かが切れたように、一気に溢れ出した。
嗚咽の声を出して、ただただ涙が溢れていた。
きっと彼は、自分が何をしたいのか。何を望んでるのか。分からなくなってしまったんだ。
医師の一言によって、一気に彼の未来像が崩れてしまったんだ。
そして男の子は衝撃的な事を口走った。
「お姉、さん……………おねが、い……………………………。ぼくを…………………………………殺、して………………………………。
もう……………………死に、たい………………………………………………。」
「!!」
その言葉に聞き捨てならなかった俺は、身を乗り出して男の子の手を握る。
「死にたいなんて馬鹿な事言うんじゃねぇよ!そんな事を言うのだけは、絶対に許さねぇ!お前はこれから絶対に幸せになるんだ、ならなきゃいけないんだ。今は苦しいかもしれない。死にたいって何度も思う時があるかもしれない。けど楽しいって思える事も、幸せだなって感じる時も必ず来る。
お前は絶対に幸せになれる。だって人間は、幸せになるために産まれてきたんだから。
幸せな事を何一つ感じることが出来ずに死ぬなんて………………………そんなの、お前自身が可哀そうじゃんか!」
「……………………ありが、とう……………………………。そんなこ、と…………言って、くれ、て…………………………。でも、もう、いいんだ……………………。体は…………こんな、だし……………………どっちみち、生きられる時間は、あと少しだったんだから………………………。」
「諦めるなよ………………!お前を助けられる方法も、生きられる可能性もいくらでもあるんだ!
怖くなったら、傍にいてやる……………………。寂しくなったらお前と話したり、ゲームしたりしてやる………………………………。だから、だから……………………そんな………………………………」
すると男の子は僅かな力で自嘲的にニコッと微笑んで
「………………お兄、さんが………………、ぼくの担当医だった、ら……………………こんな事には………………ならなかった、のかなぁ……………………………。」
「そんなことねぇよ…………。とにかくもう喋らなくていい!だから今すぐ救急に行って、治療してもらおう?
大丈夫。絶対助かるし、元気になれる。そんで、元気になったら一緒に遊んだりしてさぁ………………。」
するとMさんが俺の肩に手を置いて「少年。」と言って、真剣な顔で言った。
「少年。この子はだね、もう…………………………」
「あんた、これから何言おうとしてるんだよ。」
「この子の体は既にもう…………………………」
「さっきの調子はどうしたんだよ………………………!『この子はもう手遅れだ。』とでも言うつもりか?
そうだ!あんた達が使っていたようなすごい力でこの子の状態を治すことは出来ないのか?!」
「…………………残念だが、そのような力は持っていないんだ。そもそも、僕たちにそんな力があったとしてもこの子はもう…………。もう一度言うよ、少年。これは【代償】なんだ。彼が選んだ…………………望んだ道だ。」
「このまま死ねって言うのか…………………!?」
俺とMさんが言い合っていると女が口を開いた。
「………………………………分かった。あなたの、望む通りに。」
「おいっ?!あんたまで何言ってんだ!!」
俺は女が鞘に手をかける腕を強く掴み止める。
「あんた、これから自分が何しようとしてるのか分かってるのか?この子を『救う』ことじゃない。
この子のためにはならない。死んで楽になれるなんてのは間違ってる。」
そう俺が熱弁すると女はギッと睨み、華奢な腕で俺の掴んでいる手を振り払い、突き飛ばす。
「っつ!」
そして俺を突き飛ばした後、女は男の子に目線を戻した。
「ありがとう………………………………お姉さん………………………………。」
「………………………他に、してほしい、ことは………………………………?」
「………じゃあ…………………耳貸して………………………。」
女は男の言う通り耳を男の子の口元に近づける。
「………………………………………………………。分かった。他、には?」
「…………ぼくの、こと…………………………覚えててくれると……………………………うれしい………………な………………。
ゴボッ!!ガハアッ…………………!!!」
吐血をし始めた。
「血が…………!早く診てもらわないと!離せ、このっ……………………!!」
Mさんもとてつもない力で俺を押さえつける。
脚を蹴りつけても、腕に爪をたたせても、全く歯が立たない。
けれど俺は最後まで拘束を解こうと暴れ続けた。
「少年!君も一人の医者の卵ならば…………一人の男ならば、覚悟を決めたまえ。」
男の子がどんどん衰弱して、意識が遠のいてきている。
それと同時にまた黒い霧が発生し始めた。
「なっ………………!なんでまた………………………………!?」
「まずい。……………………………沙織ちゃん。」
「お……………………ねえ………………………………さ…………ん………………………………………………。」
すると女は大きく深呼吸をして、男の子の心臓に刀を突きつける。
「おいっ!!やめろっ!!!!」
俺はまた、失うのか?
自分の目の前で?
また後悔するのか?
そもそも、またって何だ。
何が「また」なんだ?
「っつ!!!」
頭がズキズキと痛む。
「………………………………あなたの事は、絶対に、忘れない。命に代えても、約束する。次生まれ変わったあなたが、どうか、幸せであることを、心から願う。」
『ヴオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアァ!!!!!!!!!!』
また黒い霧が男の子の体を蝕み、バケモノ化しようとしている。
『オ…………………………ネ、エ…………………………………サン………………………………………………………………』
女は覚悟を決めて、目を見開いた。
「言葉ノ兼守 【精魂天華 」
すると刀は光輝き、男の子を暖かく光る氷の結晶で包み、刀は男の子の心臓へ向かった。
「あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
すると男の子は満足そうな安心しきったような安らかな顔で、白い雪のような光の粒になって消えてしまった。
それと同時に、黒い霧も完全に消滅していったのだった。
そして俺の後悔の叫びが、部屋中に響き渡った記憶が只々頭の中でずっと巡っていた。




