満腹怪盗ヴォーノの気まぐれディナー 〜1輪のバラを添えて〜
リーン・・・ゴーン・・・
今宵も20時を報せる鐘の音が、街に響き渡るーーー
「こんなモノ、食べられるわけないでしょう!」
ステファーニアは目前の皿をひっくり返して、ヒステリックに叫んだ。
傍に控えていたシェフは、顔を青ざめて料理を下げる。
侯爵令嬢であるステファーニアは、自分にふさわしくないと判じた料理には一切口をつけなかった。
「おやおや、困ったお嬢さんだ。食べ物を粗末にしてはいけないよ」
突然、部屋に響いたよく通る声。
そこには、黒いマントを被った仮面の男がいた。
「誰よアナタ!?衛兵!侵入者よ!」
そう叫んだステファーニアの声に応える者はいなかった。
「ムダだよ。この屋敷の人達には、少し眠ってもらっている。はじめまして、私は怪盗ヴォーノ」
「怪盗?!この屋敷から財宝を盗むつもりね!」
「財宝?そんなもの、私にとってなんの価値もない」
仮面で隠されていない口元が、弧を描く。
「私が盗むのは、あなたの『空腹』だ。ステファーニア嬢」
「・・・言っている意味がわからないわ」
ステファーニアは困惑した。
「侯爵の庶子だったあなたは、8歳まで市井で暮らしていた。だが、本妻との間に子が出来なかった侯爵はあなたを引き取った」
「っなぜ、知っているの!」
侯爵のスキャンダルとも言えるその事実は、権力によって握りつぶされたはずなのに。
怪盗と名乗るその男は、なおも続ける。
「あなたの心も身も、満たされていない。だから、私は盗みに来た」
いつの間にか、怪盗の手には1つの皿がのっていた。
「あなたの『空腹』を満たす1品。さぁ、召し上がれ」
クロッシュが持ち上げられた瞬間、周りに広がる芳しい香り。
そこに現れたのは、ーーー1杯の野菜スープだった。
「ふざけているの!?わたくしがそんな貧相な料理をっ・・・。!!この、香りは・・・」
怪盗が彼女の前に皿を置くと、ステファーニアは、そのスープを凝視した。
震える手で匙を持ち、スープを口に運ぶ。
ーーーあぁ、なんて。懐かしい。
スープを口にしたステファーニアの瞳から涙がこぼれる。
「母さんの、野菜スープ・・・」
それは、引き離された実の母親が、昔よく作ってくれたスープの味だった。
ステファーニアは夢中でスープをたいらげ、心からの笑みを浮かべた。
盗みにはいられた者たちは、お腹も心も満たされ笑顔になり、現場に残されるのは、一輪の薔薇だけ。
後に人々はその奇妙な怪盗をこう呼んだ。『満腹怪盗ヴォーノ』と。