第7話
すっかり夜も更けたサンエルムの片隅にひっそりとたたずむ寂れたバー、「ブルー・アップル」では、フランヴェル嬢とガートンの2人が作戦の成功に祝杯をあげていた。 テーブルの上には先ほどのギャンブルで勝ち取った34万ペイン分の札束と、ガートンがカウンターの奥から持ち出してきたビール瓶が何本も並べられていた。
「ガハハハハハ!! 笑いが止まらねえぜ!! 一晩で30万ペインも稼げるとはな!! マルデルの野郎、ざまあみやがれってもんだ!!」
すっかり顔を赤くしたガートンが、大声で囃し立てながらテーブルを上機嫌で叩いた。 並べられたビール瓶がカチャカチャと音を立て、天井から吊り下げられたランプの灯が揺れる。
「ちょっと、あんまり大きな声を出さないでよ? 上で寝てるお爺さんが起きちゃうわ」
フランヴェル嬢は有頂天のガートンを窘めはするが、彼女も喜びを隠し切れずにいるようで、その口元は緩んだままだ。 ガートンに付き合って大分飲んでいるようで、顔色がすっかり赤くなっていた。
「フウ……それにしても、まさかこんなに上手くいくとはな。……我ながら、完璧な作戦だったな」
ひとしきり喜んだガートンは、にやけた顔のまま自画自賛を始めた。それを聞いて、フランヴェル嬢は少し眉を上げ不服そうに口を挟んだ。
「ちょっと、あなたは結局何もしてなかったじゃない」
「グッ……それはたまたまだろ? 俺だって、やつのイカサマを見破ってはいたさ。……そういえば、お前はいつイカサマのトリックに気付いたんだ?」
痛いところを突かれたガートンは、慌てて話題をそらした。 フランヴェル嬢は先ほどの出来事を思い出すように顎に指をあて、それからゆっくり話し始めた。
「そうね……あなたからイカサマをするってことを聞かされてたから、最初から色々警戒していたんだけど、気付いたのは手札を見たときね。だって、本来マルデルが引くはずだった手札にいきなりクイーンの4カードが揃っていたんですもの」
「なるほどなあ。 やっぱりおかしいと思ったんだ。ビギナーズラックにしちゃ出来すぎてるもんな」
「あら、あなたさっき気付いてたって言ってたじゃない」
ガートンが感心しているのを見て、フランヴェル嬢が鋭く指摘した。
「う、うるせえな。そんなことはいいんだよ。……それより、次のイカサマだ。アイツ、子分を使ってお前の手札を覗いてたろ?」
「ああ、あれね。最初から視線を不自然に動かしたりしていたからおかしいとは思っていたけど、何をしているのか気付いたのは3戦目の時ね」
「3戦目というと……マルデルが勝った試合か。確かに、えらく長い間悩むし、ずっと落ち着きがなかったから変だったんだよな」
「それに、私の顔じゃなくて、その奥を頻りに見ていたのよ。だから、4戦目は色々理由をつけて、あの人を遠ざけていたってわけ」
「はあ……ただワガママを言っていたわけじゃなかったんだな」
ガートンは納得したように呟くと、ジョッキに入ったビールを飲み干した。
「ちょっと、全然分かっていないじゃない。全く……」
フランヴェル嬢は少し呆れたように小さくため息をつくと、ビールのグラスを口に運んだ。
「まあまあ、それだけお前の演技が上出来だったってことさ。……いやあ、完璧に『生意気な良家のお嬢様』って感じだったぜ」
「あら、そうかしら?『 生意気な』っていうのが少し気になるけど……うふふ」
『お嬢様』という言葉に気を良くしたのか、フランヴェル嬢はニコニコ顔を浮かべた。一方、それを見ていたガートンは、ふと黙り込むと、急に酔いが回ったのかテーブルの一点に目を落とした。
「……どうかしたの?お水でも入れてきましょうか?」
フランヴェル嬢が心配そうに声をかける。 ガートンは俯いたまま、小さな声で返事をした。
「……あぁ、水もほしいが、毛布とか、何かかけるものを持ってきてくれねえか。……少し、冷えたみたいだ」
「まあ大変。2階にあるから、すぐに持ってきてあげるわ。 ちょっと待っていてね」
フランヴェル嬢は口元にパッと手をやると、立ち上がり、小走りでカウンターの奥の住居スペースに姿を消していった。 ガートンはフランヴェル嬢の背中を追うように見つめると、何か考え込むような表情を浮かべていた。
数分後、両手で毛布を抱えたフランヴェル嬢が再びバーに姿を現した。前がよく見えていないのか、はたまた酔いが回っているからなのか、少しフラフラしている。
「ごめんなさい、お爺さんを起こさないように、静かに運ぼうとしていたら少し時間がかかっちゃった。それと、お水も汲んできてあるんだけど、寒いんだったらお湯の方がいいんじゃないかしら。すぐに沸かせるから……あら?」
フランヴェル嬢が毛布を椅子の上に下ろして顔を上げると、そこには誰もいなかった。
「……もしかして、お手洗いかしら? でも、場所は教えていないし」
消えたガートンの行方を推理する。そして、眉をひそめると、不吉な予感を口にした。
「……店の前でされても困るのだけど…………一応様子を見に行った方がいいかしら」
外の様子を見に行こうか考えあぐねていると、不意に「ブルー・アップル」の扉が開き、満月に照らされた人影が中に入ってきた。
「全く、どこに行っていたの? 心配したわよ…………あら、あなたは……」
フランヴェル嬢が顔を上げると、そこに立っていたのはガートン、ではなく、マルデルとのポーカー勝負の際、フランヴェル嬢の背後に立ちマルデルにフランヴェル嬢の手札を教えていたスーツの男だった。さらにその背後から、同じくマルデルの配下と思われる男たちがぞろぞろと姿を現わしてきて、店内はたちまち屈強な男たちでいっぱいになった。
「……いらっしゃいませ。 『ブルー・アップル」へようこそ。 でも、あいにく今日は定休日なの。 お引き取り願えるかしら?」
「とぼけたって無駄だ。……悪いが、貴様の後を付けさせてもらったぞ。 まさか名家のお嬢様どころか、あの荒くれ者のガートンと繋がっていたとはな。……大人しく付いてきてもらおうか、マルデル様の下までな」
「……嫌だと言ったら?」
バキィッ!!
「調子に乗るなよ! クソガキが!」
スーツの男の後ろに控えていた大柄の男のうちの一人が、木製の椅子を思い切り蹴飛ばし吠えた。 年季の入った椅子はバラバラにはじけ飛び、足の部分が一本フランヴェル嬢の足元に転がってきた。
「おい、落ち着け。 勝手なことをするな。……いいかお嬢さん、1回は聞かなかったことにしてやる。 こちらとしてもできれば手荒な真似はしたくないのでな。だが、次我儘を言おうものなら……」
「あら、さっきは2回も我儘を聞いてくれたのに、少しの間に随分ケチになったのね」
フランヴェル嬢はからかうように言うと、口元に笑みを浮かべた。 スーツの男は一瞬大きく目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻しフッと息を吐いた。 しかし、彼のこめかみには青筋がピキピキと走っていた。
「……仕方がない。 後悔しても遅いぞ。……お前たち、かかれ! あの小娘をひっ捕らえろ!」
スーツの男の掛け声とともに、後ろに控えていた数人の男たちは一斉にフランヴェル嬢めがけて飛びかかった。
次回で第1章完結です!
更新は2/26を予定しております!