第3話
<注釈>
メルヴィユ皇国の法律では、10歳から飲酒が許可されています。 日本に住む読者の皆さんは、飲酒20歳になってから!
ガートンがフランヴェル嬢の執事になってから2日後の夜、『ブルー・アップル』とは対照的な明るく賑わったバーでは、2人のスーツ姿の男を連れている、でっぷりと太った男がテーブルの一席を陣取り豪華なディナーに舌鼓をうっていた。
男の名はマルデル・バンドン。数日前、ガートンにイカサマを仕掛け金を奪い、殴り飛ばされた男だ。
「マルデル様、怪我の具合はいかがですか?」
取り巻きの1人がマルデルに声をかける。ガートンに殴り飛ばされて以来、マルデルはクビに包帯を巻いており、ついさっき医者にかかってようやく外してきてもらったところなのだ。
「ああ、まだ痛むな。全く、あの暴力男めが。どうやら仕事をクビになったらしいが、この街で私に逆らったらどうなるか知らしめてやらんとな」
マルデルは首をさすりながら苦々しげに言うと、ステーキにフォークを突き刺した。
「ええ、どうやらまだ新しい職場は見つかっていないようです。この街を出て行くのも時間の問題でしょう」
「そうかそうか。そりゃあいい気味だ。……だが、金づるが1人消えたのは残念だな。あいつは単純で、実に嵌めやすいやつだった……」
部下の知らせを聞き、にんまりと笑みを浮かべながらステーキをほおばっていると、バーの扉が開き1人の少女が姿を現した。
若い女性が1人で訪れること自体、この店では珍しいことだったが、その少女が端正で気位の高そうな顔立ちで、またその若さに似合わぬ堂々としたオーラを纏っていたために、自然と他の客の目線はその少女に注がれた。そして、それはマルデルも例外ではなかった。
「……おや、今入って来た女、この辺じゃ見ない顔だな。 それに、実に優雅な身のこなしだ……いいとこのお嬢様と見たぞ……どれ、少し声をかけてみるか……」
少女のオーラから金の匂いを嗅ぎ取ったマルデルは小さく呟くと席を立ち、少女の座るカウンターに近づいて行った。 少女がマルデルに気付いて顔を上げると、丸々とした顔に愛想笑いを貼り付けて、明るい声で話しかけた。
「やあやあ、これは可愛らしいお嬢さん。この辺りじゃあ中々見ないお顔ですが、お一人で?」
少女は小さく会釈をすると、マルデルに親しげに笑いかけた。
「ええ、ちょっとね。 実は、侯爵家のパーティに呼んでいただいたのだけど、ちょっと飽きてきちゃって。こっそり抜け出してきたの」
侯爵家と言う単語を耳にした瞬間、マルデルの目がキラリと光り、口角がさらに上がった。
「なるほどなるほど、これはやんちゃなお嬢さんだ。いやいや、悪く言うわけではありませんぞ。 お嬢さんの気まぐれのおかげで今日こうして出会えることができたのですからね…………もしよろしければ、一杯奢らせてもらえませんか? この店はよく来るのでね、オススメのドリンクがあるんです。 お嬢さんはお酒は嗜まれるのですかな?」
「ええ、少しは……そうね……せっかくだし、頂こうかしら」
「ええ、ええ、そりゃあいい。さあさあ、こちらへいらっしゃい」
マルデルは上機嫌になってそう言うと、少女を自分のテーブルに案内し、テーブルの向かいへ座るよう促した。 テーブルで待っていた2人の男のうち1人が素早く椅子を引いた。 しかし、少女はすぐにテーブルには座らず、テーブルを囲むようにして立っているスーツの男たちを見て口を開いた。
「この人たちは……」
「ああ、この男たちは私の親愛なる付き人たちですよ。 決して怪しいもんではない。 さあ、こちらにお座りなさい」
「まあ、そうなのね。 失礼しましたわ。 それにしても、こんな素敵な方々を付き人に連れているなんて、あなたは何をされている方なの?」
少女は軽く頭を下げ、優雅な動作で腰を下ろすと、マルデルに興味を持ったような顔で質問した。 椅子を引いた男はそのまま一歩下がって、針金のように真っ直ぐと立っていた。
「私ですか? 私はこの街でカジノを経営しておりましてね……実はこの店の経営にも、一枚噛んでいるんですよ。 だからこの店に来れば私の飲みたい酒がいつでも置いてある。 今日は私のお気に入りの一杯を飲んでみてください……おい君、この前話していた蜂蜜酒を頼むよ」
そう言うと、マルデルは大袈裟な動作で指を鳴らし、付き人にドリンクを取りに行かせた。
「蜂蜜酒ね……私、飲んだことないのだけれど、甘いものは大好きよ」
「ハハハハハ、それは良かった! 蜂蜜酒にも甘口のものから辛口のものまで色々ありますが、今から出て来るのは濃厚な甘みが感じられる逸品ですぞ。それこそ本物の蜂蜜のような……おや、来た来た。さあ、召し上がってみて下さい」
マルデルが話しているうちに、厨房の奥から蜂蜜を入れるポッドをあしらったようなデザインのボトルと2つのグラスが運ばれて来た。マルデルは愛おしそうにボトルを眺めると、手に取りグラスに注いだ。グラスは黄金色の液体で満たされ、宝石のように輝いた。少女がグラスを手に取って軽く回すと、柔らかな甘い香りが辺りに広がった。
「綺麗な色ね。それに、とってもいい香り。まるで、お花畑に来たみたい」
マルデルは笑顔でその様子をじっと眺めながら、自慢の酒の薀蓄を並べ始めた。
「えぇ、えぇ、そうでしょう。何でも店主が知り合いの養蜂家から直接仕入れたみたいで、その中でも特に品質の良い蜂蜜を使っているというお話ですよ。私も好きでよく飲むんですが、健康にもいいのでね、ついつい飲み過ぎてしまう……おっと、話が長くなってしまいましたな。 年寄りの悪い癖です……それでは、今日の出会いに、乾杯!」
グラスが触れる軽い音が微かに響いた。それはこの騒がしい店内ではすぐに吸い込まれて消えていってしまいそうなものだったが、そのわずかな物音さえも聞き逃さぬよう、この席の会話に聞き耳を立てているものがいた。
(出会いに乾杯、だなんて、いい歳してキザな台詞吐きやがって。あいつもよく笑わずに聞いていられるな)
マルデルの死角になる方向の小さなテーブル席、そこを1人で陣取るガートンが、目深に被ったフードの奥から小声で2人のやりとりを貶していた。
(まあともかく、マルデルに接触するところまでは作戦通りに行ってるな。しかし、侯爵家のパーティだなんて、あんな大嘘を顔色ひとつ変えずに突き通すなんて、大した度胸だ。……だが、肝心なのはここからだ。この作戦がうまく行くかは全部お前にかかっているんだからな)
ガートンは心の中で呟くと、マルデルの向かいに座っている少女に視線を送った。
そう、その少女の正体は、何を隠そうフランヴェル・ジャン・エッドウォード嬢その人であった。
〜〜〜
時を遡ること2日前、フランヴェル嬢とガートンは、彼女が働くバーで金稼ぎの方法を話し合っていた。 自身の頭に閃いた名案に酔いしれているガートンを急かすように、フランヴェル嬢はガートンの腕を白く細い指で突いた。
「……それで、いい考えっていうのは何なのよ?」
「ああ、今話すよ……いいか、この街にはマルデルっていう成金野郎がいるんだ。そいつは大のギャンブル好きで、毎日レストランやバーをウロウロして、他の客相手にイカサマギャンブルを仕掛け、金を巻き上げてるんだ」
「ふうん。イカサマギャンブラーのマルデルね。その男がどうしたの?」
「まあ、実を言うとだな、俺も先日マルデルにポーカーに誘われたんだが、イカサマされて金をとられちまったというわけだ。その時にトラブって、仕事もクビになっちまったんだ。……ああ、思い出したら腹が立ってきたぜ」
ガートンは苦々しげな表情を浮かべ、握りこぶしテーブルを叩いた。 ジョッキに注がれたビールが跳ねる。 フランヴェル嬢は静かに話を聞いていたが、何かを察したのかゆっくりと口を開いた。
「……ちょっと待って。あなたまさか、その男にギャンブルを仕掛けようって言うんじゃないでしょうね」
「おお、察しがいいな。その通り。つまりだ、相手がイカサマを仕掛けてくるのが分かっているんだから、それを利用して逆にこっちがカモってやろうと言うわけだ」
「……正直、金を巻き上げられた仕返しをしようとしてるとしか思えないのだけど。」
ガートンが得意げに言うのを聞いて、フランヴェル嬢はジトッとした視線を向けた。
「な、何だよ、じゃあお前には何か良い案があるって言うのか?」
痛いところを突かれたガートンは、動揺してまくし立てた。
「うーん、そういうわけじゃないんだけど……」
「それじゃあ決まりだな。 いいか? まずお前がマルデルに接触して、賭けポーカーに持ち込むんだ」
いまいち納得がいっていない様子のフランヴェル嬢を置いて、ガートンは話を先に進めだす。
「ちょっと待って、私がギャンブルをするの?」
「何だよ? やったことないのか? ポーカー」
「いや、ポーカーならやったことはあるけど……あなたがもう一度やればいいじゃない」
明らかに作戦に乗り気じゃないフランヴェル嬢の提案を受け、ガートンは「まるで分かっちゃいない」と言うふうに頭を振った。
「いいか? さっきも言ったが、俺はこの前あいつとトラブルがあってな。 多分俺を見つけたら逃げ出すかつまみ出そうとするだろうな。 というわけで、ポーカーをするのは俺以外のやつじゃないといけない」
「はあ……ギャンブルで金を稼ごうなんて、あまりいい気はしないわね。それに、イカサマギャンブラーが私みたいな小娘相手にするかしら?」
フランヴェル嬢が深いため息をつく。一方、ガートンは自信満々で作戦を語り続けた。
「ああ、奴は金と女には目がないからな。お前が金持ちの貴族面してバーに入ってくれば、必ず声をかけてくるだろう。 なに、心配するな。 俺が変装して近くの席からマルデルの様子を探って、イカサマの攻略法を見つけて、お前に教えてやるから」
「なるほど、つまりまだイカサマの仕組みは解けていないってわけね?」
「イカサマをしてるってのは事実なんだ。だってよ、7回やって7回全部負けるなんてことがあるか?」
「……まあいいわ。 他にいい考えも思いつかないし、とにかくやってみるしかないわね」
「よっ、それでこそ伯爵令嬢だ。頼もしいぜ」
渋々ではあるが同意を得ることができたガートンは、笑顔を浮かべて身を乗り出し、フランヴェル嬢の肩をバシッと叩いた。 次の瞬間、オレンジジュースのグラスがひっくり返る音とフランヴェル嬢の悲鳴が「ブルー・アップル」に響き渡った。
〜〜〜
(そろそろ頃合いか……)
蜂蜜酒のボトルが空になり、フランヴェル嬢の頬がピンク色に染まり出した頃、ついにマルデルが本来の狙いを切り出した。
「お嬢さん、ここらで少し、年寄りの戯れに付き合ってはくれませんか?」
「戯れ? 一体なんですの?」
フランヴェル嬢がトロンとした目を向けた。 声の響きも先ほどより甘くなっている。
「なあに、ちょっとしたゲームですよ。先ほども少し話したかもしれませんが、私はカジノを経営しておりましてね。まあ、ギャンブルが好きなんです。生粋のギャンブラーというわけではありませんがな。よくバーで知り合った人にポーカーの相手になってもらったりしているんですよ」
「ギャンブルねえ。ポーカーならやったことはあるけど、大金をかけたゲームっていうのはやったことあないわ」
「いやいや!もちろん、そんな大金をかけろなんては言いませんよ。ほんの端金で構いません。大事なのは金額じゃなくてスリルですからな」
マルデルは大袈裟に指を振り、「スリル」の部分を強調して言った。 フランヴェル嬢は少し考えるように宙を見つめたが、すぐにマルデルに視線を戻して口を開いた。
「そうね……お酒もご馳走になったことだし、少しなら付き合ってあげるわ」
「ああ!ありがたい!嬉しい限りですよ。それじゃあ早速準備しましょうか」
マルデルは手を叩いて喜ぶと、テーブルの脇、マルデルとフランヴェルの間に立っていた男に言いつけて、トランプを用意させた。その様子を見て、ガートンは1人胸をなでおろしていた。
(ようやく始まるようだな。全く、いつまでもダラダラ喋りやがって。それにしてもフランのやつ、ちゃんと作戦を覚えているんだろうな?)
ガートンの心配をよそに、ついに2人の運命をかけた一戦が始まろうとしていた。
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