第2話
「あんたは、昨日路地裏で会った……」
ガートンの驚いた顔を見て、少女はクスクスと笑った。
「うふふ、こんなところで会うなんて、驚きね。 その様子じゃ、まだお仕事は決まってないみたいね」
「チッ、余計なお世話だ。 そんなことより、こんなところで何してるんだ? あんた、金持ちのお嬢様じゃなかったのかよ?」
「あら、私そんなこと言ったかしら?…… そうね、もしよかったら、このあと少しお話ししない? 今日はお客さんも少ないし、お爺さんに上がっていいか聞いてくるわ」
少女はとぼけた調子で言うと、呆気にとられた様子のガートンをその場に残し、カウンターまで戻って再びうたた寝を始めていたバーテンの爺さんを起こした。 バーテンは寝ぼけ眼をこすりながら少女に何事か言うと、大きな欠伸をして再び眠りに落ちて行った。 少女は少し呆れた表情をすると、ガートンに向けてウインクをし、厨房の奥に引っ込んで行った。
予想だにしなかった出来事に直面し、未だガートンの理解が追い付かないでいるうちに、少女はあっという間に昨日の服装に着替えて戻ってくると、オレンジジュースを片手に彼の向かいの席に腰かけた。
「やっぱり、お爺さんたら今日はあなたが帰ったら店じまいにするつもりだったわ。 もっとも、お客さんが少ない日なんかは大体こんな調子なんだけどね……でも、おかげでのんびりお話しできるわね」
「ああそうかい。 それはちょうどいい、あんたには聞きたいことがたくさんあるんだ。それで、結局あんたは何者なんだよ?」
ガートンは少女のおしゃべりを半ば聞き流しながら、兼ねてからの疑問をぶつけた。 お前は何者だ、なんて、随分と間抜けな質問だと彼自身思ったが、他の言葉で今浮かんでいる疑問を表現することはできなかった。
「そういえば、お互いに自己紹介がまだだったわね。 私の名前はフランヴェル・ジャン・エッドウォード。 ヴァンダイン地方を治めるエッドウォード伯爵家の一人娘よ」
少女はまさに貴族然とした調子で自身の出自を述べた。 その言葉の端からあふれる気品は、一瞬この空間を豪華なシャンデリアが飾られた広く明るい宮殿の客間に錯覚させた。 しかし、ガートンはすぐに現実に引き戻されると、ランプのぼんやりとした明かりの下で呆れた調子で首を振った。
「伯爵家の娘だと? ……おいおい、冗談きついぜ」
ガートンは少女の自己紹介を冗談と受け取ることにしたが、少女はそれを対して気に留める様子もなく、ガートンに声をかけた。
「それじゃあ、次はあなたの番よ。 お名前を教えてくださる?」
「はぁ? どうして俺が……チッ……おれはガートナー・ヒックハック。 周りにはガートンって呼ばれてる。 この街のレストランでコックをやってたが、2日前に客を殴り飛ばしてクビになったばかりだ」
ガートンは不機嫌そうに自己紹介を終えると、ビールをグイと喉に流し込んだ。 少女はガートンの不機嫌な様子など気に掛けることもなく、むしろガートンに興味を抱いたように続きを促した。
「まあ、コックさんだったのね。どんな料理が得意なのかしら?」
あくまでマイペースな少女との会話に、イライラが募ってきたガートンはたまらず声を荒げて言った。
「俺のことなんてどうでもいいんだよ! そろそろあんたの正体について聞かせてもらおうか。 言っておくが、俺はさっきの話だって信じちゃいないからな」
「まあ、私、嘘なんかついていないわ。一体どこが信じられないって言うの?」
「全部だよ! それじゃあどうして伯爵家の御令嬢がこんなボロいバーで働いているのか、納得のいく説明をしてもらおうか。 それにだ、昨日俺のことを執事として雇いたいとか言っていただろう。 あの件についても、詳しく説明してもらおうか」
ガートンはすっかり少女の身分を疑い徹底的に問い詰めるつもりでいたが、当の少女がまるで慌てた様子を見せないので、何とも言えない苛立ちが膨れ上がっていた。 少女はやはり落ち着いた様子で、オレンジジュースで口を濡らすと、ゆっくりした口調で話し始めた。
「ええ、いいわよ。 それじゃあ、エッドウォード家に起きた悲劇を聞かせてあげるわ……あれはそう、5年ほど前のことだったかしら……」
「おいおい、なるべく手短に頼むぞ。俺は気が短いんだ」
昔話が嫌いなガートンはテーブルを指でトントンと叩きながら、少女の話を急かす。 少女はいきなり話の腰を折られて少し機嫌を損ねた様子だった。
「全く、あなたが聞いてきたんじゃない……まあいいわ、簡単に言うと、ある男に家を乗っ取られたのよ」
「……何だって? おい、どういうことだ?」
ガートンの指の動きが止まり、一瞬店内が静寂に包まれる。 しかし、少女はガートンの動揺を一切気にかけることなく、スラスラと話を続けた。
「その男の名はハンチントン。 最初は行き倒れた旅人のフリをして私の家に訪れ、執事として働くようになったの。最初のうちは正体を隠して真面目に働いていたけど、すっかりみんなの信用を得た頃、ある晩ついに館に火を放ってね。私のお父様とお母様は殺され、私は人さらいに売り飛ばされたの……今ではあの男がエッドウォード家の資産を引き継いで、領家を支配しているらしいわ。 それで一方の私はというと、奴隷として売られた後、色んな家を転々としたり、逃げ出したりしながら今に至るっていうわけ」
「……はあ、まるで童話の世界の話だな。 それで、あんたはその悲劇のヒロインってわけか?」
ガートンはため息をついて今の話を振り返りながらビールを飲んだ。 すると、少女はその様子を見てクスクスと笑った。
「うふふ、あなたも中々メルヘンチックな例えをするのね」
「う、うるせえな……おい、そういえば肝心なところをまだ聞いてねーぞ。あんたの素性については分かったが、それがどうして俺を雇うって話につながるんだよ」
「ああ、それね。 実は私、これからヴァンダイン地方に旅立とうと思っているの。……もちろん、私の家を取り戻すためにね」
「はあ? まさか、さっきのトンチンカンとかいう男をやっつけようっていうのか?」
「当然でしょ? このまま一生奴に負けたままの人生なんて御免だわ。お父様とお母様の為にも、私がヴァンダインに戻ってエッドウォード家を再興するの。それが1番の供養だと思わない?」
ここまで話終えると、少女は一息ついてオレンジジュースを口にした。 ガートンはしばらく黙り込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほどな、あんたの考えはよく分かった。だがな、世の中そんな甘くないぜ。あんたみたいな口だけの小娘が、どうやって家を取り戻そうっていうんだ? ……それに、第一どうやってヴァンダインまで行くつもりなんだよ。ヴァンダインといや、確か王都を挟んでずっと西の方だろ? この国を丸々横断するつもりか? 途中で行き倒れになるのが関の山だぞ……」
ガートンは呆れた調子で少女の話を一蹴すると、ビールをグイと喉に流し込んだ。しかし、次の瞬間ふと思い出したように目を見開き、再び少女に問いかけた。
「……ん? それで、どうしてヴァンダインに行くっていう話が執事を雇うっていうことの話に繋がるんだ? まるで答えになってねえじゃねえか」
「あら、まだ分からないの? あなた、今自分で言っていたじゃない。 私だって、一人でヴァンダインまで行こうとするのが無謀だなんてことは分かってるわ。だから、誰か協力してくれる人を探していたの。筋骨隆々で頼りになりそうで、暇してる人をね」
「……はあ、なるほどな……それで昨日俺に声をかけたって訳か」
ガートンはようやく合点がいったように長いため息をついた。 少女はその様子を見て満足そうに微笑んだ。
「どう? これで納得してくれた? それで、あなたは私の執事になってくれるのかしら?」
少女は大きな切れ長の瞳でガートンを見つめた。 ガートンは少し考えるように宙を見つめると、小さく舌打ちして再び少女に視線を戻し、ゆっくりと話し始めた。
「……チッ、いいか、はっきり言わせてもらうが、あんたの話は信じられないようなことばっかりだ。自分が遠く離れた地の伯爵令嬢で、訳の分からん男に家を乗っ取られ、それで今から家を取り戻しに行くだって? ……冗談きついぜ」
「まあ、ここまで話させておいて、まだ信じられないっていうの?」
少女は目を丸くして、呆れたようにため息をついた。ガートンはフンと鼻を鳴らすと、ある提案をした。
「じゃあ、あんたが貴族だっていう証拠を何か見せてもらおうか。何でもいいさ。それがあれば、あんたの執事にでも何でもなってやるよ。あんたがただの妄想がちな街娘じゃないっていう証拠をな」
(どうせ何もないんだろ? 全く、こんな小娘の妄想に付き合わされて、時間の無駄だったぜ)
ガートンは心の中でつぶやくと、目の前の少女を睨みつけた。 しかし、少女は特に慌てた様子もなく、少し考えこむように右手で前髪をいじりながらゆっくり口を開いた。
「証拠ねえ……そういえばあなた、最初に会った時私を見て、『お嬢様』って決めつけていたわよね? 私が名乗るより前のことよ。 あなたはただの街娘を貴族の娘と勘違いするのかしら?」
少なからず少女が動揺を見せると思っていたガートンは予想外の展開に、却って自分が言葉に詰まってしまった。
「そ、それは……あんなドレスを着ていたら、誰だってそう……」
昼間の出来事を思い出しながらなんとか言葉をつないだが、そこまで言いかけたところでガートンはハッとして言葉を失った。 今目の前に座っている少女は、確かに昨日と同じ格好をしているが、改めてよく見ると、小綺麗にはしているがかなりシンプルでおよそ今時の貴族が着るようなものとは程遠いものだった。 それに、随分と古ぼけており、サイズもかなり小さくなっている。 おそらく昔から同じドレスを着ているのだろうか。 だから手足がより細く長く見えていたのだ。
「うふふ、このドレス、気に入ってるんだけど、そろそろ買い替えどきかしらね。 丈も随分短くなっちゃったの。……まあつまり、貴族の品格というものは服装や装飾ではなく、内から溢れ出すものなのよ。 ……なんてね。これが証拠じゃ、ダメかしら?」
ガートンの視線に気づいた少女は、ドレスの襟を軽くつかみながら、冗談を言うようにガートンにニッコリと笑いかけた。 ガートンはどきりとして目をそらし、しばらく考えるように目を閉じて唸り始めた。
数十秒後、ようやくガートンは目を開き、少女を見て意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「……はあ、分かったよ。 あんたの話、信じてやるよ」
「本当に? ありがとう! 嬉しいわ」
「ああ、夢のような話だが、どうも嘘をついている様子じゃないし、堂々とした振る舞いといい、どうやら只者じゃないらしい」
ガートンは少し悔しそうに、言葉を絞り出した。 しかし、少女は反対に、喜びに目を輝かせていた。
「信じてもらえて良かったわ。 それで、執事の話は……」
「ああ、執事でも何でもやってやる。ここまで来たら乗りかかった船だ。それに、今の俺は確かに暇人だからな。だがその代わり、報酬は弾んでもらうからな。」
「ええ、もちろんよ。家を取り戻せたら、いくらでも払ってあげる。それじゃあ、これからよろしくね、ガートン」
少女がそう言うと、2人はグラスを手に取り乾杯した。チン、という小さな音が静かな店内に響く。ガートンは中身を一気に飲み干すと、ドンとグラスでテーブルを叩いた。
「……それで、執事になるのはいいが、これからどうするんだ?」
「そうね、まずはヴァンダインまで行く方法を考えなくちゃ。それに、お金もたくさん必要ね。今の私の貯金じゃ、この街を飛び出してもすぐに底を尽きちゃうわ。」
「金か……何か稼ぐアテはあるのか?」
「あら、それを考えるのも執事であるあなたの務めでしょ?一緒に考えましょう。何かいい方法はないかしら?」
「はあ……そんなことだろうとは思ったが……」
ガートンは呆れたようにため息を尽き、気安く執事になることを承諾した数秒前の自分を呪い出す。しかし、次の瞬間、ガートンの頭に、彼にとって天啓とも言えるような名案が浮かんだ。
「いや、待てよ……おい、俺に1ついい考えがあるぞ」
「まあ、本当に? 聞かせてくださる?」
自身の頭に浮かんだひらめきを話すガートンの顔は、暗い笑顔に満ちていた。
次回更新は2/7を予定しております。
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