夢の世界 06
アイコは午後四時になると眠ってしまう。人によって一、二時間のズレはあるが、アイコに限らずこの世界の者はだいたいそれくらいの時間で眠ってしまう。この世界では眠りの時間をむかえてしまうと、どこにいても何をしていても眠ってしまう。だから外出している時には眠りの時間を意識しなくてはならない。
「アイコ、眠りにつく時間って大丈夫なの?」
アイコは時計を見て、「三時になったら、帰るよ」と答えた。今は二時をちょっと過ぎた頃だ。あと一時間はここにいられる。
キョウコと過ごすのは楽しいのだが、家の暗い雰囲気に違和感を与えられた。入り口のそばにある灯のスイッチは壊れているらしく、部屋の中は薄暗いままだ。アイコはなぜ直さないのかとは聞かなかった。聞かなかったことを不思議だと思わなかった。
薄暗いリビングには黒ずんだテーブルがある。そこには椅子が二脚あるが、やはり黒ずんでいる。アイコとキョウコはその椅子に座った。
この部屋に入ってくる光は弱い。だから置いてある物の色はよくわからないが、濃い灰色や黒い物が多い。キョウコがそういった色を好んでいるのだろうと、アイコは単純にそう思った。キョウコが寺院に着てくる服はゴシックロリータ系の服が多く、色はおおむね黒か灰色だ。どの服も白いレースが縫い付けられているので暗い印象はないのだが、この世界の者が好む服とは随分と異なる。この世界の者は黒や灰色の服をあまり着ないし、色物でも原色は好まない。白をまぜたパステルカラーが好まれる。ゴシックロリータ系の服は、キョウコの白銀の長い髪や白い肌とよく似合っているのだが、少し変わった服装だとアイコは思っていた。今着ている部屋着も濃い灰色のワンピースだ。なぜキョウコは黒や灰色ばかりを好むのだろうか。疑問というより、この気持ちは心配なのだろう。出された紅茶は自分の家や寺院で飲むものとあまり変わらないのだが、アイコは紅茶の香りを楽しむことができなかった。
「キョウコはなんでここに住んでるの?」
「なんでって……」
思考が止まってしまったかのように、キョウコの小さい口からは答えが出てこなかった。アイコは自分の意見を述べた。
「最近、キョウコの調子が悪いのだって、一人で住んでいるからじゃないのかな? 私達と一緒に住もうよ。私が住んでいる家って部屋が一個空いているし」
キョウコは瞳を泳がすだけで、やはり答えない。
「ご飯はカオリが作ってくれるし、掃除や洗濯はナナがしてくれるの。外で仕事をしている人は家事をしなくていいって言ってくれるんだ。私は寺院で働いているし、ユキノは街のなんでも屋さん。だから家で私とユキノはのんびりとしているよ。もちろんたまに手伝うけどね。キョウコも寺院で仕事をしているから、甘えられると思うよ」
アイコが最後に「朝寝坊もできるし」と笑いながら言葉を付け加えても、その幸せはキョウコには届かなかった。キョウコは無表情で、少し困っているようにも見えた。
「どうしたの?」
キョウコはうつむくように紅茶の水面を見ている。まわりが薄暗いから紅茶のあざやかな色も土の色のようだ。
「怖い…………」
聞き取れたが、信じられない言葉だった。僧侶のつらい感情を与える言葉にも似ていた。重く、暗いものが肩にのしかかるように感じた。
「こ、怖いって、何が?」
キョウコは黙ったまま答えなかった。その答えを聞いてしまったら、僧侶の話を聞いた時のようにつらい感情を与えられるかもしれない。しかしその答えを聞かなくてはならない、アイコはそう思った。
「何が怖いの? 教えて」
数秒の間があったが、キョウコは決心するように顔を上げて、「私のこと、嫌いにならないって約束してくれる?」ときいた。瞳には涙が浮かんでいた。
「嫌いって………… 嫌いになんか、なるわけないでしょ?」
『嫌い』という言葉。耳をそむけたくなる言葉だ。なんでキョウコは聞きたくない言葉を何度も口にするのだろうか。今日の僧侶もそうだった。アイコにつらい感情を与える言葉ばかり口にしていた。
『奪い合う』『後悔』『憎しみ』
こんな言葉なんかこの世界には必要ない。自分につらい感情を与える言葉なんてなくなってしまえばいいのに。キョウコの話を聞けば、そういった言葉を聞くことになるだろう。キョウコも話したくないのかもしれない。
「キョウコ…………」
キョウコは膝の上に両手を置いて、一度スゥッと鼻から息を吸うと、同じように大きく息を吐き出した。話す決心をしているのだろう。
「きっと、こんなことを言ったら、アイコに嫌な思いをさせてしまうかもしれない」
アイコは嫌な思いをしたくない。しかし聞かなくてはならない。
「話して」
キョウコが口を少し開けて話しだそうとすると、肩が震えた。何におびえているのだろうか。キョウコは震えたまま、小さい声で話し出した。
「も、もともと私、ユキノとは知り合いだったの。糸も繋がっていたの」
『繋がっていた』という過去形の言葉がアイコの胸に突き刺さった。