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水色の空の下で  作者: みやこ
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夢の世界 05

 結局、キョウコは寺院に来なかった。帰り際に二階にある僧侶の部屋に寄ると、僧侶が街の人と話しているのが見えた。何か相談にのっているのだろう。相談している人はさっきの自分と同じように感情的になっている。なぜ僧侶はこの世界の者に『つらい感情』を与えるのだろうか。相談している人はつらい表情のまま深く一礼して、階段を下っていった。アイコはそれを待って、僧侶に声をかけた。

「僧侶様」

 僧侶は黒ずんだオレンジの袈裟をひるがえし、ゆっくりと振り向いた。アイコは駆け寄った。

「やっぱりキョウコは来なかったのですか?」

 僧侶も心配しているだろう。しかしその心配はアイコと比べると小さいように見える。

「心配ならば家を訪ねなさい。二時間くらいしか起きていられないのなら、寺院に足を運ばずに何か楽しいことでもしていなさいと言いましたので」

 僧侶が右手を差し出したので、アイコも手を差し出した。一枚の小さい紙を受け取った。薬包紙と同じくらいの大きさで、そこには地図が書かれていた。

「キョウコの家の地図です」

 アイコは驚いた。なぜ僧侶は紙に地図を書いて手に持っていたのだろうか? アイコの行動を予知していたかのようだ。

「僧侶様……」

 問いかけようかと思ったが、言葉が止まった。

「あなたにしかできないことがあるのですよ」

 僧侶は微笑みながらそう言うと、部屋の奥へと去っていった。アイコは僧侶の後姿に向かって深く頭を下げた。



 地図には道が四本と、その角にある建物や橋の名前が書かれている。単純であるが、わかりやすかったので道に迷うことはなかった。示された場所はアイコの家とは逆の方向だった。アイコはこの辺りに一度も来たことがない。この辺に住んでいるという人を誰も知らないので、住宅地でないことを予想できた。

街の反対側に抜けた。街を囲うように流れる川があり、その川をまたぐ木でできた小さい橋が見えた。橋を越えて土の道を歩いた。傾斜がそれなりにあって、五分も歩くと息切れした。歩くたびに周りの家は減っていく。最初は気のせいだと思ったのだが、

「だんだんと影っている……」

 周りに黒い大きな木が立っているからだろうか、包み込むような水色の光がここには届いていない。まだ日の入りの時間でもないのに辺りは薄暗い。地図に従って大きな切り株を右に曲がった。その先には更に急な傾斜があり、木造の家が見えた。黒い影のようだ。光の加減で薄暗く見えたのかと思ったが、違った。足を踏ん張りながら傾斜をのぼると、家そのものが煤を覆ったように黒ずんでいるのがわかった。アイコが住んでいる家とは随分と違う。少し戸惑いながらも黒い木のドアをノックした。木が湿っているのだろうか、鈍い音だった。

「キョウコ、いる? アイコだよ」

 ここにキョウコが住んでいる。アイコは目を細めて自分の左の手首を見た。淡い光を放っている水色の糸が黒い家のドアへと向かっている。きっと糸は家の中にいるキョウコと繋がっているだろう。

「キョウコ!」

 心配になって大きな声を出してしまった。しかしキョウコは出て来ない。

「入るよ?」

 この世界には泥棒がいない。だから鍵もない。アイコが亜鉛でできた鍵穴のないノブをひねって、ドアを開けた。中も薄暗かった。寝ているから灯を消しているのだろうとアイコは思った。壁に灯のスイッチがあるが、キョウコが寝ているのかもしれないので、スイッチを押さずに薄暗い部屋の奥へと歩いた。玄関、キッチン、リビングが一つの部屋にあって、その奥に寝室があるようだ。木製の扉が見えた。アイコはノックした。鈍いノックの音が聞こえるだけで、返事はなかった。目を細めて水色の糸を確認した。糸は扉の先へと向かっている。間違いない。この奥にキョウコはいる。寝ているかもしれないと思い、小さい声で「アイコだよ。入るよ」と言った。ゆっくりとノブをひねった。キイィと木のこすれる音が響いた。起こしてしまうかと心配になりながらも更に扉を開けた。

「キョウコ?」

 キョウコはベッドの上に座っている。声をかけたのに気付かない。ぼんやりと目を開けて、瞳には輝きはなく人形のようだ。美しい白銀の長い髪も薄暗い部屋の中で重い灰色に見えた。

「キョウコ?」

 アイコは目の前まで歩み寄ったが、キョウコは気付かない。やはり体の調子が悪いのだろうか。アイコは心配になって、膝を床について視線を同じくらいの高さにした。キョウコの腿のところに置いてある両手を握った。キョウコは握り返さないし、拒絶して引いたりもしない。キョウコの手は色味を帯びずに真っ白だが、スベスベしていて柔らかかった。アイコはキョウコの手を少しだけ自分の方に引き寄せた。

「キョウコ、どうしたの?」

 するとキョウコの体がビクッと震えた。大きい瞳が、アイコの方にキョロッと向いた。輝きは戻っていないが、反応があったのでアイコは少しだけ安心した。

「良かった。具合でも悪いんじゃないかって思って」

 話しかけても返事はない。

「寝ぼけているの?」

 するとキョウコは目を大きく開いて、「あっ、アイコ」と言った。

 キョウコは首を大きく横に回して、辺りを見渡す。

「あっ、ここ、私のうち……だよね。あれっ? なんでアイコがいるの?」

 かすれるような声だが、聞き取ることはできる。

「ごめんね。勝手に来ちゃって。僧侶様にキョウコの住んでいる所をきいて」

 キョウコの小さい手はアイコの細い手を握り返した。

「心配……かけちゃったね。ごめんね」

 アイコは手を離して、大きく両腕を広げた。キョウコは無表情のままアイコを見つめる。

「朝の挨拶」

 アイコがそう言うと、キョウコはチラッと壁にかけている時計に目を向けた。そして微笑んだ。

「ふふっ、もう午後の二時だよ」

 アイコも微笑んだ。

「いいの。それでも」

 キョウコが軽く腕を広げると、アイコは跳びつくように抱きついた。

「きゃっ」

 キョウコは抵抗しないが、肩が少し震えた。アイコは自分よりも細いキョウコの体を強く抱きしめた。頬をキョウコのこめかみに押し付けた。少し体重をかけると、二人の体は抱き合ったままベッドにポスンッと横たわった。キョウコの体には力が入っていない。抵抗がなかったのでアイコはもっと強く抱いて良いかと思った。背中をさすりながら体を押し付けると、キョウコはもう一度、「きゃっ」と高い声を漏らした。アイコは力を抜いて、身を少し上げた。ニコッと笑い、キョウコの瞳を覗き込んだ。

「僧侶様に言われたの。キョウコに会ったら、強く抱きなさいって」

 キョウコもニコッと笑った。

「やりすぎなんじゃないの?」

 そう言いながらも、キョウコは下からアイコの背に手を回し、弱い力で引き寄せた。アイコは抵抗せずに、そのまま体を重ねた。鼓動が重なる。息遣いが聞こえる。

 するとキョウコは鼻でスゥッと息を吸った。

「アイコの汗の臭いがする」

 まるで花の香りをかいでいるような口調だ。アイコは慌ててキョウコから離れようとした。

「あっ、ごめんね。結構歩いたから」

 キョウコは身を寄せて、顔をアイコの首元に押し付けた。

「嫌な臭いじゃないよ。アイコの存在を感じることができて、その感じは私の胸のところまでやってくる」

キョウコはまたスゥっと鼻で息をした。

「ダメダメダメ!」

 アイコがキョウコの小さい肩をつかんで遠のけようとすると、キョウコはそれに従った。

「ありがとう。アイコ。目が覚めたよ」

 さっきまでキョウコの髪と瞳は重い灰色に見えていたが、その輝きが戻ったように見えた。

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